第9話(後編)「住む人のためのローン」
翌週。
「吉野陸斗様ですね」
相談ブースへ入ってきた青年は、真面目そうな雰囲気だった。
二十九歳。
IT企業勤務。
年収も若い割には悪くない。
「今日はどうされましたか?」
「マンション購入の相談です」
「承知しました」
秋月は勤務先や年収、購入物件の概要を確認していく。
「住宅ローン実行後は、住民票を移してください」
秋月は書類を見ながら言った。
「あと、電気・ガス・水道の契約もお願いします」
「はい」
「住宅ローンは、ご本人がお住まいになる前提の商品ですので」
吉野は小さく頷いた。
「分かりました」
時々、吉野は言葉を選ぶように間を空けた。
秋月は少し気になったが、そのまま話を進めた。
「最近、会社の先輩がマンション買ってて」
吉野は言った。
「若いうちしか住宅ローンなんて借りられないって言われました」
秋月は静かに頷いた。
「借入は、返済できる額で考えてください」
「え?」
「“借りられる額”と、“返せる額”は違います」
吉野は少し驚いた顔をした。
「皆さん、目いっぱい借りた方がいいって言うので」
「人生は長いですから」
秋月は淡々と言った。
「病気になるかもしれない。転職するかもしれない。結婚するかもしれない」
吉野は静かに聞いていた。
「家は、人生を苦しくするために買うものじゃありません」
相談ブースが静かになる。
その日の夕方。
審査部から内線が入った。
「秋月君」
低く落ち着いた女性の声。
審査部部長・大阿久せい子だった。
「はい」
「最近、投資利用疑義案件が増えている」
「……はい」
「住宅ローンは、“住む人”のための商品です」
大阿久は淡々と言った。
「ここを崩すと、銀行は成立しない」
「承知しています」
一瞬、沈黙が落ちる。
電話が切れた。
秋月は受話器を置いた。
そして窓の外を見た。
その夜。
GAJアーバンス本社。
「茂本、お前今月まだ一本だろ」
支店長が数字表を机へ叩きつけた。
「はい……」
「吉野の案件、絶対落とすなよ」
「でも住宅ローン利用は……」
「だからなんだ?」
支店長は吐き捨てるように言った。
「お前が銀行員か?」
茂本は黙った。
「売れ」
支店長が去ったあと、茂本は営業フロアに一人残った。
窓ガラスに映る自分を見つめる。
もう何年も、同じ言葉を繰り返していた。
『皆さんやってます』
『大丈夫です』
『将来のためです』
どこから本音で、どこから営業なのか、自分でも分からなくなっていた。
数週間後。
住宅ローンの審査は承認された。
「おめでとうございます!」
茂本強は満面の笑みで言った。
吉野陸斗は、震える手で契約書へ署名した。
その頃。
秋月耕助は、承認一覧に並んだ名前を静かに見つめていた。
「吉野……」
その横で相川が小さく言った。
「なんか、嫌な予感するんですよね」
秋月は何も答えなかった。




