第37話 舞踏会前なのに、なぜか個別イベントが止まりません
九十九院霊真は、その日だけで六回ほど
「これは、もはや偶然の域を超えているのではないでしょうか」
と思った。
思った、ではない。
かなり本気でそう感じた。
しかも困ったことに、その違和感を口にすると、たいてい相手が少しだけ気まずそうな顔をする。
まるでこちらが、何か言ってはいけない“ゲームの仕様”みたいなものへ触れてしまったかのように。
もっとも霊真本人は、そういう意味では何も分かっていない。
ただ純粋に、
舞踏会前だからといって、なぜ皆さまこんなにも順番よく現れるのでしょう
と不思議に思っているだけだった。
◇
一回目は朝だった。
まだ中庭の石畳が朝露を少し残している時間帯、霊真が客室から出て寮棟脇の回廊へ向かうと、ちょうどその角をセレスティア・フォン・ローゼンベルクが曲がってきた。
「……あら」
セレスティアが一瞬だけ止まる。
霊真も足を止めた。
「おはようございます」
と霊真。
「お、おはようございます」
返事がわずかに詰まる。
最近のセレスティアは、霊真と不意に出くわすときだけほんの少しだけ反応が遅い。
「ずいぶん早いのですね」
セレスティアが言う。
「少し考え事をしておりましたので」
「……そう」
そこで会話が一拍止まる。
だが朝の回廊はそこそこ人目がある。二人で黙ったまま突っ立っていると、どうしても周囲の視線が集まりやすい。
実際、少し離れたところではすでに女子生徒たちがひそひそと話し始めていた。
「見て、朝イチでローゼンベルク様ルート」
「早くない?」
「舞踏会前補正すご……」
後半の意味はよく分からないが、視線の熱さは分かる。
「途中までご一緒しましょうか」
と霊真が自然に言う。
セレスティアは一瞬だけ目を見開き、それから小さく頷いた。
「……ええ」
並んで歩く。
朝の空気はまだ少し冷たい。
セレスティアの横顔は今日も整っていたが、視線だけは前より少しやわらかい。
だがこの“朝の登校導線がかぶる”感じが、霊真にはいかにも出来すぎて見えた。
――舞踏会前だからでしょうか。
そう考えたところで、まだ一回目だと気づく。
決めつけるのは早い。
だが、その考えは昼までにあっさり覆された。
◇
二回目は昼だった。
昼食を軽く済ませたあと、霊真が中庭の端で一息ついていると、今度はリリアーナ・フェアミントがやってきた。
「レイシンさん、ここにいたんですね」
「はい」
「ちょっとだけ、昨日の街の聞き込みの整理してもいいですか?」
リリアーナは最近、自分から動くことが増えた。
“庇われるだけの本来ヒロイン”ではいたくないと決めたからだろう。そこは霊真にもよく分かる。
だから一緒に昼食後のメモ整理をすること自体は不自然ではない。
不自然ではない、のだが。
朝にセレスティア。
昼にリリアーナ。
この並びがすでに少しだけ“都合がよすぎる”気もする。
二人は中庭脇のベンチへ座り、街で聞いた噂の経路や上級貴族グループの名を整理した。
リリアーナはノートを広げながら、いつものように一生懸命だ。
「やっぱり、外へ流れる頃には話が整いすぎてるんですよね」
「はい」
「誰かが“分かりやすい物語”にしてから流してる、って感じで……」
そこまで話したところで、リリアーナがふと手を止める。
「……何だか、こうして座ってると変な感じです」
「変でしょうか」
「いえ、その……最近、学園の中でこういう時間が増えてる気がして」
霊真は小さく頷いた。
「私も、そう思います」
リリアーナが少し目を丸くする。
「やっぱり?」
「はい。皆さまとの会話が、妙に順番よく増えているような」
「……それ、私もちょっと思いました」
彼女が小声でそう言った瞬間、ちょうど回廊の向こうをミレーユが通りかかり、こちらへ目を向けた。
タイミングがよすぎる。
いや、ここで三回目ではない。
まだミレーユは通りがかっただけだ。
そう自分へ言い聞かせるが、内心の違和感はどんどん強くなる。
◇
三回目は、もちろんミレーユだった。
昼食後の整理を終えて立ち上がった直後、彼女はやわらかい笑みを浮かべて近づいてくる。
