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10-1 キューブアイスの浪漫

 雨が降り始めると気分がガクンと落ちるようで、グラシアスに来る客足が遠のく。飲食店にとって永遠の宿しゆくめいでありこくふくすべき課題だ。


 今日光莉(ひかり)が出勤してから家族連れが何件か、他はテイクアウトを頼む人が多い。店内が広々と感じられて少々寂しい。キッチンはまだ数件テイクアウトが溜っている。忙しそうだった。人がいないホールはテーブルを整えたり、テイクアウトの窓口を対応することしかなく手持ちだ。


恩田おんださんはー何かいい案はあるー?」

「そうですねえ」

 キッチンでは生田万いくたさんが、テイクアウト用の容器にチリビーンズソースを盛り付けている。生田万さんに「雨と夏に負けず来店してもらうには、どうすればいいか」と聞かれた。

 聞くにオーナーの神田さんからの宿題らしい。


 (いち)高校生である光莉にいつしゆつした回答が出るとは思えない。

 真面目なようすで考えこんだ光莉をみて生田万は「そんなに難しく考えないでもさ、お客として、こんなサービスがあったら嬉しいなーとかで良いんだよー」といつものスローペースで言った。

 グラシアスではすでに雨の日キャンペーンとして、テイクアウト専用で使用できるスタンプ券とお得なセットのさくを、さくねんの五月から提供している。なかなか好評なようでテイクアウトではなく次は店内へゆうどうする施策を夏には打ちたいというおもわくらしい。 


(雨の日にも店内に来たいと思わせる何か……)


 ひがしざか周辺には食品を扱うチェーン店のスーパーやコンビニ、個人経営の文具屋、十数分離れた駅前通りが少し栄えていて夜まで開いている塾と飲食店がいくつかという感じだ。ざっくり言うなら学生と住宅街が混ざる地域である。グラシアスだって、この近辺だと個人店で九時まで営業しているのは珍しいほうだ。

 本格的なメキシカン料理が食べられて、ごろな価格が強みの店で出来る何か。


「あ、なら、あれがいいです」

「アレ?」生田万が問う。

「面接の日のこと思い出して。デザートを頼んでいる人が多かったんです」


 緊張しているなか横目に見えた、かくに切られたチェリーパイ。自家製のチェリーパイは生クリームとしん色の煮詰まったチェリーソースが美味しそうだったことを今でも覚えている。


「チェリーパイじゃなくても、この店のデザートが美味しいと思ってて。店には出していない紅茶ゼリーも美味しくて。こんなに美味しいのに、どうしてメニューに載せていないんだろうと思っていたんです。だから、雨の日に店内でセットメニューを頼んだら、ばちサイズの紅茶ゼリーがついてきたら嬉しいなと思ったんですけど――」


 さわやかな感じの透き通ったゼリーは夏にぴったりだと思った。

 しかし、メニューに載せない理由が何かあるはずだ。

 コストが厳しい、日持ちしないとか、経営者として明確な判断があると思えた。

 だんだん自信がなくなってきて、言い終わるころには小声になっていた。


「ありがとー。神田かんださんに恩田さんが言ってたよーって伝えとく」生田万が笑って言う。

「あ、いや。お役に立てなくてすみません」

「いやあ。最近バイト来ると神田さんが、ひまなんか―ってよくなげいてるから助かった―」


 生田万は神田が事務所として使っている小部屋の方角を見た。今日も神田が来ているらしい。月の中旬になる前に、神田はよくぜい事務所へ提出する帳簿ちようぼのために事務所にもる。

 会話が途切れて光莉は壁がけ時計を見る。七時をすこし過ぎたところだった。窓の外はえんが降っていたころよりも雨が強まっている。


(もうすぐだろうか)

 意識すると心臓が高鳴った。


 長谷川はせがわと別れて、ちんもくが続く相合傘でグラシアスに光莉は送り届けられた。別れぎわ才琉はいちど家に傘を取りに帰って、グラシアスに傘を届けに来ると言った。


 光莉は髪をい上げ、ななめにくずれていたネクタイを直した。ウォームグレーの丸襟えりシャツに黒のサロンエプロン。差し色にはワインカラーのコックタイが使われて、グラシアスの制服は可愛いと言われている。しかし、この姿を才琉に見られるのはきっと気恥ずかしい。




