07-1 裏葉色
六月のカレンダーは嘘みたいに味気ない。
光莉は体育館の入口に飾られている無骨なポスター型のカレンダーを見つめていた。五月の初めが赤く染まった華々しさとは対照的に、黒く染まる日付を見て誰もがそう思うのも仕方がないことだった。
体育テストが無事終わった。カリキュラムの穴というべきか、今は小休止期間で目的もなく雑談をしながら、のんびりと運動をしている。日中の蒸すように熱されたアスファルトをどうにか避けたくて光莉は灯里と一緒に、体育館でバドミントンのラケットを握っていた。
五月と変わらず、ひなたと真幌も体育館に避難したようで、シングルスやダブルスを気ままに組んで勝負をする。
「にっくき六月、鬱すぎる」ひなたは強烈なスマッシュを放つ。バコンといい音がなった。
「まーた憎んでるし。ダンスの次は暦?」
「やだ、ダンスのこと思い出させないで! 六月は祝日ないの、しんどいんだもん」
今はひなたと真幌の一対一の真剣勝負だ。ひなたの猛攻に真幌は食らいつくも、元々の運動能力が違うせいだろう。じょじょに、ひなたの一方的な試合になっていった。
「ちぇー、ひなた強すぎるよ。四本取るので精一杯だった」
「さすがダンス以外は完璧な女」灯里が体育座りで拍手しながら感想を言う。
「ダンスのはなしすな!」
薄手のハンカチで顔の汗を拭いたひなたが灯里をじっと見た。
「拍手して余裕ありそうな灯里ちゃん、そんなに自信があるならお手本みせて」
「今の見たあとに沼プレイみせるの嫌なんですけど」
「沼には沼の良さがある。はい、ラケット持って、シャトル持って、ネット前について」
真幌が光莉と灯里にきびきびと指示を出す。
「はああ、それって褒めてないよね」灯里が憂鬱そうにボヤいた。
光莉はサーブを打った。ネットに引っ掛からず安心する。さきほどの、風をきる高速ラリーとは打って変わり、風船がぽよんと跳ねたような挙動だ。おたがい相手に返すことに精一杯でスマッシュを打ってやろう、なんて考えが最初からない。よく言えば和やかな試合だった。
「もうそれ蹴鞠じゃん。どっちか攻めないと」
「外野は黙ってて、私たちに沼でいいって言ったの真幌でしょ」
「だとしてもよ、何これえー」
真幌は切磋琢磨しあう熱い試合がお望みらしい。あいにく、光莉では真幌の願いは叶えられそうにない。たいして動いていないのに、ジワジワと汗が出ているのが分かる。
「あ、ねえねえ。ひかりん、もう才琉とデートした?」
突然、デートという単語が聞こえ光莉の手元が盛大に狂った。シャトルが落ちる。
「あ。ひなたナイスアシスト」灯里がにやりと笑う。
「ごめんごめん。試合の邪魔するつもりはなかったんだけど。って光莉、真っ赤じゃん」
「突然ひなたが、変なこというから」
「変じゃないでしょ。……で、どうなの。どこ行った? どこまで行った?」
完全に緊張の糸が切れて、恋愛トークモードに入った真幌とひなたが光莉に近づいた。もう試合どころではない。小声で「キスした?」とひなたがニヤニヤ顔を隠さず光莉に言う。
光莉は全力で首を横に振った。
「え、まだなの? 嘘でしょ。ラブラブでーすとか言っておきながら何してん。今一番楽しい時期なのに。普通にありえないんですけど。あ、これは才琉への文句ね」
「へー。意外と奥手なんだ。それは想像してなかったなあ」真幌は思案顔で言った。
偽装の恋人関係だと知っている灯里が眉根を寄せていた。助けて欲しいと目で合図を送る。灯里は光莉の意図を理解したらしく、そのまま、ふぅと一息ついてシャトルを拾った。
「二人はさ、思ったように恋バナが盛り上がらなくて残念だろうけど、人それぞれ歩く速さは違うんだから、ほっとけばいい。人の恋路に口出すのってちょっと下品に見える」
「だってさあ、一ヶ月経ってそれって、モヤモヤするっていうか」
「御手洗さんから連絡きたとき、スマホ見ながらニコニコしてる。周りが口ださなくても本人たちは楽しそうだから放置が正解。相談あったら乗るだけでいいでしょ」
そんなふうに見えてたのかと、灯里の言葉に光莉は目を丸くする。
真幌が「ああそう言えば」と何かを思い出して呟いた。
「まあでも才琉、最近変わったよね。すんごい噂ばっかだったのに、オレ彼女一筋だからって噂否定しはじめてさ。ちょっと前に、女の子たちに遊びに誘われて彼女いるからって、全力で断ってるの見たよ。言っちゃ悪いけど、なかなか引かない女子に怯んでて面白かった」
初耳だった。光莉の前で困っている素振りなんて微塵も見せたことがない。ただ、偽装彼女という切り札が、困っている才琉の助けになっているのなら良かったと思う。
「その顔はさ、ひかりん知らなかったでしょ。彼女いるから遊ばないし、女の子とデートする噂だって嘘だし辞めて、って才琉が困ってるの」ひなたが光莉の顔を確認しながら言った。
「ありがとう。大変になったら相談するよ。今は、見守ってくれると助かるかな」
本当は付き合っていないんだと告げるべきだと思った。知っている人たちに嘘をつき続けるのは心苦しい。だけど、井上のあの目を考えると必要以上に刺激するのが怖い。ひなたも真幌も正義感をもって正直に言うタイプだ。井上に対してストーカーを辞めろと抗議するだろうと容易に想像できる。
(いつか、本当のことが言えると良いな)
「それは置いといて、試合の続きしてよ。ほら、灯里ラケット構えて、サーブ打って」
コート外に出た真幌がキビキビとした口調で指示を出す。
「ちぇ、忘れてなかったか」灯里が小声でボヤいた。
光莉はラケットをブンブン振ってゲームの再開を待つ。
「負けないよー、灯里」
「まさか、光莉がそっち側だったとは。意外」
負け癖をつけたくないと思った。いつか、何処かで大事な勝負から逃げないように。たぶん井上とふたたび対峙する日が近いうちに来るだろう。光莉はそう確信している。
気合が乗ってラケットを振る。バコンと景気のいい音が辺りに一つ響いた。




