幕間IF もしも、少しだけ
あの時、彼女が少しだけ強く在れたなら。
そんな、もしかしたらの物語。
「待って。電話切らないで、せなお姉ちゃん」
違和感と呼ぶには、余りにも些細すぎるもので。
それでもわたしは、その吹けば飛ぶモヤモヤを確かめずにはいられなかった。
「ゆ、ゆーちゃん?どうかしたの?」
「……今、どこにいるの?」
「えっと、会社の事務所を出たところだけど……」
根拠もないし、直観なんて気の利いたものが作動してくれたとかでもなくて。
ただ、最近の弱っていたせなお姉ちゃんの姿が、ふと頭に過っただけで。
「そこで待ってて?迎えに行くから」
会いたい、触れたい、話したい、面と向かって。
そんな欲求に従うように、電話をしながら稽古場に戻っていく。
「ええ!?きゅ、急にどうしたのゆーちゃん!?今からでも会えるのは本当に嬉しいんだけど……」
「少しだけ、わたしのわがままに付き合ってほしい。ダメかな?」
「ゆ、ゆーちゃんにそこまで言われたら、私は断れないよ……」
「えへへ、大好き!今からせんせとひなのと稽古場出るから、ちゃんと待っててね!」
「……うん、ありがとゆーちゃん。私も、ゆーちゃんの事大好き!」
愛しい恋人との電話を終えると、先に稽古場に居たせんせとひなのが目を丸くしていて。
そんなポカンとしている二人を急かす為に、顔の前で手を合わせた。
「えっと、せんせに車出してほしいな~って!」
「それはいいけど、さっきの電話の相手はせな?あの子を迎えに行くの?」
「うん!なんとなく、今日はそうしたい気分なの!」
「……そう。それならしょうがないわね」
なんだかんだ言って、せんせってわたしに甘いよね!
このお礼は、またどこかでってことで!
「さ、帰り支度!急がせてごめんね、二人とも!」
「……ふふっ、気にしないでください。ゆーちゃんに振り回されるのは、慣れっこですから!」
ひなのの言葉に安堵して、思わず抱きしめてしまう。
そんなわたしに軽く文句を言いながら、わたしを抱きしめ返してくれた。
本当に、ひなのと親友になれて幸せ者だよ、わたし。
──
迎えに行けば、せなお姉ちゃんはいつも通りで、帰りの車内ではとても楽しそうで。
でもそんな恋人の姿を見れたから、きっとあの選択は間違いじゃなかったんだよね。
そんな変な出来事から数日。
予定通り、せなお姉ちゃんとわたしは水族館デートの前日にお泊まり会を開いた。
場所はいつも通り、笹森家のせなお姉ちゃんの部屋。
そこでわたしは、モヤモヤの違和感の正体を知ってしまった。
「なに、これ…………」
せなお姉ちゃんの部屋で見つけた、1冊のノート。
何気なく開けた机の引き出しにあった、何の変哲もない日記帳代わりのノート。
《また、上手く演じれなかった。このままじゃ、ゆーちゃんに置いて行かれちゃう》
《今日はゆーちゃんの舞台を見に行った。綺麗で、繊細で、自分と共演者を最上にする芝居。だから、私はもっと頑張らなきゃって、思った。置いて、行かれないように》
《自分の部屋が、何故か懐かしい感覚がする。多分、役作りをしすぎたせいかな。えへへ、先生にこの芝居は辞めろって言われてたのに。ごめんね先生、要領の悪い教え子で》
《でも、ゆーちゃんの隣にいるには。これしか、ないんだよ》
