08-1 紫陽花とハンカチ
このごろ、すっかり梅雨模様で玄関の扉を開けると雨がしとしと降っている。雨垂れをすり抜けてお気に入りの折りたたみの傘を差し、学校までの道のりで思う。
そういえば、雨天の才琉はどこでお昼ご飯を食べているのだろう。
今まで昼寝日和の晴れた日にしか会ったことがないものだから、そんなことも知らない。光莉は自分の気持ちを自覚してからというもの少し臆病になった。
考えるほど心が惹きつけられるのに、嫌われたくない。
その一心でメッセージを送る手がどうしても止まってしまう。
最寄りの駅につき時間を見るためにスマホを取り出す。才琉からメッセージが届いていた。
『おはようございます。今日、よく通る道で紫陽花が咲いていることに気づきました。去年はなかった気がします。ただ、オレが気づかなかった線も全然ありえます。薄い青紫で綺麗だと思ったので恩田さんにシェアします。今年、恩田さんは紫陽花を見ましたか?』
写真の紫陽花は雨に濡れて、雫が映えている。才琉も今日、雨を見たのかなと共通点をみつけて密かに嬉しくなった。
朝から才琉のメッセージが届くのは珍しくない。
恋心を自覚した今、何気ない日常に触れてふわふわとした気分になる。
世間一般的に綺麗だと思ったものを共有する仲、はどういう立ち位置に属するのだろうか。光莉は気が置けない仲とも違う、すぐ壊れそうな繊細な何かに思えてならなかった。
(紫陽花、どうだったかな)
電車の座席にすわって考える。真理叔母さんの店の前を通るとよく花は見るけど、紫陽花はあっただろうか。記憶にないのだから植えていなかったかもしれない。
勇気を出して一文字ずつゆっくり編むように返す。
恋心というのは厄介だ。
いつの間にか心に染みついて取り憑いて。澄んでいるように見えるのに底なしの沼で藻掻いたら窒息してしまいそう。
光莉は送信ボタンを押して、すぐにリュックの中にスマホをしまった。
紫陽花の花の返信で光莉は「今日どこかで会えますか。話があります」という一言を添えて送っていたからか、朝のHR前に才琉がきた。教室の扉の外から目が合って、才琉は一直線に光莉の机に向かってきた。心なしか才琉の表情がこわばっている。
「メール見た。ねえ、話ってなあに」才琉は正面で屈んで、内緒話のトーンで話す。
「大したことはないんですけど、渡したいものがあって」
まさか、朝に来るとは思っていなかった。なんども迷って結局買った、裏葉色のハンカチを渡すにはまだ心の準備が出来ていない。首を傾げた才琉が「渡したいもの?」と問う。
「あの、まだ準備ができてなくて。本当にごめんなさい」
「焦ったあ。ナニゴトかと。心臓バクバクした」
「それは大げさでは?」
「オーゲサじゃないよ。話あるだけだと、内容わかんないから悪いコトばっか考える」
「すみません、今後きをつけます。ええと、他の時間だといつ会えますか」
才琉は考え込んだあと、光莉の顔をマジマジと見た。
(えっ、何。どこか変?)
寝癖でもあったのかなと思い、光莉は手ぐしで髪を何度も撫でた。
「じゃあ、昼。昼に会お? いつものとこ――は、雨降ってるとヤだし、迎えに来るから」
才琉は去り際「後でね」とイタズラっぽい声を出しながら光莉に手を振った。
極上のファンサを目前で浴びすぎたファンのように心臓が暴れている。光莉が顔の熱をごまかすために頬に両手を当てていると、なんとも言えない顔をした灯里と視線がぶつかる。
「見た?」
「見た。なんかすごいね。いつもああなの?」灯里が感心したように言う。
(やっぱり他の人から見ても、アレはすごいのか)
「……部分的にそう」
灯里は干しラズベリーを食べながら、下敷きで光莉の顔を扇いだ。ほどよい風が心地よい。
「そりゃあ大変だ。なんというか、最後の言い方ちょっと色気あったし」
「灯里、言い方!」
「はは。本当のことじゃん。御手洗さんワザとでしょアレ」
灯里は笑いながら「まー頑張ってよ」と言い自分の席についた。
光莉の心臓はまだ荒々しいのに優しく突き放された気持ちになる。秀麗な人の掌の上で転がされている。やり取りについていけない自分を見捨てないで欲しかった。顔から机に突っ伏す。
「頑張るけど、見捨てないで」
小さく呟いた。




