第40話 王子、ようやく“選ばれる側”ではなく“選ぶ側”になる
王子という立場は、便利なようでいて不便だ。
アルフレッド・ルミナス・エーヴェルシュタインは、その朝、自室で制服の襟を整えながらそんなことを考えていた。
王族である。
それは強い。
学園の中でも発言力があり、教師たちも無視できず、貴族子弟たちにとっても明確な“上”にいる。
だが同時に、王子という立場は人を鈍らせる。
正しく見えねばならない。
軽々しく怒ってはならない。
立場ある者として、公平で、穏当で、秩序を乱さぬよう振る舞わねばならない。
そうして“王子らしさ”を守ろうとするほど、自分の足で踏み込むべき場面で一拍遅れることがある。
懇親会の夜がそうだった。
セレスティア・フォン・ローゼンベルクを悪役へ押し込める空気が完成していたあの場で、自分は王子として正しくあろうとするあまり、一番見るべきものを見失いかけた。
そこへ割って入ったのが、九十九院霊真だった。
最初は屈辱に近いものもあった。
本来なら、自分が気づき、自分が止め、自分が守るべき場だったのではないか、と。
だが今はもう分かる。
自分は霊真になる必要はない。
いや、なれない。
あの男の“役割に頓着しないまま核心へ触れる在り方”は、王子として育てられてきた自分にはどうしても持ちにくいものだ。
ならば。
ならば自分は、自分にしかできない位置で戦うしかない。
「……今度は、最初に止める」
鏡の中の自分へ向けて、アルフレッドは低くそう言った。
言葉にすると、少しだけ胸の芯が定まる。
舞踏会兼公開討論会。
あまりにも露骨に整えられた、第二の断罪舞台。
あれをそのまま“そういうもの”として進ませるつもりはない。
今度の自分は、選ばれる側ではなく、選ぶ側へ立つ。
そのために、王子という立場を使う。
◇
最初に動いたのは、会場配置だった。
公開行事の最終案内が出たあと、アルフレッドはあえて表向きの理由を整えたうえで、数か所の導線変更を要求した。
名目は単純だ。
来賓対応の効率化。
護衛導線の見直し。
討論時の視認性改善。
舞踏時の安全確保。
どれも表向きはもっともらしい。
だが実際には、その変更によって“誰か一人へ視線が集中しすぎる配置”を少し崩せる。
「殿下、こちらを変更されますと、進行がやや煩雑に……」
と年配の教師が言った。
会場準備を担う教師の一人だ。
物腰は柔らかい。
だが、以前からアルフレッドはこの男に妙な違和感を抱いていた。
「構わない」
とアルフレッドは静かに答える。
「煩雑でも、公平なほうがよい」
教師は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
それは本当にごく小さな反応だったが、アルフレッドは見逃さなかった。
やはり、だ。
この行事の進行へ“既にできあがった形”を守りたい者がいる。
しかも、それはただの事務的なこだわりではない。
崩されて困る、という緊張がある。
「殿下は、今回かなり細かくご覧になるのですね」
と教師が探るように言う。
「当然だろう」
アルフレッドは微笑みもしない。
「前回、私は一度見落とした。今回はそうしないだけだ」
その言葉で、教師の顔からごくわずかに余裕が消えた。
ここだ、とアルフレッドは思う。
こういう反応の積み重ねが、教師側の不自然な動きを輪郭へ変えるのだ。
◇
昼前には、護衛導線の見直しにガイゼルも呼んだ。
「おいおい、マジで動いてんな」
とガイゼルは図面を見ながら言う。
「前よりだいぶ本気じゃねえか」
「本気でなければ困る」
とアルフレッド。
「まあ、そうだが」
ガイゼルは机へ身を乗り出し、会場図の一部を指で叩いた。
「この中央、まだ弱いな。ここに人が溜まると、ローゼンベルクの視線集中は完全には避けられねえ」
「私もそう思う。だが、あからさまに外すと逆に不自然だ」
「そこが面倒なんだよな」
