第44話 第二の断罪舞台、今度はこちらがシナリオを壊す番です
公開討論会兼模擬舞踏会の当日、王立エーヴェルシュタイン学園は朝から妙に整いすぎていた。
九十九院霊真は、大広間へ続く長い回廊を歩きながら、胸の奥にじわじわと広がる嫌な感覚を押さえきれずにいた。花は最も視線が集まりやすい位置へ活けられ、敷かれた布は一分の乱れもなく、来賓の導線と生徒の待機位置は、まるで初めから何度も上演された舞台のように完成している。
華やかだ。
上品だ。
見た目だけなら、これ以上ないほど“正しい”。
だからこそ、余計に気持ちが悪い。
ここまで綺麗に整えられると、もうそれ自体が意思に見える。
誰かがこの場で何を起こしたいのか。
誰をどこへ立たせたいのか。
それが装飾の一つ一つにまで滲んでいるようだった。
「……やはり、嫌な感じがいたします」
小さく呟いたところで、横から低い声が返ってきた。
「だろうな」
ガイゼル・ヴァン・ドレイクだった。
今日はいつもの訓練着ではなく、きちんとした式典用の制服を着ている。だが立ち方まで上品になったわけではなく、むしろ“何かあったらすぐ動ける”という雰囲気が全身から漏れていた。
「おまえのその勘、今日ばっかりは外れてほしいんだけどな」
「はい」
「でも外れねえ顔してる」
霊真は否定できなかった。
大広間の前に立つだけで分かる。
空気が、もう普通ではない。
人が多いから息苦しいのではない。
集まった感情の向きが、最初からどこか一つへ流れたがっているのだ。
誰かを見たい。
誰かを比べたい。
誰かを選びたい。
そして、誰かを落としたい。
そんな、舞台の客席みたいな空気だった。
◇
開場前の控え室には、すでに皆が集まっていた。
アルフレッド・ルミナス・エーヴェルシュタインは、王子としての正装に身を包みながら、以前とは明らかに違う顔をしていた。華やかさも威厳もある。だが今の彼には、それに加えて“表の進行そのものを握る者”の意志がある。
ミレーユ・セラフィナは、聖女候補らしく淡い色の装いで、けれど目元だけは静かに冴えていた。礼拝堂で人心の揺れを見てきた者の目だ。
ルシアン・エーデル=クロイツは、式典用の装いをしていてもどこか研究者臭さが消えない。外套の内側には、明らかにいくつか魔術具を隠しているのだろうと分かる形があった。
リリアーナ・フェアミントは少し緊張していたが、以前のように“ただ巻き込まれている少女”の顔ではない。手にした小さなノートが、その決意の証みたいに見えた。
そして、セレスティア・フォン・ローゼンベルク。
昨日のドレス合わせで見た姿そのままに、美しかった。
淡い象牙色を基調にしたドレス。
過剰ではないのに目を引く立ち姿。
悪役令嬢の派手さではなく、公爵令嬢としての気品が前へ出ている。
その姿は、見る者によってはあまりに完成されすぎていて、だからこそ“嫉妬される側”へ置きたくなるのかもしれない。
だが今日のセレスティアは、ただ美しいだけではなかった。
怖さを知ったうえで、それでも立つと決めた人間の顔をしていた。
「皆さま」
アルフレッドが口を開く。
「最終確認だ」
室内の空気が引き締まる。
「今日の役割を改めて整理する。私は表の進行を制御する。討論の進行、発言順、そして必要ならその場の停止も含めて、最初に介入する」
「はい」
と霊真。
「レイシン、君は違和感の中心を見る」
「承知しました」
「ガイゼルは護衛導線の確保」
「任せろ」
「ミレーユ嬢は周囲の感情の揺れを」
「はい」
「ルシアンは術式核の追跡」
「当然です」
「リリアーナ嬢」
アルフレッドの目がリリアーナへ向く。
「君は、庇われるだけの役へ入らないこと」
その言葉に、リリアーナは強く頷いた。
「はい。私、自分で言います。必要なら、その場で」
「ローゼンベルク嬢」
最後に、アルフレッドはセレスティアを見る。
「君は逃げないと決めた」
「ええ」
セレスティアは静かに答えた。
「今度は、黙って悪役の席へ座って差し上げるつもりはありませんわ」
その言葉を聞いて、霊真は少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。
前回とは違う。
皆が、ただ舞台へ置かれる側ではない。
◇
会場へ入った瞬間、違和感は一気に強くなった。
大広間は完璧だった。
天井の高い空間に、蝋燭の灯りが柔らかく反射する。
中央には舞踏のための空間が広く開けられ、その奥に討論用の壇上が置かれている。
来賓席は視線が中央へ集まりやすい半円状。
王子の席は当然、中心。
そしてそのすぐ近くに、セレスティアとリリアーナが自然に視界へ入るような配置。
自然に見えて、あまりに不自然だった。
これではまるで、
“誰が見られるべきか”
が最初から決まっている。
霊真が会場へ足を踏み入れた瞬間、胸の奥で嫌なものがざわりと動いた。
冷たさ。
比べる感じ。
選びたがる気配。
