第36話 全ルート干渉型主人公、ついに世界の仕様へ喧嘩を売る
招待状は、妙に美しかった。
九十九院霊真は、その厚みのある紙を指先で持ちながら、まずそう思った。白ではなく、わずかに象牙色へ寄せた上質な紙。縁には細い金の飾り。記された文字は流麗で、癖がない。まるでこの会そのものが、最初から“上品で正しいもの”として疑われぬよう、外側を丁寧に整えているみたいだった。
公開討論会兼模擬舞踏会。
来賓あり。
上級貴族の子弟と奨学生の交流を目的とする。
学園の品位と調和を示す場。
文面だけ見れば、非の打ちどころがない。
だが今の霊真には、それがどうしても
「断罪ルートを再起動するための舞台装置」
にしか見えなかった。
彼がそう感じるのは一人だけではない。
この数日で、皆それぞれ別方向から同じ場所へ近づいていた。
王子アルフレッドは、教師陣の一部に不自然な動きがあることを掴み始めている。
ルシアンは、感情誘導術式が恋愛感情、優劣感情、独占欲まで増幅しやすいと推定した。
ミレーユは、学園の歪みが数十年単位で繰り返されていると記録から読み取った。
ガイゼルは、上級貴族グループが意図的に噂の起点として使われていると肌で感じている。
リリアーナとセレスティアは、実際に外へ流れていく噂が最初から“物語として整いすぎている”ことを確かめた。
そして、オルバスは言った。
この学園には、昔から“人の役割”を操るような歪みがある、と。
それらが全部つながって、今、目の前の招待状へ集約されている。
霊真は紙を閉じ、静かに息を吐いた。
「やはり、来ましたか」
嫌な予感が当たった、というより、ここまで来ると
「そういうふうに来させられた」
と感じる。
それがまた、不快だった。
◇
その日の夜、いつもの閲覧準備室には、前回よりさらに重い空気があった。
全員が招待状を持っている。
机の上へ並べれば、揃いも揃ってよくできた舞台の切符みたいに見えた。
王子には中央席。
高位貴族には前方の視線が集まりやすい位置。
奨学生代表は“交流の象徴”として分かりやすい場所へ。
討論の進行、舞踏会の導線、来賓の席順、どれもが整いすぎている。
「露骨ですわね」
とセレスティアが最初に言った。
声音は冷たい。
だが以前より、その冷たさの中身が分かりやすくなっていた。
これは高慢さではない。
警戒と、苛立ちと、それから自分がまた“そういう役”へ押し込められそうになっていることへの嫌悪だ。
「ええ」
ミレーユも静かに頷く。
「祈りの場でさえ、もう“誰がどこで何を言うか”を待つような空気が流れ始めています」
「教師側も妙だ」
とアルフレッド。
「この行事だけ、確認と承認の速度が不自然に早い。普通ならもっと調整に時間がかかる」
「つまり、上からも下からも“やる前提”で押されてるわけだ」
ガイゼルが腕を組む。
「はい」
とルシアン。
「しかも術式の脈動はさらに強くなっています。会場準備が進むほど、感情の偏りも強くなる」
リリアーナは招待状を見下ろしたまま、かすかに指先を握っていた。
「……何だか、もう最初から私たちがどう動くかまで決まってるみたいです」
その一言が、部屋を少しだけ静かにした。
最初から決まっている。
それはたぶん、皆がどこかで感じ始めていることだった。
王子は王子らしく。
悪役令嬢は悪役令嬢らしく。
本来ヒロインは守られる側らしく。
騎士は騎士らしく。
聖女候補は清らかに。
天才魔術師は孤高に。
最近の学園は、あまりにもそういう“記号”へ人を寄せたがる。
しかもそれが、感情誘導術式によって少し押されているのだとしたら。
「……この世界、ずいぶん親切ですわね」
セレスティアが皮肉っぽく言う。
「誰が何役か、わざわざ分かりやすく整えてくださるのですもの」
「親切というより、押しつけがましいですね」
とルシアン。
「押しつけがましいどころか、だいぶ趣味が悪い」
ガイゼルが吐き捨てる。
そこでふいに、アルフレッドが招待状を机へ置いた。
