第32話 王子ルート、本来の主人公力が霊真に吸われ始める
アルフレッド・ルミナス・エーヴェルシュタインは、自分が最近ひどく奇妙な立場にいることを、ようやくはっきり自覚し始めていた。
王子である。
それは生まれた時から変わらない。
王族として、学園の中でも外でも、一定の役割を背負っている。人前では凛としていなければならず、感情より先に場を見て、個人の事情より先に全体を考えるべきだと教えられてきた。
しかもこの王立エーヴェルシュタイン学園において、アルフレッドは単なる在学生ではない。
表向きにも“秩序の象徴”の一つだ。
誰かが争えば止めるべき立場にあり、
誰かが困れば手を差し伸べる側にあり、
大きな事件が起これば、その中心に立って収めるべき人間である。
少なくとも、そういうふうに見られてきた。
なのに。
「……おかしいだろう、どう考えても」
誰もいない自室で、アルフレッドは小さくそう漏らした。
机の上には学園内の報告書、教師の名簿、近ごろ不自然な動きを見せている上級貴族子弟たちの簡易な相関図、それからセレスティアの件で届いたいくつかの密告文の写し。
本来なら、こういう場面こそ王子の仕事だ。
学園内の不穏を察知し、調べ、守るべき人を守り、真実へ近づく。
なのに実際にはどうだろう。
中庭でリリアーナを抱きとめたのは九十九院霊真だった。
魔物騒ぎを鎮めたのも彼だ。
断罪の場へ割って入ったのも彼。
セレスティアの息苦しさへ最初に気づき、彼女を“悪役令嬢”ではなく一人の疲れた少女として見たのも彼。
学園の歪みを誰より先に違和感として掴み、
攻略対象たちの間へ平然と入り込み、
気づけば皆の視線の中心へ立っているのも彼。
――私の役目を、君が先にやってしまう。
前に一度、本人へそう言ったことを思い出す。
あれは半分冗談で、半分本音だった。
そして今は、その本音の比率がだいぶ大きくなっていた。
落ち込んでいるわけではない。
少なくとも、ただ拗ねているのではない。
霊真が嫌いなのでもない。
むしろ、好ましい人物だとすら思い始めている。
だが同時に、自分の中の何かが問われている感覚がある。
本来なら王子が担うべき“主人公らしい位置”を、
なぜ異世界から来た修行僧に自然と持っていかれているのか。
そしてそれに対して、自分は嫉妬しているのか、安堵しているのか、それとも別の何かなのか。
そこがまだ、はっきりしなかった。
◇
その日の午後、アルフレッドは九十九院霊真を中庭へ呼び出した。
場所は以前と同じ、南側の長椅子。
噴水の音が少しだけ遠くなり、花壇の色がよく見える位置だ。学園の中では比較的人目が少ないはずなのだが、不思議なことに、この場所で霊真と二人きりになると、だいたい誰かに見られる。
今回も案の定だった。
回廊の角に女子生徒二人。
少し離れた木陰にまた別の二人。
いかにも「通りすがりです」という顔をしているが、通りすがりにしては配置がよすぎる。
アルフレッドはもう、半ば諦めていた。
「……学園というのは、どうしてこうも人の会話へ意味を見たがるのだろうな」
長椅子へ腰を下ろしながらそう言うと、霊真は少しだけ考えた。
「物語が好きだからではないでしょうか」
その返答に、アルフレッドは一瞬だけ言葉を失う。
最近の霊真は、時々こういう妙に核心めいたことをさらりと言う。
「君は本当に、ときどき予想外のところから答えを持ってくるな」
「そうでしょうか」
「そうだ」
霊真は隣へ座った。
距離は近すぎず遠すぎず。相変わらず、妙に人の警戒心を刺激しない間合いを自然に取る。
だからこそ余計に、
「王子と転移者が昼下がりの中庭でまた密会している」
みたいな視線を集めるのだろうが。
アルフレッドは小さく息を吐いた。
「今日は、少し個人的な話でもあり、学園の話でもある」
「はい」
「君は、最近の学園をどう見ている」
霊真はすぐには答えなかった。
考えてから言葉を置くのは、彼の美徳の一つだとアルフレッドは思う。
「皆さまが、それぞれに“らしさ”を求められすぎている気がします」
「らしさ」
