第7話(後編)「守るために」
病院からの帰り道。
車の中で、真奈は黙っていた。
涼介も何も言えなかった。
信号待ち。
フロントガラスの向こうを、人が普通に歩いている。
スーパーの袋を持った人。
笑っている高校生。
いつもの街。
なのに、自分たちだけ別の場所へ落ちてしまったようだった。
「……ごめん」
涼介が小さく言った。
真奈は首を振る。
「まだ、何も終わってないから」
その声は震えていた。
「治療すれば、大丈夫だから」
そう言いながら、自分自身にも言い聞かせているようだった。
涼介は窓の外を見たまま、小さくつぶやく。
「俺さ」
「健康だけは自信あったんだけどな」
真奈は何も言わなかった。
ただ、ハンドルを握る涼介の手を、静かに握った。
それは、住宅ローン契約の少し前だった。
「だから、団信があるなら生命保険いらないじゃん!」
涼介は苛立った声を出していた。
「その分、住宅ローンに回した方がいいだろ?」
「でも、がん保障外すんでしょ?」
真奈も珍しく強い口調だった。
「だったら生命保険は残してよ!」
「大げさだなぁ」
「大げさじゃない!」
真奈の声が震える。
「もし何かあったらどうするの!」
「俺は大丈夫だって!」
「なんでそんなこと言い切れるの!」
涼介は黙った。
真奈は涙をこらえながら続けた。
「私は、家が欲しいんじゃないの」
「あなたと、結菜と、一緒に暮らしたいの」
「だから……お願いだから、保険だけは残して」
その言葉で。
涼介は、初めて黙った。
手術後。
抗がん剤治療が始まった。
髪が抜けた。
体力も落ちた。
仕事へ戻れない期間も長かった。
だが。
生命保険の給付金。
医療保障。
そして、秋月が“借り過ぎない額”を提示していた住宅ローン。
それが、家族を支えた。
さらに一年後。
相談ブースへ、大林夫婦がやってきた。
涼介は少し痩せていたが、笑顔だった。
「一応、寛解って言われました」
「それは良かったです」
秋月は静かに微笑んだ。
「本当に」
真奈が頭を下げる。
「あの時、生命保険残してなかったら、本当に大変でした」
「住宅ローンも、ギリギリまで借りてたら危なかったです」
涼介も苦笑する。
「秋月さんの話、全然聞いてませんでしたからね、俺」
「生命保険もめちゃくちゃ揉めたし」
真奈が笑う。
「“どっちかにして”って、私かなり言いました」
「団信外すなら、生命保険は絶対残してって」
涼介が頭をかく。
「いやー……」
「完全に俺がバカでした」
そして、少し真面目な顔になる。
「でも、病気になって分かりました」
「家って、“買う”ことより、“守る”ことの方が大事なんですね」
秋月は静かにうなずいた。
すると。
涼介が急に笑った。
「ところで秋月さん」
「はい?」
「今から団信に、がん保障って付けられません?」
「0.2%どころか、0.5%でも0.9%でも払いますから!」
一瞬の沈黙。
そして。
真奈が吹き出した。
秋月も、小さく笑った。
帰ったあと。
相川がコーヒー片手に言った。
「健康な人ほど、“自分は大丈夫”って思うんですかね」
「そうかもしれんな」
「でも、奥さんすごかったですね」
相川は笑う。
「“家が欲しいんじゃない。あなたと暮らしたいの”って」
秋月は静かに資料を閉じた。
「保険も住宅ローンもな」
「“安心”を買う商品なんだよ」
相川は数秒黙ってから、にやっと笑った。
「出た」
「ん?」
「秋月さん、ドラマみたいなこと言いますよね」
秋月は、小さく苦笑した。