「私は思うのだが」
皆の視線が集まる。
「この学園の歪みは、単に“誰かを悪役へする”だけではないのではないか」
ルシアンが目を細める。
ミレーユは少しだけ身を乗り出した。
「続けてください、殿下」
とミレーユ。
「うむ。たとえば私だ。私は王子として、正しく、華やかで、導く側であるべきと期待されている。リリアーナ嬢は善良で、庇われ、守られ、選ばれる側であることを望まれている。ローゼンベルク嬢は高慢で、気高く、だが最後には断罪される役を押しつけられる」
アルフレッドは一人ずつ視線を向けた。
「ガイゼルは騎士として真っ直ぐで、力で守る役。ミレーユ嬢は清らかで揺らがぬ聖性。ルシアンは他人と交わらぬ孤高の天才」
「……否定しにくいですね」
ルシアンが低く言う。
「はい」
とミレーユも頷く。
「それでいて」
アルフレッドは最後に霊真を見た。
「君だけが、それに従わない」
部屋の空気が、少しだけ変わる。
誰もが薄々分かっていたことを、王子が言葉にしたからだ。
九十九院霊真は、この世界が用意した“攻略対象らしさ”にも“主人公らしさ”にも、妙にきれいに乗らない。
乗らないくせに、なぜか全部の中心へ来る。
それが、今や皆の共通認識になりつつあった。
「私もそう思います」
とルシアン。
「この世界は、人間関係を“攻略しやすい記号”へ固定しようとしている可能性が高い」
「攻略しやすい記号……」
リリアーナが繰り返す。
「ええ」
ルシアンは冷静に言う。
「王子は王子らしく、悪役令嬢は悪役令嬢らしく、聖女は聖女らしく。そういう役割がはっきりしているほど、物語としては消費しやすい」
「消費、ですのね」
セレスティアの声には薄い怒りが混じる。
「はい。だからこの歪みは気持ちが悪い」
ルシアンは珍しく感情を隠さなかった。
「人を物語の都合のよい駒に寄せていく」
その言葉を聞きながら、霊真はずっと考えていた。
皆、ようやくそこへ来たのだと思う。
この学園の歪みは、ただの陰謀でも、ただの恋愛騒動でもない。
もっと根本的に、
“人を決まった役へ押し込めること”
そのものを前提にしている。
そしてそれが苦しいのだとしたら。
たぶん、言うべきことは一つだった。
◇
霊真は静かに口を開いた。
「もしこの世界が、皆さまを決まった役へ押し込めるのだとしても」
その一言で、部屋がしんと静まる。
「それが苦しいのであれば、従う必要はないのではないでしょうか」
誰も、すぐには答えなかった。
あまりにもまっすぐで、
あまりにも単純で、
それなのに今この場では、それ以上の言葉がない気がしたからだ。
アルフレッドが最初に息を吐いた。
「……君は本当に、王族の面倒な教育を受けずにそこへ辿り着くのだな」
その苦笑には、諦めと感心が半分ずつ混じっている。
「たしかに、私はずっと“王子らしさ”へ縛られていた。だがそれが正しさだと信じすぎて、自分自身の目を曇らせてもいたのかもしれん」
王子の肩から、少しだけ重さが落ちる。
リリアーナは胸の前で手を握り、小さく頷いた。
「私も、たぶん“善い子でいなきゃ”って気持ちに押されてた気がします。怖いと思っても、嫌だと思っても、それをちゃんと見ないで、“優しい本来ヒロインっぽさ”みたいなものに流されてたのかも」
セレスティアはしばらく黙っていたが、やがて低く言った。
「……わたくしは、“悪役令嬢”として見られることに、気づかぬうちに慣れすぎていたのかもしれませんわね」
その言葉は重かった。
「高慢で、冷たくて、怖がられて、最後に悪い役を引き受ける。そういう視線を跳ね返すことばかり考えて、そもそもその枠へ入る必要があるのかどうか、考える余裕すらありませんでしたもの」
ミレーユは静かに微笑んだ。
「聖女候補も同じですわ。清らかで、正しくて、揺らがない。そうあるべきだと自分で思いすぎると、苦しいことすら口にできなくなる」
ルシアンは顔をしかめた。
「孤高の天才、ですか」
自分で言われるのは、かなり嫌だったらしい。