日記はそこで止まってて、最後のページには濡れた跡。
それが涙だと思ったのは、ポツポツと斑点のように跡が付いていたから。
「お待たせ〜!ゆーちゃんの好きないちごミルクは無かったけど、オレンジジュースな、ら……」
背後から聴こえたせなお姉ちゃんの声は、徐々に小さくなって。
わたしが振り向けば、その綺麗な顔はゆっくりと青くなっていく。
ああ、やっぱりそうだよね。
これはきっと、誰にも見られたくないものだったんだ。
「……ごめんなさい、見ちゃった」
「……あ、はは。えっと、うん。あの、ね?私……」
しどろもどろになるせなお姉ちゃんの手からお盆を受け取って、机の上に置く。
そしてそのまま、せなお姉ちゃんの手を引いてベッドに連れていく。
「ゆ、ゆーちゃん……?」
わたしは小さい頃から、何不自由なく生きてきて。
勉強もスポーツも人間関係もお芝居も、苦に思った事なんて数える程しかない。
そんな周囲に恵まれているだけの人間だから、人の機敏を感じるのが下手なんだと今更気づいた。
きっとそんな人間の吐く言葉は、薄っぺらい励ましにしかなれなくて。
そんな人間に頼ろうと思う人なんて、数える程もいないと思う。
「……せなお姉ちゃん」
「…………うん」
何を言えば、何を語れば、何を捧げれば。
そんな思考は結論に結びつかなくて、何度も頭の中で回転し続ける。
きっと、わたしの言葉は暴力だ。
才能だけである程度の事を出来てしまう、周囲に恵まれ過ぎているわたしの言葉は、誰よりも強い暴力になってしまう。
だから──
「ゆ、ゆーちゃん!?」
「……少しだけ、こうさせて」
こうして恋人を抱きしめるしか、わたしに出来る事がない。
もっともっと大人なら、言葉で助けられるのかな。
もっともっと大人なら、自分の経験を話せるのかな。
もっともっと大人なら、考えつかない手段を使えるのかな。
……わたしが、頼れる人間なら。
せなお姉ちゃんを、導いてあげられるのかな。
「ぐす、ひっく……」
「…………ゆーちゃん」
情けない、頼りない。ここにいるのは、ただの弱虫だ。
大切な恋人1人の不安も除けない、ただの泣き虫だ。
そんなわたしの背中に腕を回して、せなお姉ちゃんはわたしを抱きしめる。
それに安堵してしまう自分が、わたしは嫌いだ。
「……どうして、私には才能が無いんだろうって。ゆーちゃんとお芝居してると、よく思うの」
震えた声で、せなお姉ちゃんはそう言った。
「私の方が先に始めたのにとか、私の方が年上なのにとか、私は姉弟子なのにとか。……私はゆーちゃんに敵わないって、思っちゃうの」
その慟哭はとても重くて、とても苦しくて。
「ずるい、ずるいよゆーちゃん。だって、私、ゆーちゃんより秀でてるものが1つでもないと、ゆーちゃんの恋人って資格も無くなっちゃうんだもん」
そんな事ないって、わたしの方が弱いんだよって。
そんな戯言は、きっと口に出せばせなお姉ちゃんの否定に繋がってしまう。
「……ゆーちゃんは知ってるかな?憑依演技ってとても魅力的だけど、同時に負担も凄くて。段々と、役と自分の境目が無くなっちゃうんだ」
知ってるよ、調べたよ。
せなお姉ちゃんのその演技技法はわたしやひなのと比べても特殊だから、たくさん勉強したんだよ?
