第58話 王子に謎の好感度イベントが連続発生して困っています
地下機構を見た翌日から、アルフレッド・ルミナス・エーヴェルシュタインの周囲では、明らかに何かがおかしくなった。
本人がそう断言するのだから、たぶん本当におかしいのだろう。
「露骨すぎるだろう……!」
朝の身支度を終え、王族用の控室で一人になった瞬間、アルフレッドは思わずそう吐き捨てた。
王子としての顔は、もう鏡の前で整えてある。
髪も乱れていない。
制服の襟も正しい。
表情も、外へ出れば“王子らしい穏やかさ”へ戻せるだろう。
だが内心はだいぶ穏やかではなかった。
理由は単純である。
昨夜、学園地下で“選定の魔導機構”の存在が明らかになった。
あの装置は、王子、本来ヒロイン、悪役令嬢、聖女候補、攻略対象といった“それらしい役”を安定化させるための歪んだ王朝装置かもしれないと分かった。
しかも、断罪ルートが失敗したことで、装置は今“再選定シークエンス”へ入っている可能性が高い。
つまり、世界は今、壊れたルートを修正しようとしている。
そして、その修正対象の中に、当然アルフレッド自身も含まれている。
含まれている。
そのことは、朝からもう嫌というほど分かった。
「よりによって、私のところへ真っ先に来るのか」
言いながら、アルフレッドはこめかみを押さえた。
王子というのは本来、この手の“イベント”が起こる側だ。
むしろ今までは、それが当然すぎて違和感にならなかった。
だが、昨夜の地下機構の話を聞いてしまった今は違う。
偶然の再会。
自然な距離感。
周囲が期待する王子らしい対応。
庶民出身の少女との接触。
婚約者との対になる場面。
それら全部が、今や
「おい、王子ルートへ戻れ」
という世界からの押しつけに見えてしまう。
それが非常に腹立たしかった。
◇
そして、一回目は本当に朝すぐ来た。
控室を出たところで、ちょうど角を曲がってきたリリアーナ・フェアミントと鉢合わせたのである。
「きゃっ」
「っ」
軽い接触。
転びかける。
王子が自然に腕を取って支える。
完璧だった。
いや、完璧すぎた。
動線も、
距離感も、
衝突の角度も、
その後に生まれる“一瞬の近さ”も、
全部が
「王子と本来ヒロインの朝の偶然イベント」
として完璧すぎた。
アルフレッドは支えたまま、心の中で本気でうめいた。
――露骨すぎるだろう!
「す、すみません、殿下!」
リリアーナは顔を真っ赤にしている。
「私、ぼんやりしてて……」
「いや、怪我がなければいい」
返事は自然に出た。
王子としては百点の返しだろう。
だが問題はそこではない。
周囲である。
「見た?」
「朝イチで王子ルート……」
「しかもフェアミントさん相手……」
「地下で何かあった翌日にこれはさすがに強制イベントすぎるでしょ」
強制イベント。
そう。
アルフレッドもそう思う。
リリアーナのほうも、頬を赤くしたまま少し戸惑った顔をしていた。
たぶん彼女も、前ならもう少し素直に“王子らしい優しさ”へ寄れたのかもしれない。
今は違う。
「……ありがとうございます」
と彼女は言ったが、その声には微妙な迷いも混ざっていた。
「気をつけるんだ」
とアルフレッド。
言いながら、彼は内心で思う。
これはまずい。
王道が王道すぎて、かえって不自然だ。
◇
二回目は一限と二限の間だった。
今度はセレスティア・フォン・ローゼンベルクである。
中庭へ面した石段の上で、彼女がちょうど教師へ呼び止められ、書類の受け渡しをしている。
そこへアルフレッドが通りかかる。
何でもない場面のように見える。
だが、位置関係が完璧だった。
上段にセレスティア。
下段にアルフレッド。
朝の光。
少し揺れる髪。
教師はすぐに去り、
二人だけが微妙に向き合う形で残される。
完全に、
「婚約者イベント」
である。
アルフレッドは本気で天を仰ぎたくなった。
「……殿下」
とセレスティア。
こちらも少しだけ間がある。
つまり彼女も気づいているのだ。
この場が“そういうふう”すぎることに。
「おはよう、ローゼンベルク嬢」
「おはようございます」
会話自体は短い。
だが、短いからこそ余計に見栄えがよい。
高位貴族令嬢と王子。
かつて婚約関係として最も正しく見えた組み合わせ。