「はい。殿下は王子らしく。リリアーナ殿は善良な少女らしく。ローゼンベルク殿は悪役令嬢らしく。ガイゼル殿は騎士らしく。ミレーユ殿は聖女候補らしく。ルシアン殿は孤高の天才らしく」
そして少し間を置き、霊真は続けた。
「それが皆さまを少しずつ苦しめているように見えます」
その言葉は、アルフレッドの胸へ静かに沈んだ。
王子らしく。
たしかに、自分はその言葉へずっと縛られてきた。
正しい王子であること。
人の上に立つ者らしくあること。
感情に流されず、気高く、迷わず、場を治めること。
その理想は間違っていない。
だが、理想が強すぎると、現実の自分がどこにいるのか分からなくなる。
「君は……」
アルフレッドは視線を前へ向けたまま言う。
「私が、最近どう見える」
「以前より、人らしく見えます」
「人らしく」
苦笑が漏れた。
「王子ではなく?」
「王子でもあります」
霊真は静かに答える。
「ですが、以前より“王子でなければならない人”ではなく、“王子であろうとしながら迷っている人”に見えます」
また、そうやって、ひどくまっすぐなことを言う。
アルフレッドは長く息を吐いた。
「君は、慰めが下手だな」
「申し訳ありません」
「いや、下手なほうが助かる時もある」
それは本音だった。
今、自分に必要なのは都合のよい慰めではない。
どう見えているかという、少し痛くて、だが逃げずに済む言葉のほうだ。
「私は、最近ようやく気づいた」
アルフレッドは言う。
「この学園で起きる大きな出来事の中心に、いつのまにか私ではなく君が立っていることに」
霊真は黙って聞いている。
「本来なら、王子である私が動くべき場面だった」
「はい」
「ヒロインを助けるのも、令嬢と対峙するのも、学園の秩序を守るのも、事件の真相へ手を伸ばすのも」
自分で口にしながら、アルフレッドは少しだけ可笑しくなった。
まるで本当に、
“王子ルートの主人公”
みたいな言い方だ。
だがこの世界の空気自体が、そういう言い回しを不思議と成立させてしまう。
「なのに、現実には君がやっている」
アルフレッドは横目で霊真を見る。
「どうしてだと思う」
霊真はやはり、すぐには答えなかった。
考えた末に、こう言った。
「私のほうが、役割に無頓着だからかもしれません」
その答えに、アルフレッドは思わず笑った。
「無頓着」
「はい。私は、誰がどういう立場におられるかを理解しようとはしますが、それによって“この方はこう振る舞うべき”とあまり考えませんので」
「それはつまり、私が考えすぎていると?」
「そうかもしれません」
容赦がない。
だがやはり、それが少しだけ救いでもある。
「私は王子だ」
とアルフレッド。
「はい」
「王子である以上、正しくあろうとするのは当然だ」
「はい」
「だが最近、その“正しさ”がどこか空回りしていた気がする。王子らしく場を収めようとするほど、誰かを見失っていた」
懇親会の夜のことが、今でも胸へ刺さっている。
あのとき自分は、セレスティアの顔を見ていたようで、本当には見ていなかった。
王子としての振る舞いを優先するあまり、一番見るべきものを取りこぼしかけていた。
「ならば私は、これからどうあるべきだと思う」
それは王子として部下へ命じる問いではなく、一人の青年が他人へ助言を求める問いだった。
霊真は少し考えた。
今日の中庭には風がよく通る。花壇の花が揺れ、遠くで誰かの笑い声が聞こえた。
しばらくして、彼は静かに言う。
「殿下にしかできない位置へ立たれるのがよいかと」
「私にしかできない位置」
「はい」
「たとえば?」
「表の権限を使うことです」
その言葉に、アルフレッドは目を細めた。
「君はできます。誰かを助けるために前へ出ることが」
「はい」
「ですが、学園教師や運営側の情報を表から動かすことは難しいのでは」
「……確かに」
「上級貴族の動きに公的な目を向けることも、礼拝堂や寮区画の見回りを増やすことも、学園内の人間へ“表向きの圧”をかけることも、殿下のほうが自然です」
霊真はそこまで言って、一度視線を上げた。
「私は、皆さまが苦しくないほうへ動きたいだけです。ですが殿下は、そのために使える立場をお持ちです」
アルフレッドは黙った。
王子としての役割を、ただの縛りではなく、使うべきものとして言い換えられた気がしたからだ。