だからわたしが”笹森せな”の楔になろうって、帰ってこられる場所になろうって。
だって、好きだから。
わたしにとっての、陽だまりだから。
「時々、世界が灰色になったりしてね。でも私はお姉ちゃんだから、自分で何とかしないとって」
息が詰まって、嗚咽に代わって。
どれだけ一人で抱え込んでたんだろう。
負の感情を抑え込んで、周りには気丈に振舞って。
自分じゃなくなる恐怖を感じながら、それでもわたしに心配させないようにって。
そっか。あの時感じたモヤモヤは、せなお姉ちゃんが無意識に出していたSOSだったんだね。
「怖くて、辛くて。でも先生は今は違う事務所だし、ひなのは妹だし、お母さんもお父さんはお芝居の事分からないし……!」
「……うん」
「もう、どうしたらいいかわからなくなって……!そんな時は、ゆーちゃんに会いたくて、触れたくて!そんな弱い自分が、嫌いなのに……!」
ハグを止めて、せなお姉ちゃんと距離が離れる。
そうして見えたせなお姉ちゃんの表情は、涙で歪んでしまっていて。
「…………助けて、ゆーちゃん」
震える声で、小さな声で、せなお姉ちゃんはそう言った。
だから、パジャマの袖で涙を拭って、せなお姉ちゃんの手を握る。
震える手を握り締めて、もう不安にさせないために。
誰よりも愛おしい彼女を、安心させるために。
「任せて。もう大丈夫だからね、せなお姉ちゃん」
△
どれだけ器用でも、人1人の為に自分の全てを費やすのはとても大変で。
わたしの持ってるものを全部使っても足りないのは当たり前で、それでもそんな現実を越えるための努力をし続けた。
きっとこの時のわたしは、生涯通しても一番頑張ったと思いたい。
結果、せなお姉ちゃんは一年間の療養と事務所の移籍をすることに。
移籍先は、なんとせんせがいつの間にか作っていた芸能事務所!
ここならせんせの影響力も相まって色々と融通が利くからと、元の事務所さんも気軽にOKしてくれた。
それくらい、せなお姉ちゃんの才能は重宝されているもの。
せんせにもかなみちゃんにもひなのに、周りの皆に知恵を借りて。
改めて、わたしは周囲に恵まれているんだと再確認できた。
あの夜から時間は流れて、今日は療養という名目で水族館デート。
もう3ヶ月もすればわたしも高校生になって、本格的に芸能活動を始める関係で時間取れなくなっちゃうし、これくらいはいいよね!
「可愛い〜!!ね、ね!あのお魚、凄く可愛くない!?」
「うん……!!私のゆーちゃんが可愛すぎて、ちょっとダメになりそう……!!」
「ふふっ、なにそれ♪」
とてもとても楽しい、最愛の人との2人きりの時間。
最初こそせなお姉ちゃんからの告白だったけど、今ではわたしの方がきっと好きになってる。
勿論せなお姉ちゃんの気持ちを疑う事はないけど、それでもわたしの方が好きだと言えるくらいには。
綺麗な淡い茶色のセミロングの髪に、深く輝く黒の瞳。
整えられた少しのタレ目も、見る人全てを魅力する弾けるような笑顔も。
その全てが、大好きなせなお姉ちゃんを形作っている。
「ゆーちゃん?どうかした?」
「……ううん、なんでも!ただ、せなお姉ちゃんの事が大好きだなって!!」
「う゛っ……!?」
「せ、せなお姉ちゃん?」
「は、反則だよゆーちゃん…………!」
「ええ……?」
こうやって時々するオーバーなリアクションは、少し苦手ではあるけど。
でもこれだって、わたしを笑顔にさせようとしてくれてるもの。
「……せなお姉ちゃんは?」
「え?」
「わたしの事、すき?」
「…………本当に、私のゆーちゃんが世界一可愛くて困っちゃうや」
そう言いながら、せなお姉ちゃんはわたしの頬に手を添える。
少しして、わたし達の間に距離は無くなった。
人気が少なくて、少し暗めな場所で良かった。
名残惜しそうに顔を離すせなお姉ちゃんは、いつの間にか首元まで赤くなってて。