 チリリンとドアベルが鳴った。らんぼうにドアが開く。

「いらっしゃいませ」


 光莉は緊張したまま来店者を見た。才琉ではない。何度か見かけた覚えのある家族連れだ。

 勝手知ったるみの店というように目当ての席に一直線に進んでいる。

 窓際のいつとうせきで何を食べようかとさわぐ女の子としつける父親。母親らしき女性は静かに窓の外を眺めていた。

 メニュー表を渡したあと、トレーで人数分のコップとピッチャーを運んだときだった。


 またベルが鳴る。今度はえんりよがちにゆっくりドアが開いた。

「いらっしゃいませ」反射で言う。

「あ、居た」

 特徴的な男の声が耳に届く。


 どうやら着替えてきたらしい。

 黒いTシャツに細身の青いデニムのジーンズで、ずいぶんとラフな格好だ。才琉さいるの私服は初めて見る。光莉は息をんだ。

 才琉は安物の透明ビニール傘とは真逆まぎやくの、じゆうこうそうなつくりをした花柄が散りばめられた青みが強いグレーのなががさと、げの紙袋を手に持っている。ゆかりさんの傘を借りたと言った。


 どうやら夕食をここで食べるようで、そのまま席に案内する。メニュー表を受け取った才琉は光莉の制服姿を足元から頭までいちもくした。なにか言いたげな目をしている。

 才琉は柔らかく微笑みながら「似合ってる」と告げた。エクボが見える。

 バイト先で才琉節をはつされるとは思っていなかった。気合でなんとか受け止めて、落ちつかないままメニュー表を眺める才琉の注文を待っている。


 一等席の方からひそひそ声のつもりの「アイドルみたいだねえ」と女の子の素直すぎる声が聞こえてきた。たぶん、才琉のことを言っている。

 才琉にも聞こえていただろうに、無反応でまだメニュー表を見ていた。


「オススメとかある?」

「色々あるよ。辛いのは大丈夫?」

「うん、好きだよ」

 めっきりたいせいが落ちた光莉に「好き」という言葉はよくみる。反応しないよう耐えた。

「私が好きなのはエンチラーダかな。トルティーヤにビーフとチキンの細切れが巻かれていて甘辛く煮たチリソースがかかっていて美味しいんだ。チーズが大丈夫ならオススメだよ」

「じゃあ、それでお願い。店員さんアイスティーもつけてください」

「かしこまりました」


 メニュー表を受け取ってキッチンの生田万に注文内容を伝える。

「はーい。アイスティーのほうは、恩田さんお願いー」

「了解です」


 飲料用の製氷機せいひようきから透明のキューブアイスを取り出して脚付きグラスに飾る。

 この製氷機は神田のお気に入りだ。

 バイトに入ったばかりのころ「チップアイスだと風情ふぜいがないでしょう。四角の氷はロマンですよ」とニコニコしながら言われたことを思い出す。


 グラスだってこだわっているらしい。口当たりや形、もちろん耐久性など色々と試してみて選んだしろものだと氷の話と共に教わった。ひとつひとつ、自分で考えて店を経営しているのだなと理解した。

 光莉はロマンの話でバイト先に、人情に近い親しみやすさを覚えた。そのことを一年経っても光莉は忘れなかった。機械的ではない店の、ロマンを求める一員に光莉もなれた気がしたからだ。

 そんなことを思いながら冷蔵庫から業務用アイスティーの紙パックを取り出す。なみなみとアイスティーをそそいで、席へ持っていく。


「ありがと。――へえ。ガムシロ、ポーションじゃないんだ」

 才琉がふた付きのステンレス製のシロップピッチャーを眺めて言った。

「オーナーのこだわりがあるんだって。入れ物も、氷も。そのほうが風情があるからって」

「ふうん……たしかに。透明な四角の氷って、店に来たなーって感じでいいよね」

 才琉はシロップをらし、ストローでグラスの中を楽しそうに、クルクルかき混ぜて言う。



 ただ混ぜているだけだ。

 なのに、ひどくわく的な表情に見えて目が離せない。



「恩田さーん、運んでー」

「あっ……」

 生田万が呼んでいる。

 その声でパチリとせんのうが解けたみたいに、金縛りが解けた。

「ふふ、呼んでる。後でね店員さん」



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