誰か一人を舞台の中心へ押し出して、意味を背負わせたがる空気。
前の断罪未遂の夜と同じだ。
いや、もっと濃い。
「……始まる前から、かなり強いです」
霊真が小さく言うと、横にいたルシアンがすぐ反応した。
「私も感じています」
彼は袖の内側で小さな測定具を作動させたらしく、視線だけを壇上付近へ走らせた。
「前よりも露骨です。会場全体を薄く覆ったうえで、壇上近くに主軸がある」
「やはり、壇上ですか」
「ええ。あそこが核に近い」
ルシアンの声音は冷えていた。
そしてその冷えた声の下に、かなりの苛立ちも滲んでいる。
「趣味が悪すぎる」
同感だった。
◇
来賓が入り始めると、空気はさらに“物語らしく”なった。
高位貴族たちは、それぞれ上品な顔をしている。
だが上品な顔で人を値踏みするのは、下品な視線を隠す最も洗練された方法でもある。
教師たちも笑顔だ。
だが、その笑顔の下で会場の流れを見ている者がいることも、もうこちらは知っている。
上級貴族子弟グループは、あからさまに集まりすぎないよう散っている。
それが逆に怪しい。
霊真は会場の端から全体を見た。
アルフレッドは王子として、表の中心へ立っている。
その姿は堂々としていて、以前のような迷いは薄い。
リリアーナは緊張しているが、逃げ腰ではない。
ミレーユは来賓たちの表情と囁きを拾っている。
ガイゼルは何食わぬ顔で動線上を歩き、視線だけはずっと警戒を解いていない。
ルシアンはあくまで平静を装いながら、壇上近くの脈動を追っている。
そしてセレスティアは。
視線を集めていた。
本人が何もしていないのに、
そこに立っているだけで、
会場の一部が無意識に“あの令嬢だ”と意識を向ける。
それが分かるから、霊真は唇を軽く引き結んだ。
あまりに露骨だ。
役割の押しつけが。
◇
開会の挨拶はアルフレッドが務めた。
王子としての声はよく通る。
堂々としていて、それでいて以前よりも“人の顔”が見える話し方になっていた。
「本日の集いが、ただ形式的な交わりではなく、それぞれの立場を超えて互いを見る機会となることを望む」
その一文を入れたのは、たぶん意図的だ。
“立場を超えて互いを見る”。
今のこの学園に、それがどれほど必要か、アルフレッドは分かっている。
挨拶の途中で、霊真は一度だけ会場全体の空気が波打つのを感じた。
ぞわり、と。
まるで目に見えぬ水面が広がり、
集まった人々の感情の足元を一斉に濡らしたみたいな感覚。
その瞬間、ルシアンが低く呟いた。
「始まりました」
霊真がそちらを見る。
ルシアンの顔は真っ白に近いほど冷静だった。
そのぶん、声の低さが際立つ。
「感情誘導術式が起動しています」
その一言で、会場の見え方が変わる。
誰かの笑い声が少しだけ鋭く聞こえる。
囁きが意味を帯びる。
視線が、ただの観察ではなく“役割の確認”になる。
王子は王子らしく。
本来ヒロインは本来ヒロインらしく。
悪役令嬢は、悪役令嬢らしく。
そういう流れが、じわじわと会場を満たし始めていた。
「……本当に、露骨ですわね」
近くでミレーユが小さく言う。
「人の心が、少しずつ“そういうほう”へ寄せられています」
「はい」
霊真は答えた。
「前よりも強いです」
ガイゼルが舌打ちする。
「胸糞悪ぃな」
リリアーナはノートを胸元で押さえたまま、小さく息を吸った。
緊張している。
だが立っている。
そこから逃げていない。
セレスティアもまた、明らかに空気の変化を感じ取っていた。
会場の視線が、ほんの少しずつ変わる。
まだ名指しではない。
まだ誰も何も言っていない。
それなのに、
“次に中央へ置かれるのは誰か”
を皆が無意識に共有し始めるような、あの嫌な感じが戻ってきていた。
セレスティアは、そこで一度だけ霊真のほうを見た。
霊真は静かに頷く。
言葉はない。
だが、それで十分だった。
前よりずっと強い空気だ。
けれど、前よりずっとこちらも準備ができている。
◇
討論の第一部が始まるころには、会場全体が完全に“舞台”になっていた。
来賓たちは優雅な笑みで見守り、
教師たちは正しい進行の顔をし、
上級貴族子弟たちは何食わぬ顔で散っている。
だがその全員が、次に何が起こるべきかを待っている気配を隠しきれていない。
霊真はその空気の中心を探るように目を閉じ、すぐに開いた。
冷たい。
比べたがる。
誰かを持ち上げ、誰かを落としたがる。
そしてその流れは、明らかにセレスティアへ向かって細く細く集まり始めていた。
まだ誰も名指しはしない。
けれど視線だけが変わる。
あの令嬢。
婚約者のいる公爵令嬢。
庶民出身の少女と対置されるべき存在。
華やかで、誇り高く、少し冷たそうで――だからこそ、“悪役令嬢”として見やすい相手。
空気がそう囁いている。
第二の断罪舞台は、まだ始まったばかりだ。
だが、始まってしまった以上、もう後戻りはない。
霊真は静かに息を整えた。
今度はこちらが、シナリオを壊す番だ。




