02-4
雑談を交わした光莉は、ふと本来の目的を思い出した。
どう切りだそうか言葉を探す。
「私、御手洗さんは教室にこっそり来るって思ってて。正直あせりました」
「ああアレ。恩田さん焦ってたんだ。コッソリしなくてごめんね。気にしないで欲しいな」
ほんの少しだけ、才琉の雰囲気が変わった。
「オレ大人しくても、噂でなんか大ゴトになるから。教科書貸してて返してーって言いに行くと女に会いに来たんだとか、今のオキニ誰々なんだとか。全部そんなんばっかだよ」
恩田さんも知ってるんでしょと、才琉は不敵に笑い「今ごろ、恩田さんオキニって噂してんだろーな」と、どうでも良さそうに言い捨てた。
いま光莉の目の前にいるのは、甘さと苦さを備えた噂の才琉像だ。
女ならオッケー。火遊びに躊躇がない。彼氏もちにもお構いなしで手がはやい。獲物認定したら繋がるために打算的。蜜みたいに甘く、優しくする遊び人。
光莉が頼みの綱として縋った理由も「女の子に優しいから」の一点だ。急に問題を持ちこんでも、あの場を何とかしてくれる可能性が、噂の才琉にはあったから。
何かが違うと思うのはどうしてだろう。
(わからない)
他人の恋情の縺れをかき乱すのが趣味の悪癖や、魚を釣ってからかう気色だとか、人の事情に踏み込む遊びをする下衆な男とも思えない。
昨夜の「オレも居ますから」と背中を叩いてくれた音が、まだ光莉の耳に残っている。
(わからない、何も……)
「ヤだったよね。オレと噂されるの」
「ち、違うんです……」
「チガウって何が」
今ここで光莉が伝えなければ、何かを誤解される気がした。本心を伝えるのは場合によって裸を見られるよりも、ずっと恥ずかしい。それでも、光莉は才琉に伝えなければいけない。
「噂よりも、あんなふうに名前、呼ばれたら、私の心臓、絶対もたなくて」
「……そんだけ?」
端麗な容姿というのは、ときに芸術品になるらしい。光莉の返答に訝しげな目つきを隠そうともしない。それなのに、才琉は美しい。
「あの、私にとっては一大事なんですけど」
「オレと噂されてもいーってコト?」
「え? それは考えていませんでした」
「ふうん」
嫌というよりは気恥ずかしいのだ、と付け加える。才琉は納得したような、していないような顔をした。
「いろいろ言いたいけど、いっか。恩田さんが、気にしてないならいいや」
ハチワレの話をしてたときほど、今の才琉の声音は柔らかい。
「御手洗さん。どうして、作戦会議をしようと思ったんですか?」
光莉はちらばった話を本筋に戻した。今日の話を持ちかけたのは才琉だ。光莉は知らないといけない。才琉がどうして寄り添ってくれるのか、光莉に本心を見せてくれるのかを。
才琉は目を伏せる。光莉を見た。
「彼氏だよって圧かけても、オレがちゃあんと恩田さんのフルネーム言っても、アイツ信じてなかった。イヤって意思表示して諦めない男って最悪じゃん?」
だから、と才琉は続ける。
「作戦会議。過程すっ飛ばして、先に結論だけ言う」
これから何を言うのだろう。光莉はただ才琉を見つめ返していた。時間がゆっくりし始めて才琉の口が開く。
「恩田さん、オレと偽装恋愛しませんか?」
「……本当にすっ飛ばしましたね」
光莉は呼吸の仕方もわすれて、まだ才琉を見ていた。
偽装恋愛。その響きが、光莉の日常に相応しくなくて、いまいち実感がわかない。
「嘘じゃないよ、ホントだよって思わせたら、大抵のヤツは引いてくから、良いと思ったんだけど恩田さん的にはどうですか」
「いいんでしょうか」
「なにが?」
「才琉さんに、そんなことさせて」
光莉の表情が翳る。
巻きこんでしまった。いや、光莉の意志で巻きこんだ。無関係だった才琉に、ここまで言わせてしまうくらいに。あの一瞬を切りぬけるために利用した。光莉の軽薄な行動にずるずると付き合わせ続けるのは心苦しい。
「もしかして、ごめんなさいって思ってる?」
「だって、理由がないです。私の面倒事、ぜんぶ押しつけてるみたい」
肌が粟立つ問題は、他人に背負わせるわけにはいかない。だから、断ろう。
自分の気持ちを伝えるために、光莉は顔を上げる。
才琉は静かに笑っていた。まるで、光莉の考えはお見通しなんだという顔で。才琉はすこし考えた様子のあと口にかける。
「——実はオレにも、メリット、あるんだよね」
(本当に?)
そんなこと、あり得るのだろうか。
「それって何ですか?」
「付き合っていないのに抱いてって言われるの、ケッコーしんどい」
赤裸々な告白だ。
彼女いないんでしょ、と行為をねだられる。付き合っていない子たちから、何度も、何度も。体が欲しいんだって。それを言う才琉は、穏やかな表情をしていた。光莉にはどうして穏やかでいられるか分からない。ネジが外れた微笑だと思った。
「信じらんない?」
「……信じます」
「ホント?」
「本当」光莉は言いきった。
神聖な儀式のように、お互い心をさらけだした。今からウソの関係になるのに、相手に向かって心を真実で撫でて抱きしめあっている。
「オレの偽装カノジョ、どうか引き受けてくれませんか、恩田さん」
(お互いに理由があるのなら、私は——)
光莉の返事は才琉の望んだ答えだったらしい。才琉は楚々とした片エクボで気持ちを返した。