しかも断罪ルート崩壊後だからこそ、
周囲の目には
「王子ルートがセレスティア側へ戻るのか?」
という見え方すらするのだろう。
実際、女子生徒たちのざわめきは容赦がなかった。
「待って、今度は王子×悪役令嬢の婚約者ルート補正?」
「いやでも昨日の流れ壊れたあとだから、逆にこっちも濃い」
「というか再選定ってそういうこと……?」
再選定。
その言葉に、アルフレッドは内心で歯噛みした。
まったくその通りだ。
「……何か、言いたいことがおありですの?」
セレスティアが小さく問う。
アルフレッドは少しだけ視線を落としてから答えた。
「ある」
「何でしょう」
「露骨すぎる」
「ええ」
セレスティアは即答した。
「同感ですわ」
短いやり取りだった。
だが、その一瞬で二人の認識は一致した。
これは自然ではない。
王子ルートへ戻れと言われている。
しかもかなり雑に。
それが分かっているからこそ、逆に以前より落ち着いていられるところもあった。
少なくとも今の二人は、
“婚約者っぽい空気に流される二人”
ではなく、
“婚約者イベントっぽいものを強制されていると冷静に理解している二人”
なのだから。
◇
三回目は昼食前だった。
しかも今度は、教師側から来た。
「殿下、少々よろしいでしょうか」
呼び止めてきたのは、昨日の舞踏会では目立たなかった別の教師だった。
にこやかな顔をしているが、そのにこやかさが今のアルフレッドには逆に怪しく見える。
「何だ」
と王子。
「ローゼンベルク嬢とのご関係について、一部の上級生徒たちがまだ不安を抱いているようでして」
教師は穏やかに言う。
「婚約関係を今後どう整理されるのか、王子として何らかのお考えを示されたほうが、学園の秩序にも――」
そこでアルフレッドは、ほとんど反射的に理解した。
ああ、これも修正イベントだ、と。
婚約者ルートへ戻れ。
少なくとも“王子らしく整理しろ”。
そうやって、また自分を“正しく選ぶ側の王子”へ押し戻そうとしている。
「学園の秩序、か」
アルフレッドは静かに繰り返した。
「ええ」
「昨夜、誰か一人を悪役へ押し込める流れが壊れたことを、ずいぶん残念がっているように聞こえるが」
「殿下?」
「今はまだ、示すべきものはない」
教師の笑顔がほんのわずかに引きつった。
「婚約も、整理も、“王子らしい選択”も、私が自分で決める」
アルフレッドははっきり言う。
「学園の空気に促されて決めるつもりはない」
その一言で、教師はそれ以上踏み込めなくなった。
だがアルフレッドには分かる。
こういう“善意ある整理”の顔をした誘導が、これから増えるのだ。
しかもそれは、本人が正しいことを言っているつもりのまま行われる。
それが一番厄介だった。
◇
昼休み、アルフレッドは中庭の一角で一人になろうとした。
少し頭を整理したかった。
地下機構。
再選定。
王子ルート補正。
婚約者ルート補正。
本来ヒロインとの接触補正。
どれも嫌な言葉だ。
しかも、そのどれもが今朝だけでかなりの精度で実感できてしまった。
「おや、殿下」
そこへ現れたのが、またしても霊真だった。
もはや笑うしかない。
「……君か」
「はい」
霊真はいつもどおりだった。
「お顔色があまりよろしくないように見えましたので」
そういうところだ、とアルフレッドは思う。
この男は、王子ルートにも婚約者ルートにも本来ヒロインルートにも素直に収まらないくせに、こういう時だけは妙に主人公らしいことをさらりとやる。
「少し、腹が立っているだけだ」
とアルフレッド。
「何にでしょう」
「全部にだ」
王子は深く息を吐いた。
「朝からずっと、王子として“それらしい位置”へ戻れと押されている感じがする」
「そうでしたか」
「そうだ。フェアミント嬢とも、ローゼンベルク嬢とも、教師の話題の振り方とも、全部が露骨だ」
霊真は静かに聞いている。
否定も、軽い慰めも挟まない。
「世界が私へ、“元の主人公ポジションへ戻れ”と言っているようで腹が立つ」
アルフレッドはついに本音を吐き捨てた。
「だが、私はもう前みたいにそれへ戻るつもりはない」
その言葉に、霊真は少しだけ目を細めた。
「それでよろしいのではないでしょうか」
「簡単に言うな」
「難しいことでしょうか」
「難しいさ」
