表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/20

第10話(後編)「時間は戻らない」

 数日後。


 秋月はオガタ不動産を訪ねていた。


「珍しいですね」


 尾方修一は少し驚いた顔をした。


「相談だ」


 秋月は吉野の件を説明した。


 尾方は途中から真顔になる。


「……かなり高く売ってますね」


「やっぱりそうか」


「普通に売ったら、残債かなり残ります」


 尾方は資料を閉じた。


「正攻法じゃ無理です」


 秋月は黙っていた。


「お前、何する気だ」


 尾方は少し笑う。


「秋月さんは知らなくていいです」


 短い沈黙。


「ただ」


 尾方は静かに言った。


「若い奴の人生、これで終わるのは後味悪い」


 秋月は何も言わなかった。




 その夜。


 尾方は事務所に一人残っていた。


 時計は深夜一時を回っている。


 古いスマホを取り出す。


 しばらく画面を見つめたあと、電話を掛けた。


『……珍しいですね』


 低い男の声。


『尾方さんが俺に連絡してくるとか』


「久しぶりです」


 尾方は窓の外を見ながら言った。


「一件、買ってほしい物件がある」


 電話の向こうで笑い声がした。


『また危ない橋ですか?』


 尾方も少し笑った。


「昔よりマシですよ」


 そこで電話は切れた。




 数週間後。


 吉野は再び相談ブースへ来ていた。


「……助かりました」


 声が震えていた。


「住宅ローン、完済できました」


 秋月は静かに頷いた。


「損失も……思ってたより少なく済みました」


 吉野は目を赤くする。


「本当に……ありがとうございました」


 深く頭を下げた。


 秋月は静かに言う。


「私は何もしていません」


 吉野は首を振った。


「尾方さん、すごかったです」


 少し苦笑する。


「何したのか全然教えてくれませんでしたけど」


 秋月は何も聞かなかった。


 ただ。


 尾方の疲れた顔だけは、頭に残っていた。




 その日の夕方。


 駅前の歩道で、吉野は偶然、茂本強を見つけた。


 一瞬、頭が熱くなった。


 土下座しろ。


 そう思った。


 お前のせいで、どれだけ苦しかったと思ってる。


 眠れなかった。


 会社でも笑えなかった。


 人生が終わったと思った。


 でも。


 近づいてきた茂本は、以前よりずっと痩せて見えた。


「……吉野さん」


 茂本は立ち止まる。


 しばらく黙ったあと、深く頭を下げた。


「……すみませんでした」


 吉野は、その頭を見下ろした。


 謝れよ。


 もっと謝れ。


 そう思う。


 土下座して謝れ。


 そう言いたかった。


 でも。


 茂本は小さく言った。


「土下座して済むなら、いくらでもします。すみませんでした」


 声が震えていた。


「でも……」


 言葉が止まる。


「そんな事しても、吉野さんの苦しかった時間は戻らないですよね」


 吉野は何も言えなかった。


 茂本は続ける。


「俺、自分に都合いい言葉ばっかり使ってました」


『皆さんやってます』


『大丈夫です』


『将来のためです』


「……あんなの、俺が楽になる言葉だったのかもしれません」


 吉野は、その顔を見た。


 怒りは消えていない。


 でも。


 自分もまた、“近道”へ飛びついた。


 それだけは事実だった。




 夕方。


 住宅ローン相談室。


 相川澪が窓の外を見ながら言った。


「私だったら絶対騙されないです」


 秋月が顔を上げる。


「……たぶん」


「この前、騙されかけてただろ」


 相川は固まった。


「忘れてください!」


 秋月は少し笑った。




 閉店後。


 誰もいなくなった相談室。


 秋月耕助は、静かな窓口を見渡した。


 今日もまた。


 誰かの人生が、少しだけ傷つき、少しだけ前へ進んだ場所だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