今までの自分は、王子であることを“正しく振る舞うための檻”として抱えていたのかもしれない。
だが霊真の言うとおり、それは同時に“動かせる権限”でもある。
それなら。
それなら、霊真に奪われた主人公性を嘆くのではなく、
自分にしかできない立場へ進化すればいい。
「……なるほどな」
アルフレッドは小さく笑った。
「私がやるべきは、君と同じことをすることではない、か」
「はい」
「君が前へ出て見つけた違和感を、私は表の権限で形にする」
「そのような形かと」
アルフレッドは背もたれへ軽く身を預けた。
胸の内のもやが、少しだけ晴れる。
嫉妬していたわけではない。
いや、少しはあったかもしれない。
だがその嫉妬の中身は、“王子である自分が本来担うべき位置にいられない”ことへの焦りだったのだろう。
ならば答えは簡単だ。
自分にしかいられない位置へ立てばいい。
◇
「実はな」
少し間を置いてから、アルフレッドは声を落とした。
「教師陣の一部に、不自然な動きがある」
霊真が視線を向ける。
「先日、私の立場でしか読めない報告をいくつか見た。寮の巡回経路、礼拝堂の記録閲覧申請、上級貴族子弟への懲戒の見送り――どれも小さい。だが、小さい不自然がいくつか重なっている」
「教師が、関わっている可能性があると」
「まだ断定はしない。だが、少なくとも誰かが“見て見ぬふり”をしている気配はある」
これは大きい情報だった。
ルシアンの理論。
ミレーユの記録。
リリアーナとセレスティアの聞き込み。
ガイゼルの実地感覚。
そして今、アルフレッドが表の権限から見つけた教師側の不自然。
少しずつ、輪郭が近づいている。
「ありがとうございます」
と霊真。
「礼を言われるのはまだ早い」
アルフレッドは苦笑した。
「ようやく私は、王子としてやるべきことを自分の足で選び始めたにすぎない」
「それでも、大きな一歩かと」
「……君は、人を立たせるのが上手いな」
「そうでしょうか」
「そうだ。しかも無自覚に」
そこがまた、妙にこの男らしい。
少し離れたところで、やはり女子生徒たちがざわついていた。
「またあそこ……」
「王子殿下とレイシンさん、最近ほんとに会話イベント多くない?」
「何あれ、王子ルート修正入ってる?」
「でも主導権、完全にレイシンさん側に見えるのがすごいんだけど」
「逆に殿下が攻略対象っぽい」
アルフレッドはこめかみを押さえた。
「この学園は、なぜこうも人の関係を勝手に物語化したがるのだ」
「好きだからでは」
と霊真。
「その答えが的確すぎるのも腹立たしいな」
けれど今は、以前ほどそのざわめきに苛立たなかった。
たしかに自分は、本来なら“王子ルートの主人公”として期待されていたのかもしれない。
だが今はもう、その記号に乗るだけでは足りないと分かっている。
王子である自分にしかできない役目がある。
それを選び直せばいい。
◇
中庭から戻るころには、アルフレッドの足取りは来たときより少しだけ軽くなっていた。
完全に迷いが消えたわけではない。
だが、迷いの向きを変えられた気がする。
もう、九十九院霊真へ“主人公らしい位置”を奪われたかどうかで悩む必要はない。
自分は自分にしかできない場所で動けばいい。
教師側の不自然な動きを洗う。
寮の巡回と記録閲覧の権限を見直す。
必要ならば学園長オルバスとも、もっと踏み込んだ話をする。
王子という立場を、“正しく見えるため”ではなく、“歪みを剥がすため”に使う。
それが今の自分の役目だ。
アルフレッドはふと、横にいる霊真を見た。
この男は相変わらず、自分がどれだけ他人の軸を動かしているか分かっていない顔をしている。
「君は、本当に厄介だな」
「そうでしょうか」
「そうだ。だが、助かる厄介さだ」
「それはよかったです」
また、そういう返しをする。
アルフレッドは小さく笑った。
王子ルートは、たぶんもう元には戻らない。
本来の主人公力のようなものは、かなり霊真へ吸われている。
けれどそれでいいのかもしれないと、今は少しだけ思えた。
そのぶん自分は、もっと別の強さへ進める気がしたからだ。