二人で図面を睨みながら、アルフレッドは少しだけ可笑しくなった。
少し前までの自分なら、こういう泥臭い調整を王子らしくないと思ったかもしれない。
もっと完成された顔で、もっと上から、もっと綺麗に事を運ぼうとしていただろう。
だが今は違う。
綺麗に見えることより、舞台の罠を崩すことのほうが大事だ。
そう思えるのは、たぶん霊真の影響が大きい。
「……殿下」
とガイゼルがふと声を落とした。
「ちょっと前までのあんたなら、こういうの“裏方っぽい”って嫌がってた気がするんだけどな」
「そうかもしれない」
アルフレッドは素直に認めた。
「だが、今は分かる。表へ立つだけが王子の仕事ではない」
「お」
「誰かが用意した舞台で、ただ正しく振る舞うだけでは足りないと」
ガイゼルは一瞬だけ目を細め、それから少しだけ笑った。
「いい顔するようになったじゃねえか」
「褒めているのか」
「半分な」
その“半分”がこの男らしい。
◇
午後、アルフレッドは教師陣の記録室へ入っていた。
王族である彼には、通常の生徒より閲覧できる資料が多い。
もちろん何でも見られるわけではないが、運営上の申請や配置表の変更履歴、警備記録の一部には目を通せる。
そこに、不自然があった。
会場準備に関わる特定の教師が、通常より早い段階で配置表へ複数回手を入れている。
しかもその変更が、結果的に“王子・セレスティア・リリアーナ”の三点を視線で結びやすい位置へ整える方向で重なっている。
偶然にしては、揃いすぎていた。
「……なるほど」
アルフレッドは記録の端を指でなぞった。
さらに、来賓席の一部変更申請にも同じ名前が絡んでいる。
高位貴族の来賓と、上級貴族子弟グループの保護者層に近い人物が、妙に見えやすい位置へ寄せられているのだ。
これは、たぶんただの会場設営ではない。
誰かが“その場でどういう視線が生まれるか”まで計算している。
そこまで思考が進んだところで、背後から声がした。
「殿下、その資料にご興味が?」
振り返ると、例の教師――バルトランと呼ばれる中年の学務主任が立っていた。
柔らかな笑み。
丁寧な物腰。
そして、よく見ると笑っていない目。
「興味というより、確認だ」
とアルフレッド。
「今回の会は、少々不自然に整いすぎている」
「それは、格式ある場ですので」
「格式の話ではない」
アルフレッドは紙を閉じた。
「誰がどこへ立ち、誰がどこから見られるかが、あまりに露骨だ」
バルトランは少しだけ首を傾げる。
「殿下はお考えになりすぎかもしれません」
「そうかもしれんな」
アルフレッドは一歩だけ近づいた。
「だが、前回考え足りなかった結果を、私はまだ忘れていない」
教師の目が一瞬だけ揺れる。
ほんの一瞬。
けれど、それで十分だった。
この男は知っている。
少なくとも、知らずに済ませてはいない。
◇
夕方、アルフレッドは霊真を呼び出した。
場所は以前からよく使う中庭南の長椅子。
ただし今回は、以前より明確に“話すべきことがある顔”をしていた。
「来てくれてありがとう」
とアルフレッド。
「はい」
霊真は隣へ腰を下ろす。
風が少し強く、花壇の花が揺れていた。
「進展があった」
アルフレッドは単刀直入に言う。
「教師の一部が、かなり怪しい」
「そうでしたか」
霊真は静かに頷く。
その頷きに無駄な驚きがないあたり、最近の彼はだいぶ学園の歪みに慣れてしまっているのかもしれない。
「会場配置の変更履歴、来賓席の調整、警備導線――全部を見た。偶然ではない」
「誰かが、視線の流れを作っている」
「そうだ」
アルフレッドは少しだけ視線を伏せた。
「前の私なら、ここでまだ迷っていたかもしれない。教師を疑うのは行きすぎか、王子として穏当に収めるべきか、そういうことを」
「はい」
「だが今は、そうしている暇はないと分かる」
霊真は王子の横顔を見る。
以前より迷いは少ない。
代わりに、責任を自分で引き受ける顔になっていた。