「お二人とも、ちょうどよかったですわ」
ちょうどよすぎる。
「レイシン様、少し礼拝堂でお話ししてもよろしいですか」
来た。
礼拝堂イベントである。
最近の霊真は、さすがにそこまで言語化するほどではないが、
「ああ、ここで礼拝堂なのですね」
くらいの感覚は持ち始めていた。
「はい」
と霊真。
リリアーナは一瞬だけ何とも言えない顔になったが、すぐに笑顔を作る。
「じゃ、私は先に教室戻ってますね」
その笑顔の奥に、少しだけ複雑な色がある。
以前の彼女なら、それを自分でも認識できなかったかもしれない。
今は違う。
たぶん彼女自身も、少しだけ“自分は何を惜しいと思っているのか”を分かり始めている。
礼拝堂へ向かう道すがら、ミレーユが静かに言った。
「最近、こういう偶然が多いですわね」
「はい」
「皆さまもお気づきなのですね」
「少しずつ」
ミレーユは礼拝堂の扉を開けながら、少しだけ目を伏せた。
「わたくし、舞踏会前だからだと最初は思っていました」
「はい」
「ですが、それにしても“お話しするべき方々が順番に現れすぎている”気がするのです」
礼拝堂の中は涼しく、静かで、外の空気と切り離されている。
それでも今日のミレーユの言葉は、礼拝堂の落ち着きより少し先へ踏み込んでいた。
「やはり、イベント発生率が上がっているのかもしれませんわね」
その言葉に、霊真は少し考えた。
「発生率、でしょうか」
「……いえ、こちらの話ですわ」
ミレーユはやわらかく笑った。
だが、それは完全な冗談ではない顔だった。
◇
四回目は放課後前、アルフレッドだった。
午後の講義を終えて廊下へ出た霊真を、王子が静かに呼び止める。
「レイシン、少しいいか」
「はい」
王子は以前より、こういう呼び止め方がずいぶん自然になった。
妙な威圧も、過剰な遠慮もない。
人目を避けた小さな会談室で、アルフレッドは教師側の新しい動きについて共有した。
「会場設営に関わる教師の一人が、通常より早く配置表へ手を入れている」
「不自然でしょうか」
「かなりな」
話自体は重要だ。
だから呼ばれるのも当然だ。
当然、なのだが。
朝にセレスティア、
昼にリリアーナ、
礼拝堂でミレーユ、
そして午後には王子の極秘相談。
ここまで来ると、さすがに霊真も思う。
――舞踏会前は、皆さまとの会話が増える決まりでもあるのでしょうか。
思わずそのまま口に出した。
アルフレッドは一瞬だけ沈黙し、それから疲れたように笑った。
「君は本当に、そういうところで変に鋭いな」
「そうでしょうか」
「そうだ。私も今日一日で三人から同じような違和感を聞いた」
やはり、皆も気づき始めているらしい。
◇
五回目は夕方、ガイゼルだった。
訓練場の外れで待っていた彼は、霊真を見るなり言った。
「来たな。少し動くぞ」
「本日もでしょうか」
「舞踏会前だからな」
「舞踏会に向けて、体を動かす必要が」
「ねえよ。でも、イベント臭ぇ時ほど体動かしといた方がいい」
理屈としてはよく分からないが、ガイゼルなりの護衛感覚なのだろう。
軽い打ち合いに近い確認をしながら、彼は低く言った。
「今日、会いすぎだろ」
「はい。私も少し」
「だよな。朝からローゼンベルク、フェアミント、聖女候補、王子」
「はい」
「で、たぶんこのあとルシアンだろ」
完全に読まれていた。
「その可能性は高いかと」
「ほら見ろ」
ガイゼルは木剣を肩へ担ぎ直し、嫌そうに空を仰いだ。
「この学園、舞踏会前になると個別イベントでも回し始めるのかよ」
「個別イベント」
「いや、今のは気にすんな」
しかし、彼もかなり本気でそう感じているらしい。
◇
六回目は夜、もちろんルシアンだった。
図書塔の奥で待っていた銀髪の天才魔術師は、霊真を見るなり言った。
「来ると思っていました」
「私も、そう思っておりました」
するとルシアンがほんの少しだけ言葉に詰まる。
「……そういう意味ではなく」
「違うのでしょうか」
「違うとは言いませんが、今は術式の話です」
結局、夜の解析イベントまで揃った。
ここまで来ると、もはや美しいくらいだ。
朝から順番に、
