11-1 帰途の流行歌
八時をすこし過ぎて、着替え終わった光莉はグラシアスの裏口から出て表にまわる。
閉店した店の入口の軒下で才琉が待っている。
手元では携帯をいじっており、画面からもれた光が才琉の顔をぼんやりと照らしていた。造り物みたいな、無表情な顔だった。
近づく光莉の足音に気づいたのだろうか。才琉が顔を上げた。目が合う。
「雨、上がっちゃった。ざーんねん」才琉が目を細め大げさに言った。
「残念って。御手洗さん、わざわざ家まで戻って、傘持ってきたのに?」
「こーいうときは、相合傘したいじゃん? 本数なんて、見ないふりして欲しいんだって」
「そ、そういうものですか」
間髪を容れず、そーいうものだよと返ってきた。
才琉が素直に欲を伝えるものだから心の準備ができずに照れてしまう。横を見る。
この状況が心底愉快なのだというような笑みが一瞬見えた。
夜の暗さでも伝わるほど、顔は赤くなっていないだろうかと光莉は不安に思う。
「あ。傘のハナシしてたら思い出した」
才琉は忘れるところだったと言って、持っていた黒のショッパー袋の中身を確認している。
手提げ袋は黒の厚紙に海外のブランドロゴが箔押しされており、高級ブランドのショッパーだと分かる。傘のお礼だと言って光莉に袋ごと手渡した。
才琉に貸した群青色の折りたたみ傘とコンビニで購入したのか焼き菓子が数点入っていた。
「え、え? お礼とかいいのに」
「あげたいから。食べてみて。美味しかったし、おすそ分け」
壊れ物を扱うみたいな才琉の柔らかい口調が、光莉の耳をくすぐる。
(これは、駄目だ。いやだ。勘違いしてしまう)
ときめいたときの高鳴りとは違う、息苦しさが胸を満たした。
雨で濡れた道路を見て、才琉に気づかれないよう口で思い切り息を吐いた。
呼吸を整える。少しだけ息苦しさがマシになった。
「その――ありがとうございます」
どうか気づかれませんように、と念じて無理やり笑顔を作ってお礼を言う。
こういうときは変に遠慮せずに、素直にお礼を言うのが一番いいのだと、才琉と話していると分かるようになってきた。
正解だったのか、上機嫌な片エクボが一瞬見える。
光莉はわかりやすく見とれた。
いつもの帰り道のはずだった。光莉はバイト先からここまで、ずっと歩いている。
普段なら駅前通りの少し寂れた商店の並ぶシャッターを、ぼおっと眺めて電車を待つ。でも今日は違う。
シャッターの降りた商店街は夏でも薄暗い。
通りからは人の気配を感じられず、二階建ての店の居住空間の明かりがポツポツと灯っているくらいだ。電車を降りたのであろう、人の塊が駅の方向から早足で商店街を通りすぎる。
補修されていない雨上がりの道路には、ところどころ雨水がちいさな池を作っていた。
そこまで予算を回してもらっていないのか、商店街の中に設置された街灯の一つが、瞬きを繰り返すように点滅した。故障だろうか。今も眠そうに光っている。
バイト先を出てすぐ、残念と言いながら、才琉の光莉を試すような表情が頭から離れない。
光莉が意識をしすぎたのか、もうすぐ駅だというのに妙に気恥ずかしくて、まだ下を見て歩いていていた。
才琉はまったく気にしていないようで、口の中で何かを歌っている。
あまりにも楽しそうに歌っているものだから、光莉は耳をすませて集中してみる。昔ヒットした洋楽だ。
確か恋の歌ではなかっただろうか、と思いながらレンガの敷石を眺めていた。距離のあいた街灯は、夜の曖昧な輪郭の影を縦長に照らす。影は歩調をあわせて仲よさげに歩いている。
もう駅舎は目の前だ。駅舎だけ、周囲に比べて明かりが眩しいほど集まっている。
人間に備わった本能だろう。明かりを見ると安心する。ほんの少し勇気がわいてくる。
「その曲、好きなの?」
光莉は珍しく自分から才琉に問いかけてみた。




