04-1 茶飲み茶碗一杯分の話
五月半ば、休日に早起きした光莉は出かける準備をしていた。今日は灯里、心晴と遊ぶ約束をしている。月一の女子会の日だ。毎年この時期は春と夏が交わる気温の変化で服を選ぶのに苦労する。なんどか悩み、オフホワイトのピンタックシャツに、薄手のグレーカーディガンを羽織った。黒のテーパードパンツは重いかなと考えていると、もう家を出る時間だった。電車に揺られて待ち合わせ場所に急ぐ。
駅の改札口で二人と合流した。駅をでて西へ十分ほど歩くと、向かいの通りに目的の店が見える。横断歩道をわたり営業中の店内にはいった。中華粥がウリの店らしく印象的な赤の装飾が外にも飾られていた。朝八時だというのに、光莉たちの他にも何組か客が見える。どうやら人気店らしい。席につくと、すぐ光莉たちの注文の順番が来た。
「灯里、何がオススメなの?」心晴が眠そうな目をしながら灯里に聞いた。
「なんでも。エビのやつも美味しいし、鶏粥も美味しい。まあ、各自フィーリングで」
「フィーリングかあ」
優柔不断の自覚があった光莉は、メニュー表をパラパラ眺めながら一番人気の粥を選んだ。
数日前に灯里が朝はドライフルーツ以外なら、休みの日にこの店の中華粥を食べるという話になった。偏食家の灯里が唸る味ってどんな味なんだろうねと盛り上がり店を教えてもらった。
灯里は「ライバルが増えるのは困るなあ」と言いながら、嬉しそうな様子で教えてくれたことは記憶に新しい。
しばらくすると、ラーメン丼ぶりいっぱいに広がる中華粥がテーブルに運ばれてきた。まだ湯気が立っている。食欲をそそる匂いにお腹が鳴った。
心晴が散蓮華を口に運ぶ。やや間があって「正直なめてたわ」と、眠そうな目から一変して精悍な目つきで呟いた。そのまま、もう一口含んで言葉を続ける。
「朝から並んでまでお粥って食べるもん? って思ってたけど、ここまで美味しいとは」
「でしょ? ようこそ、こっちの世界へ」
小さく拍手して、得意げな様子を隠さない灯里に光莉の頬がゆるむ。トロトロに煮込まれた中華粥は鶏だしとお米の甘みが絶妙で本当に美味しい。優しい味で食がすすむ。
テーブルの上に置いていた光莉のスマホが何度か小さく振動した。メッセージを確認して顔を上げる。こちらを見る心晴の目が相手は誰だと尋ねていた。
「御手洗さんだよ。朝なに食べたの? だって」
「ふーん、ほおお、へええ」心晴は思いつく限りの感嘆の声を上げる。少々わざとらしい反応だった。灯里は「何その反応」と興味なさげに短く尋ねて、粥をすする。
「いや、御手洗才琉は朝からマメだなあって感心しただけ」
今日のようなメッセージも普通になった。今日なに食べた、なんて日常の一コマを交換してすこし世間話をして終わり。返事が遅れても、忙しいのだろうとスルーできる。もしも、二人の関係を辞書で引くなら、茶飲み友達という単語がしっくり来るかもしれない。
光莉がどう返事をするか悩んでいると、追加でお腹が空いたという泣き顔の猫のイラストのスタンプが届く。どうやら、朝食を食べていないようだった。
『御手洗さん、おはようございます。今、お店でお粥を食べてます。中国のお粥です。海老が入ったお粥が美味しいです。御手洗さんは中華粥って食べたことはありますか?』光莉は迷いながら言葉を探す。失礼かなと文章を書き直したら数分かかった。
「あ。光莉、待って」
何かを思いついたのか灯里が厨房に向かって「鹿おじさーん」と声をかけた。ほどなくして中年の男性が「なにか用か」と返事をする。「料理の写真、撮ってアップしてもいい?」灯里は食べかけの粥を指さしながら、鹿おじさんと呼んだ男性に写真の許可を求めた。
「構わんが、いつもと変わらんだろ」男性は、どうだっていいように答えた。
「友達と食べてるから違うの。あ、今日もすっごく美味しいよ」
「当たり前のこというな」
男性が厨房に戻る。灯里は店の人にも常連だと認知されているらしい。気さくな様子に積年の情を感じた。
「せっかくだから、御手洗さんに写真もおくろうよ。鹿おじさんの力作は広めないと」
ワクワクしたように灯里は言う。言葉に押されてスマホのカメラ機能を起動する。食べかけの食事が妙に恥ずかしい。取り繕うように、具材が散らばっていた丼ぶりを少し整えた。
一枚撮って灯里に見せる。
「はは、光莉のやつ、匂わせみたいな写真だ」
「えっ? 撮り直したほうが良いかな」
普通に自分の丼ぶりを撮ったつもりだった。よく見ると、写真の右上あたりに灯里のアイスジャスミン茶が見切れて写っている。
「いーや、これが良い。誰と来たのって、ちょっとモヤモヤさせよ」心晴が言う。
(もやもや? 私たちの関係で、そんな気持ちになるのかな)
「あ、返信はやい。御手洗さんなんて?」灯里が杏仁豆腐に口をつけながら言った。
「ええと『もしかして誰かと一緒だった?』って。よく見てるなあ」
「さすが御手洗才琉。好きな人と、楽しいデート中ですって返そ」
「そんな嘘よくないよ、もしかしたら傷つくかもしれないし」
珍しく光莉が強い口調で言い切った。
狩人が動物たちの住処をむやみに荒らさないように、才琉が光莉に対して、譲歩して丁寧に接してくれているのを知っている。軽い気持ちで嘘をついて悲しませたくなかった。
「ごめん。ちょっと悪ノリした」心晴がバツの悪そうな顔をして答える。
「私も強く言いすぎた。ごめんなさい。苦手でも御手洗さんのこと、私の友達としてちゃんと接して欲しいんだ」
苦手でも仲良くして欲しいという意味ではない。ただ、嫌だから相手に何をしても良いんだなんて対処法、悲しいだけだ。話さなくても良い。苦手だから必要以上に関わらない、お互いを尊重しあえる境界線というものが何処かにあるはずで、光莉はそれを望んでいる。話の意図がねじ曲がらないように、慎重に一言ずつ心晴に伝える。私の知っている心晴ならこの境界線が伝わるはずだと信じている。
たどたどしい光莉の言葉に、心晴はこくりと頷いた。
「なんか空気重いけどさ。御手洗さんが好きとか嫌いとか、どうでもいいよ。いま大事なのは御手洗さんが鹿おじさんの中華粥が食べたいのかどうか。そこじゃない?」
杏仁豆腐を食べおえた灯里が静寂を破った。
「もし、御手洗さんが気になるなら私に聞いてって伝えて。食べたい人には優しくせんとな」
「……灯里のそういう考え、好き」心晴がホッとしたように言う。
「そう? ありがと。食べ物のこと考えているだけで、好きって言われるのはじめて」
「ううん。本当にすごいよ。私も、そうなりたい」
空気が柔らかく変わって、三人で笑って店を出る。光莉は晴れ晴れとした表情で才琉にメッセージを返した。言葉の全てに深い意味はないのかもしれない。ただ今日という一日が穏やかであれば良いなと思った。