アルフレッドは苦笑した。
「私は王子だ。王子らしくあることは、今でも必要だ。だが、それを“用意された王子ルート”として押しつけられるのは違う」
そこが一番の苛立ちだった。
王子であることは、自分の責任だ。
だがそれは、誰かが勝手に用意した舞台の上で、善良な主人公の顔をして本来ヒロインを選び、悪役令嬢を落とすためではない。
そんなことのために王族教育を受けてきたわけではなかった。
「殿下は」
と霊真が静かに言う。
「既に、前とは違う王子であられるかと」
アルフレッドは少しだけ目を見開いた。
「……そうか?」
「はい。昨夜、空気ではなく、その場を裁かれましたので」
その言葉は、驚くほど素直に胸へ入った。
王子としての役を奪われたのではない。
むしろ、自分で選び直したのだと。
「君は、本当に」
とアルフレッドは苦笑する。
「私が欲しい言葉だけを、余計な飾りなしに置いていくな」
「そうでしょうか」
「そうだ。だから厄介なんだ」
そのやり取りを、少し離れたところから見ていた女子生徒たちがまたざわつく。
「見た?」
「王子ルートも全然死んでない」
「というか殿下、明らかにあの人相手だけ本音出してない?」
「でもレイシンさん、王子相手にも距離感おかしくない?」
「全ルート干渉型主人公ってこういうこと……?」
アルフレッドは額を押さえたくなった。
「……君のせいで、余計に面倒だ」
「申し訳ありません」
「謝るな。君にその自覚がないのは知っている」
◇
その日の午後、さらに追い打ちのように“王子ルート修正イベント”は続いた。
廊下で老教師に呼び止められ、
「殿下は今こそ、学園全体へ安心を与えるご判断を」と言われる。
図書塔へ行けば、なぜかリリアーナが一人で高い棚の本を取ろうとしていて、自然な補助イベントになる。
礼拝堂前を通れば、ミレーユから「殿下も、重責を抱えておいででしょう」と妙に優しい声をかけられる。
中庭を横切れば、セレスティアがちょうど教師と話していて“王子と婚約者が視線だけで通じ合う”みたいな謎の構図になる。
多い。
とにかく多い。
しかも一つ一つが、王子という立場にとっては決して不自然ではないからなおさら厄介だ。
もし地下機構の存在を知らなければ、
少し忙しい日常、
少し周囲の期待が強いだけ、
くらいにしか思わなかったかもしれない。
だが今は、見えてしまう。
これは全部、
“王子らしい主人公”へ戻れ
という修正なのだ。
「……本当に腹が立つ」
夕方、再び一人になった瞬間、アルフレッドはそう呟いた。
嬉しくないわけではない。
王子として頼られることや、中心に置かれることそのものを嫌っているわけではない。
だが、それを“役割として押される”のが我慢ならない。
今の自分はもう、
選ばれる側の王子ではなく、
自分で選ぶ王子でありたいのだから。
◇
その日の終わり、アルフレッドは中庭の片隅で立ち止まった。
陽はほとんど落ちかけている。
石畳は昼の熱を少しだけ残し、風は冷え始めていた。
そこへ、また霊真が現れる。
もはや一周回って、こういうタイミングで出てくること自体には驚かなくなっていた。
「……君は本当に、必要な時に現れるな」
とアルフレッド。
「そうでしたか」
「そうだ。しかも大抵、気づいてほしいところへちょうどいる」
霊真は少し考えてから答えた。
「困っておられるように見えましたので」
「それだよ」
アルフレッドは苦笑した。
「今日一日でよく分かった」
「何がでしょう」
「世界が、私へ“元の主人公役”へ戻れと言っている」
「はい」
「だが私は、もうそこへ素直には戻らない」
王子は夜に近づく空を見た。
「王子であることはやめない。責任も放棄しない。だが、誰かを落とすための王道主人公に戻る気はない」
「それがよろしいかと」
と霊真。
「簡単に言う」
「簡単ではないのでしょうか」
「難しいが、言い切る価値はある」
アルフレッドはそう言って、ふっと笑った。
少しだけ、胸が軽くなっていた。
王子ルートは、たしかに修正をかけてきている。
だがそれは、もう以前のようには自分を支配しない。
なぜなら、昨夜から今朝にかけて、自分はもう一度王子であることを自分で選び直しているからだ。
その意味では、世界の修正は少し遅かったのかもしれない。