もうキスの先も終えているのに、その純粋さがとても可愛く思えた。
「好きです、ゆーちゃん。……だから、一生隣に居て欲しいな」
「…………はい。わたしは、せなお姉ちゃんの隣に生涯居るからね」
“死が二人を分かつまで”なんて、きっと今時流行らない。
それでも、そう在りたいと思うわたし達の願いは、きっと幸福な未来への道標を紡いでくれる。
だから、今はただ。
この陽だまりの隣で、強く在れるように。
△
誰よりも鮮烈で、何よりも綺麗で。
私はそんな彼女を愛して、恋をしてしまった。
お芝居でも敵わない、頭の回転でも敵わない、運動神経も敵わない。
彼女と自分を比較すれば、そんな劣等感ですぐに頭が埋め尽くされちゃう。
それなのに、彼女の隣で居るのは何よりの癒しで。
彼女と話して彼女に触れて、彼女を愛して彼女に愛されて。
その時間だけは他の誰にも渡したくない、私にとっては何よりも大切な時間。
【えへへ、ありがとうございますゆーちゃん!大好きです!】
だから、想像してしまう。
【はいはい、あたしも由芽の事好きだよ~】
もし、私がゆーちゃんにとって替えが利くような人間のままだったら。
もし、ゆーちゃんが私と自分を比較してしまったら。
私の今いる場所は、誰かに取られちゃうのかもしれない。
私の太陽を、恋人を、私じゃない誰かに。
私は弱かったから、ゆーちゃんの愛を信じきれなかっただけ。
だから無茶を重ねた。実績だけじゃなくて、お芝居の実力でもゆーちゃんに勝てるように。
結果的にそれは出来なくて、心を病んでしまって、ゆーちゃんや色んな人に迷惑をかけちゃったんだけども。
でも、後悔なんてない。
ゆーちゃんを追いかけて稽古した時間は、確かに私の糧になってて。
今ではこうして、ゆーちゃんの隣で歩く自分を受け入れることが出来ている。
「ん?どうかした、せなお姉ちゃん?わたしの顔、何か付いてる?」
「……ううん、何でもない。ただ、ゆーちゃんの事が好きだなって考えてた」
「……えへへ、そっか!」
私の腕に抱き着いてくるゆーちゃんは、本当に世界一可愛くって。
こんな何気ない仕草一つで、私はゆーちゃんをもっと好きになる。
「……少し、聞いていい?」
「うん、何でも聞いて」
「ゆーちゃんは……。私がどれだけ弱くても、好きでいてくれる?」
3つも年下の彼女に、こんなことを聞いてしまう自分に少し悲しくなる。
それでもゆーちゃんは、いたって自然に答えてくれた。
「もし本当にせなお姉ちゃんがダメダメなヒモになったら、流石に幻滅しちゃうかも?」
「うっ……!」
「……でも、絶対にそうはならないよ」
私の数歩先まで走って、ゆーちゃんはくるりと振り返る。
沈み始めている太陽を背負って、誰よりも綺麗で可愛い笑顔をしながら。
「せなお姉ちゃんは、わたしにとっての陽だまりだから!わたしに大切なものを沢山くれた、わたしの陽だまり!だからわたしはせなお姉ちゃんの隣で、せなお姉ちゃんと歩き続けるって決めてるんだよ!」
そうやって、なんてことのないように。
ゆーちゃんは、私と一緒に歩いていきたいと言ってくれた。
陽だまりが暖かくて心地いいのは、いつだって太陽のおかげなんだよ?
無自覚な太陽の傍で居られるから、私はゆーちゃんの陽だまりで居られるんだよ?
でも、そうなんだ。
ゆーちゃんは私の手を引っ張って、ずっと一緒に居てくれる。
その将来を、弱い私でも受け入れていいんだ。
「んふふっ、ありがとうゆーちゃん。誰よりも何よりも、愛してるよ!」
ありのままの自分を受け入れて、背伸びせずに歩いていく。
そんな選択肢を選べる日が来るなんて、思いもしなかったなぁ。
“死が二人を分かつまで”だなんて、ロマンチックな事は言えないけど。
それでもそれを目指すための想いは、きっと美しいはずだから。
だから、今はただ。
この太陽の隣で、自分らしく在れるように。