セレスティア、
リリアーナ、
ミレーユ、
アルフレッド、
ガイゼル、
ルシアン。
主要人物との接触が、ほぼ見本のような順番で並んでいる。
図書塔奥の小机に測定結果を広げながら、ルシアンは険しい顔で言った。
「イベント発生率そのものが上がっています」
霊真は少しだけ目を瞬いた。
「やはり、そのような言い方になるのですね」
「ええ。否定しきれません」
ルシアンは紙の上へ細い線を引いた。
「術式の波形が、昨日までと微妙に違う。感情の揺れを押すだけではなく、“接触の偶然”が起こりやすい方向へ場が整えられている可能性があります」
「接触の偶然」
「ええ。舞台前の調整です」
その表現は、ひどく嫌な感じがした。
「つまり、世界が盛り上がりどころを作っていると」
「乱暴に言えばそうです」
ルシアンは深く息を吐く。
「舞踏会前に主要人物の感情をそれぞれ高めておき、関係性を濃くし、当日の衝突が最大化するよう整えている」
たとえば朝の偶然。
昼の会話。
礼拝堂での静かな相談。
放課後の秘密共有。
護衛訓練。
夜の解析。
全部が、当日に向けた“感情の濃度上げ”だとでもいうのだろうか。
「ずいぶん親切ですね」
と霊真。
「親切ではありません」
ルシアンは即答した。
「悪趣味です」
それはその通りだった。
◇
その夜、霊真は改めて皆へ共有するため、小さな会合を持つことになった。
集まった面々の顔を見ただけで、それぞれが似たような一日を過ごしていたのだと分かる。
リリアーナは少しそわそわしているし、
ミレーユは落ち着いているようでどこか目が泳ぐ。
セレスティアは完璧な顔の裏で明らかに疲れており、
アルフレッドは頭痛をこらえているような目をしていた。
ガイゼルはあからさまに「ほら見ろ」と言いたげだ。
ルシアンは最初から苛立っている。
「結論から申し上げます」
とルシアン。
「イベント発生率そのものが上がっています。術式が舞台前調整に入った可能性があります」
「やはり」
とミレーユ。
「そうですわね……」
とセレスティア。
「私も今日、ちょっと思いました」
とリリアーナ。
「やっぱり全員感じてたか」
とガイゼル。
アルフレッドが机へ肘をつく。
「今日一日で、私は君たちとそれぞれ別件で会った」
「はい」
と霊真。
「しかも、それが全部“ちょうどいいタイミング”だった」
「はい」
霊真の返事があまりに素直なので、アルフレッドは小さく苦笑した。
「そこで全部“はい”と返されると、何かこちらが過剰に意識しているみたいだな」
「過剰ではないかと」
と霊真。
「本当に、増えておりますので」
セレスティアが腕を組みながら、低く言った。
「つまり、この舞踏会は単に断罪の舞台というだけでなく、その前段階から“感情の濃さ”を整えられているわけですのね」
「ええ」
ルシアンが頷く。
「皆さまの関係がそれぞれに少しずつ濃くなるよう押されている」
「迷惑ですわね」
とセレスティア。
「大変」
とミレーユ。
「厄介ですね」
とアルフレッド。
「面倒だな」
とガイゼル。
「でも……」
リリアーナが小さく言う。
「それでも、押されてるって分かってるだけ少し違いますよね」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ変わる。
たしかにそうだ。
何も知らなければ、皆ただ感情に流される。
だが今は、“世界の仕様”めいたものが強まっていると知っている。
知っているのなら、少なくとも呑まれ方は変えられるかもしれない。
霊真は静かに皆を見た。
この学園は、舞踏会前になると本当に個別イベントが増えるらしい。
しかも、それぞれの感情を少しずつ濃くしながら。
だが今は、その悪趣味な親切さすら逆手に取るべきなのだろう。
皆の関係が濃くなっているのなら、
そのぶんだけ、舞台に押し込められた時に支え合える可能性も高くなる。
そう考えれば、まだやれることはある。
第二の断罪舞台は近い。
そして学園そのものが、そこへ向けて感情の火力を上げてきている。
ならばこちらも、その仕様を知ったうえで立つしかなかった。