「たしかに、誰かと近づくたびに“らしくない”と言われることがありますね」
「実際、最近のおまえだいぶらしくねえぞ」
ガイゼルが言う。
「あなたにだけは言われたくありません」
ルシアンが即座に返す。
「俺もか?」
「あなたは騎士らしく、正面から力で守る役に押されている」
霊真が言った。
ガイゼルが少しだけ目を瞬く。
それから鼻で笑った。
「……まあ、嫌いじゃねえ役だがな。でも、勝手に決められるのは気に食わねえ」
「はい」
「だから従う必要ねえ、か」
ガイゼルは肩を回した。
「嫌いじゃねえな、その言い方」
こうしてみると、皆それぞれに“押し込められていた”のだ。
役割へ。
期待へ。
物語の都合へ。
そして、その枠を外してもよいのだと、初めて真正面から言われた。
◇
しばらくして、オルバス・グランディールが静かに口を開いた。
「レイシン君」
「はい」
「君の言い方は単純にすぎる」
「申し訳ありません」
「だが、今必要なのはその単純さかもしれん」
学園長は皆を見渡した。
「歪みは、人が自分から役を引き受けるほど強くなる。王子らしさ、悪役令嬢らしさ、本来ヒロインらしさ。そうしたものへ皆が従うほど、舞台は完成する」
「なら」
アルフレッドが低く言う。
「こちらは、その舞台から外れる動きを取るべきか」
「その通りだ」
とオルバス。
ルシアンはすぐに思考を切り替えたらしい。
紙へ新しい図を書き始める。
「では、次の公開行事では、予定された役割へ従わない配置を作るべきです」
「たとえば?」
とミレーユ。
「王子殿下が最初から中立を明示する。ローゼンベルク嬢を一人で中央へ立たせない。フェアミントさんを“庇われるだけの側”へ置かない。私とミレーユさんで、感情の揺れを会場周縁から観測する。ガイゼルさんは物理的な介入ラインを確保」
「そして私は」
と霊真。
「皆さまが苦しくないよう動けばよいのでしょうか」
「そうだ」
とガイゼル。
「そこがおまえの一番気味悪くて便利なとこだからな」
「気味悪い」
「褒めてんだよ」
「そうでしたか」
そのやりとりに、少しだけ笑いが起きる。
重い話の中で、その軽さがありがたい。
リリアーナがそこで、少しだけ顔を上げた。
「何だか……少しだけ怖くなくなってきました」
「本当ですの?」
セレスティアが問う。
「はい。もちろん、怖いのは怖いです。でも、決まった役へ従わなくていいって思うと、ちょっとだけ呼吸がしやすいです」
セレスティアはその言葉を聞いて、目を細めた。
それは以前なら“甘い”と切って捨てたかもしれない台詞だ。
だが今は違う。
「……ええ。たしかに」
その同意は、小さくても重みがあった。
◇
会議の終わり際、使用人が扉を叩いた。
「失礼いたします。皆さまへ、公開行事の最終案内でございます」
配られたのは、正式な式次第と座席配置、それに舞踏会参加対象者の一覧だった。
皆がそれぞれ紙を開く。
そして、ほぼ同時に空気が変わった。
露骨だ。
あまりにも露骨だった。
アルフレッドとセレスティアが、皆の視線を集めやすい中央近く。
その少し外に、リリアーナ。
討論の順番も、婚約と身分差を自然に対比しやすい構成。
来賓席には、上級貴族グループと近い人物たち。
教師側の配置も、妙に都合がよい。
これではもう、
セレスティア再断罪イベントの開始条件が揃った
としか言いようがなかった。
「……本気ですわね」
セレスティアが呟く。
「ええ」
アルフレッドが低く答える。
「今度こそ、舞台として完成させるつもりだ」
霊真はその紙を見つめながら、静かに息を吐いた。
第二の大舞台が来る。
だが、前と同じにはならない。
皆はもう、自分たちが押し込められている役を少し知っている。
そして、その役へ従う必要はないと、今ここで言葉にした。
世界の仕様がどうであれ。
学園の歪みがどれほど古く深くても。
苦しい役へ、人を閉じ込めることだけは許したくない。
その思いが、今のこの小さな共闘体制を一つへまとめ始めていた。




