第76話 私には、こうするしか思い浮かびませんから
「はぁっ!?本格的に芝居の勉強を始めて、まだ半年と少し!?」
「ご、ごめんなさい!?」
私が座長のサイドの台本読みを終えての、よく冷えた2日後の事。
私サイドの”西城ミサ”役、葉月蘭さんと駅から歩いていた。
目的地は、劇団シラユキが所有する稽古場。今日はそこで、ひなのちゃんサイドの台本読みの日。
由芽ちゃんは千奈さんとのお仕事らしく、仲良くなった(?)鳴海さんも他のお仕事。
かなみちゃんは朝から祥子さんと千早さんと会議らしく、私のお誘いに乗ってくれたのは1人だけでした!
胸元くらいまでの長さの綺麗な水色のゆるふわパーマに、目鼻立ちのくっきりとした綺麗なお顔。
服装もフリルの付いたお淑やかなもので、てっきり性格もそんな感じで大人しい人なのかなと思ってはいたんだけど……。
「あの天城華香さんと如月由芽さんの弟子で、おまけに本人も天才だなんて……。わ、わたくしの立つ瀬がありませんわ……」
「そ、そんな事ないですよ!?私は環境に恵まれているし、それでも葉月さんの方が上手なわけで──」
「いくら天才とはいえ、これで柊さんの方が上手でしたら本当に泣きますわよ!?」
「す、すみません……」
如何にもお嬢様な喋り口調もさることながら、どことなく面白い人で。
今も頭を抱えて泣くふりをしているし、もしかしてボケ側の人なのかな……?
「……まぁいいですわ。わたくしのすることは変わりませんもの」
「あ、あはは……」
かと思えば、その言葉と一緒にきりっと普段の表情に。
葉月さんは確か同い年だし、友達になりたいなぁ……。
「葉月さんは、どうして役者に?」
「それを聞いてどうするんですの?」
「えっと、雑談……的な?」
「…………少しだけですわよ」
そう言いながら、葉月さんは諦めたみたいに溜息を吐く。
超絶コミュ強の由芽ちゃんを少し参考にしてみたけど、本当に効果ありだなんて……。
「役者を始めたのは小学6年生の時。きっかけは貴女の師匠である天城さんと、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった笹森せなさん。今も昔も、わたくしが目指す人たちですわ」
「甘城先生と、せなさん……」
初めてかもしれない。由芽ちゃんたちを除いて、せなさんのお話を聞くの。
せなさんも、やっぱり凄い人。
こんな風に誰かの憧れになるなんて、今の私じゃまだ無理だよね。
「両者ともわたくしには真似できない、憑依演技の天才。わたくしは芝居中でも考えてしまう質ですから、あの人たちのようには振舞えない。本音を言えば、それが出来る貴女が羨ましくてよ」
「……それは、違うんです」
最初の私は、ただ憧れの人の演技を真似てただけ。
今だって、由芽ちゃんの補助がなかったら憑依演技は安定してくれない。
「私は見つけてもらっただけなんです。この才能も、由芽ちゃんに見出してもらっただけ。だから──」
「気に食わないですわ」
「むえっ!?」
な、何事!?
いきなりほっぺ摘ままれてる!?