「今度は、私が最初に止める」
アルフレッドははっきりと言った。
「舞台が動き出した瞬間に、王子として、その場を止める。必要なら進行そのものへ介入する。前回みたいに、“誰かが割って入ってくれるかもしれない”ところまで待たない」
その言葉には決意があった。
霊真は少しだけ目を細めた。
「よいことかと」
「そう思うか」
「はい。殿下にしかできないことですので」
アルフレッドは苦笑した。
「君は、本当にそういうふうに言うな」
「事実かと」
「君が言うと、妙に反論しづらい」
風が一度、二人のあいだを抜ける。
少し離れた回廊では、当然のように女子生徒たちがひそひそとこちらを見ていた。
「また王子殿下と……」
「何あの密会率」
「王子ルート、完全に再構築されてる感じある」
「でも主人公感はまだレイシンさん側なんだよね」
「それでいて殿下が攻略対象っぽいの何なの」
アルフレッドは深く息を吐いた。
「……この学園の生徒たちは、本当に勝手だな」
「そうでしょうか」
「君はもう少し、自分がどう見られているか気にしたほうがいい」
「最近、少し気にしております」
「それでその程度なのが厄介なんだ」
そこに、以前のような棘はない。
もうアルフレッドは、霊真に主人公の位置を奪われたような焦りだけで彼を見ていない。
霊真は霊真。
自分は自分。
そのうえで、自分にしかできない責任を果たす。
それでよいと、ようやく本気で思え始めていた。
◇
「実は」
とアルフレッドはさらに声を落とす。
「バルトランという学務主任がいる」
「はい」
「配置変更の中心にいる人物だ。まだ決定的ではない。だが、少なくとも“知らない側”ではない」
霊真は黙って聞く。
「今後、私は表から彼を揺さぶる。あからさまには動かん。だが、こちらが気づいていると知らせれば、向こうも必ず何か動くはずだ」
「危険ではありませんか」
「危険だろうな」
アルフレッドはあっさり認めた。
「だが、王子である私が動かねば、向こうはいつまでも“正しい舞台進行”の顔をしていられる」
その言葉に、霊真は静かに頷いた。
「殿下は、もう“選ばれる側”ではないのですね」
アルフレッドは少しだけ目を瞬いた。
それから、小さく笑う。
「その言い方は妙だが、たぶんその通りだ」
以前の自分は、王子という記号へ“選ばれている側”だったのかもしれない。
周囲が期待する王子らしさに沿って、舞台の上で正しく振る舞う役を与えられていた。
だが今は違う。
自分で選ぶ。
自分の責任で動く。
舞台そのものを疑い、必要なら壊す。
それはたぶん、本来の王子ルートではない。
だが、今の自分にはこのほうがしっくりくる。
「君のおかげだ」
とアルフレッドは言った。
「私でしょうか」
「君が、王子らしい位置を奪ったからな」
霊真が少し困った顔になる。
「奪うつもりはありませんでした」
「分かっている」
アルフレッドは笑った。
「だが、その結果、私はようやく別の場所へ立てた」
それは、負け惜しみではなく本音だった。
王子ルートの“主人公らしさ”は、たしかにかなり霊真へ吸われている。
けれどそのおかげで、自分は初めて、王子としての本当の責任へ正面から手を伸ばせた気がするのだ。
◇
その日の終わり、アルフレッドは自室へ戻ってから、教師名簿と配置変更記録をもう一度見直した。
バルトラン。
数名の来賓。
上級貴族グループの保護者層。
会場導線。
王子席から見える範囲。
セレスティアの立つ位置。
リリアーナの視線導線。
少しずつ、点が線になっていく。
「今度は、流されない」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
前回は遅れた。
前回は迷った。
前回は、自分が何者であるべきかに足を取られた。
だが今度は違う。
王子として選ばれる側でいるのではなく、
王子として選ぶ側に立つ。
それが、今のアルフレッドの答えだった。




