第9話(前編)「絶対大丈夫です」
「はい、住宅ローン相談室です」
昼過ぎ。
相川澪は、軽く伸びをしながら電話を取った。
『突然すみません!』
妙に明るい男の声だった。
『将来の資産形成に興味ありませんか?』
「資産形成?」
『はい! 今、会社員の方にすごく人気のマンション運用でして』
相川は最初、“営業電話か”と思った。
だが男の話し方は妙に上手かった。
『実は、家賃収入でローンを返済しながら、将来的には資産になるんです』
「へぇ……」
『しかも住宅ローンを使うので、普通の投資ローンより金利が低い』
「えっ、そうなんですか?」
『はい。若いうちしか組めませんから』
相川は少し姿勢を正した。
『老後二千万円問題って聞いたことありますよね?』
「ありますあります」
『皆さん不安なんですよ』
気づけば相川は、メモまで取り始めていた。
『一度だけ、お話し聞いてみません?』
「うーん……」
相川は少し笑った。
「なんか、ちょっと興味出てきました」
電話を切ると、相川は勢いよく秋月の席へ向かった。
「秋月さん!」
「どうした」
「なんか今、すっごいマンション投資すすめられました!」
「へぇ」
「いやでも、ちょっと話聞きたくなっちゃいました」
秋月は書類から目を離さない。
「相川」
「はい?」
「“絶対大丈夫です”って話ほど、危ない」
相川は数秒止まった。
「……あっ」
そして顔を赤くした。
「危なっ!」
秋月は小さく笑った。
「相川は素直だからな」
「いやでも、ほんと上手かったんですよ!」
「だから仕事なんだろ」
相川は自分のメモを見て、恥ずかしそうに笑った。
「私、住宅ローン相談室なのに……」
「だから怖いんだ」
数日後。
「秋月さん、今日お時間あります?」
昼休み前。
尾方修一から珍しく電話が入った。
「どうした」
『近くまで来てまして。よかったらお茶でも』
「近く?」
『はい』
少しだけ間が空く。
『……ちょっと相談もあります』
駅前の喫茶店。
「相談って?」
「すみません」
尾方は苦笑した。
「実は今、相続案件抱えてまして」
「相続?」
「登記が止まったままなんです」
秋月は黙ってコーヒーを口にした。
「相続人、何人いる?」
「……十五人です」
「それは大変だな」
「もう誰が土地持ってるのか分からなくなってまして」
尾方は頭を掻いた。
「売りたい人もいれば、絶対売らないって人もいて」
「よくある話だ」
「いや、今回はかなり揉れそうです」
尾方は珍しく疲れた顔をしていた。
「……近くまで来たっていうのは嘘です」
「ん?」
「秋月さんに聞いてほしかっただけです」
秋月は少しだけ笑った。
「最初からそう言え」
「はは……」
その帰り道。
尾方はふと立ち止まった。
「そういえば最近、GAJアーバンスって会社、かなり動いてます」
「投資系か」
「はい。若い会社員狙いです」
「そうか」
「ちょっと強引な噂も聞きます」
秋月は何も言わなかった。
休日。
相川澪は駅前のスターバックスで、期間限定のフラペチーノを飲みながらスマホを眺めていた。
その時。
『住宅ローン減税も使えますし』
聞き覚えのある声が耳に入った。
相川は顔を上げた。
窓際の席。
スーツ姿の男と、若い会社員風の青年。
机には高級そうなマンションパンフレットが広げられている。
『あ……』
この前の電話営業の会社だった。
GAJアーバンス。
「でも……住んでないって、バレたりしないんですか?」
青年が小声で聞く。
営業マン――茂本強は笑った。
「銀行はいちいち見回りなんて来ませんよ」
「はあ……」
「それに、年末残高証明がなんで郵送なのか知ってます?」
「え?」
「本人が住んでるか確認するためです。もし住んでなかったら、銀行へ返送されるでしょう?」
青年は黙って聞いていた。
「つまり、郵便だけちゃんと受け取れるようにしとけば問題ありません」
相川は、少しだけ背筋が寒くなった。
「実際、みんな普通にやってますよ」
茂本はそう言って笑った。
最初、相川も少しだけ「そんな方法あるんだ」と思った。
でも聞いているうちに、だんだん違和感が強くなった。
茂本の話し方は上手かった。
不安を煽って、安心させて、専門用語を混ぜる。
まるで“正しい話”みたいに聞こえる。
でも薄かった。
言葉が。
誰かの人生を背負って話している感じがしなかった。