「確かに羨ましいですけれど、それはそれとして磨いてきた自分の能力にはプライドがありますの。だから貴女の今の言い方は、少々イラっときましたわ」
「へ、っほ……」
そ、そんなこと言われても、私が恵まれているだけなのは事実だし。
未だに独り立ちが出来てない役者なんて、それを誇るなんてそっちの方が失礼じゃ……。
「運も実力のうちと言うように、その環境で才能を見つけて貰えたのも柊さんの実力。わたくしが羨む才能を持っているのに、そんな卑下をするなんて許しませんわ」
そう言って、葉月さんはゆっくりと手を放す。
表情こそムッとしているけど、全身から怒気は感じない。
この一幕だけで分かってしまうくらい、葉月さんは優しい人なんだね。
「……はい、すみません」
「もう少し、自分を誇ったらどうですの。少なくとも実績としては、今回の舞台での主演は破格のものでしょうに」
「……そうですよね。少し、ナイーブになっちゃってたかも」
最近は、どんな場所でもこの舞台の事を考えてしまう。
それはきっと座長として正しいことだけど、それが重圧になったら本末転倒。
由芽ちゃんも支えてくれているんだから、もう少しドシっと構えてなきゃ。
「まぁ、無理もないですけれど。まだまだ駆け出しの役者が、現代日本No.2の役者をサブに回して、No.1と3の役者と競い合う。ぶっちゃけ、正気の沙汰じゃありませんわね」
「うぐっ……!ほ、本当ですよね……!」
「それでも、やりようはいくらでもある。スポーツとは違う、芝居ならではの。その為の、今日の敵情視察ですもの!」
「葉月さん……!」
しっかりとした基礎は大前提だけど、心の持ちよう一つで芝居は劇的に変わる。
師弟になった頃、由芽ちゃんが教えてくれた事だよね。
「うん!今日は沢山勉強しましょうね、葉月さん!」
「ええ、勿論。期待していますわ、柊さん」
△
感情のコントロールには、明確ではないにしろ段階がある。
私がお芝居について調べ始めてから、先生に教えられたものです。
一段階目は、初歩的な”意識”。
役者に限らず、意識さえすれば誰しもが出来る基礎能力。
二段階目は、修練や才能で得られる”技能”。
役者や芸能に関われば、次第に身についていく技術。
三段階目は、絶え間ない研鑽と知識の果てに使える”特殊技能”。
演技というものが芝居でなくなるほどに、ごく自然に出来るようになった役者だけが至れる天才の境地。
そして、その三段階目こそがトップの役者である証。
そのレベルにまで到達すれば、役者として埋もれる事はない。
先生は、ホワイトボードに書かれた一番最後の項目に触れずにその講義を終えました。
でも、私はちゃんと見ていました。
四段階目と書かれた、感情のコントロールの完成形。
日本、ひいては世界でも数人しか到達できていない、”感情の支配”の能力。
『……もう。リコはいつも急なんだから』
繊細で、魅力的で、それでいてまるで世界に溶け込んでいるかのよう。
いいえ、強いて言うなら世界を作っているかのような演技でしょうか。
舞台上で裏方も含め大人数で作るはずの物語の世界観を、たった一人で作り出す。
「すごい…………」
どこからか聞こえたその感嘆詞は、決して一緒に芝居をしている私に向けられたものではありません。
だって、私ですらその一挙手一投足に見惚れてしまっているんですから。
「……ちょっと、ひなの?次、貴女のセリフよ?」
「は、はい!えっと、すみません……」
「…………少し休憩しましょう?いいですよね、皆さん」
「ええ、そうしましょうか」
「つ、疲れました……!」
「あはは、初日でよくやってる方だよ依っち!」
その一言で、皆さんは一旦休憩に。
凛ちゃんはそこから、見学に来ていた彩香さん達に話しかけに行きました。
そんな皆さんを横目に、私は一人壁際に。
少し前、私と映画で共演した時は、そんな風に積極的に誰かに話しかけに行かなかったのに。
いつの間にか、凛ちゃんはコミュニケーション能力も向上していて。
今この場では、誰よりも主演らしく在れている。
一度だって、凛ちゃんに勝っているなんて驕ったことはありません。
一度だって、ゆーちゃんに勝っているなんて驕ったことはありません。
私じゃ出来ない、到達出来ていない”感情の支配”。
凛ちゃんが出来るそれは、きっとあの舞台で日本中を魅了したゆーちゃんだって出来る。
つまりは──
「顔、暗いわよ」
「ひゃっ!?り、凛ちゃん?」
「ひなのちゃん、体調悪い?顔色が……」
「彩香さんも……。え、えっと、大丈夫です!気にしないでください!」
「そ、そう?」
「…………体調管理はしっかりね。《双翼》で体調を崩してた柊さんもですよ?」
「うっ……!も、勿論気を付けてマス……!」
……いけませんね。
ないものねだりや焦りは、どうしたって心を黒く変色させてしまいます。
嫉妬も羨望も絶望も、正しく乗り越えてきたはずなのに。
今の自分の立ち位置を客観視してしまうと、負の感情が表出してしまいそうで。
「でも、見に来てよかった!ひなのちゃんの演技、すごく参考になるよ!」
「本当ですか?でも、私もまだ役を掴みきれていなくって……」
「それでもだよ!本当に、流石は由芽ちゃんと凛ちゃんのライバルだなって感心するもん!」
「……ふふっ、それは光栄です」
劣っているどころか、明確に次元が違う。
そんな二人と一緒に持ち上げられると、とても苦しくはありますけど。
「私、ちょっと電話してくるから」
「あ、はい。行ってらっしゃい、凛ちゃん」
あの様子だと、凛ちゃんには私の今の実力も見抜かれているでしょうか。
少なくとも、ゆーちゃんと比べて見劣りするのはすぐ分かるでしょうね。
「……彩香さん、少し質問していいですか?」
「え?うん」
「……彩香さんは役者として、凛ちゃんとゆーちゃんの事をどう思いますか?」
「凛ちゃんと由芽ちゃんを?」
ゆーちゃんと対等で居るために培った技術や能力も、今では遠く及ばない。
彼女たちと私の間にあるのは、きっと残酷なまでの才能の差。
彩香さんは、それをどう思うのでしょうか。
私と対極の才能を持つ彩香さんに、それを聞いてみたいと思ってしまいました。
「そうだねぇ……。とりあえずは、超えるべき目標だと思ってる」
「目標ですか」
「うん。実力でも経験でも、多分二人の背中に指すらかけられない。それでも、いつかは越えなくちゃいけない二人だから」
「それは、どうして?」
「だって、それが由芽ちゃんへの恩返しにもなるから!」
途方もない実力差を分かっていながら、追いつけないかもしれない不安を抱えながら。
それでも尚、ゆーちゃんの事を想って高みを目指せる。
それは、ゆーちゃんが支えてくれているからでしょう?
ゆーちゃんに頼っていられるから、自身を疑わないんでしょう?
ゆーちゃんという光を浴びているから、明るく振舞えるだけでしょう?
「…………いいえ。それは私もですね」
「ひなのちゃん?」
「ふふっ、すみません。彩香さんも私も、似た者同士だったんだなって」
「そ、そうなの?」
ゆーちゃんという存在に依存して助けられているのは私も同じ。
更に言うなら、その依存の歪さはきっと私の方が酷く醜いもの。
本当、客観視なんてするものじゃありませんね。
「彩香さん。以前お話したこと、覚えていますか?」
「…………由芽ちゃんが欲しいって言ってたこと?」
「はい、そのことです」
ごめんなさい、彩香さん。
個人的には、貴女の事はとても好ましく思っています。
きっと出会いと環境が違えば、貴女の事をライバルだと言えたのかもしれませんね。
それでもなんです。
もう私には、笹森ひなのという人間には。
〖大好きだよ、ひなの!!〗
ゆーちゃんしか、執着するものが残っていないんです。
「改めて言います。ゆーちゃんと一緒にこの舞台に立つ権利を、私に下さい。祥子さんには、私から直談判をしますので」
「…………仮に直談判が通って、他の皆さんが納得すると思う?」
「いいえ。でもいいんです。私は、その醜いエゴを貫くだけですから」
「舞台が壊れても?」
「壊れませんよ。ゆーちゃんと凛ちゃんがいる以上、この舞台の成功は最初から約束されています」
口ではそう言いますが、勿論二人に丸投げをするつもりはありません。
でもこうでも言わないと、優しい彩香さんは今から言う事に乗ってくれないでしょうから。
「ひなのちゃん……」
「ただ、一方的に要求が通るとも思っていません。ですから、勝負をしませんか?」
「勝負?」
「はい。この勝負に負けるなら、私はこんな事を二度と言わないと誓います」
怪訝な目をして私を見る彩香さん。
その瞳には、優しい彩香さんだからこそ戸惑いが多く含まれてしまっている。
ですから、なるべく悪者のように振舞いましょう。
彩香さんが勝ったとしても、罪悪感なんて感じないように。
誰かに知られても、その誰かが彩香さんを護ってくれるように。
これはただ、私が暴走してしまっているだけなんですから。
「1か月後、ゆーちゃんと凛ちゃんと一緒に4人でお芝居をするんです。そこで、優劣を競いましょう」




