表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/20

第7話(前編)「0.2%」

 「金利って、少しでも低い方がいいですよね?」


 相談ブースへ座るなり、男はそう言った。


 三十代後編くらいだろうか。


 日に焼けた顔。


 引き締まった体。


 いかにも健康そうな男だった。


 「大林涼介です」


 隣の女性も頭を下げる。


 「妻の真奈です」


 秋月も名刺を差し出した。


 「秋月です」


 資料を見る。


 夫婦と、小さな娘が一人。


 郊外の建売住宅。


 借入額は、かなり大きい。


 「この物件、本当に気に入ってるんですよ」


 涼介は楽しそうに笑った。


 「庭もあって、公園も近くて」


 そう言って、スマートフォンを見せる。


 小さな女の子が、公園で笑っている写真だった。


 「娘の結菜が、走り回れる家にしたくて」


 真奈も優しく笑う。


 「今のアパート、狭いんです」


 秋月は静かにうなずきながら資料を確認した。


 返済比率は、かなり高めだった。


 年収に対して、借入額が大きい。


 だが、審査上は不可能ではない。


 「金利を下げたいんです」


 涼介が言った。


 「団信の“がん100%保障”を外したら、0.2%下がりますよね?」


 「はい」


 「それでお願いします」


 即答だった。


 隣で、真奈が少しだけ視線を落とす。


 「奥様は、どうお考えですか?」


 秋月が尋ねると、真奈は控えめに言った。


 「私は……つけておいた方が安心かなって」


 「ほら」


 涼介が苦笑する。


 「こいつ、心配性なんですよ」


 「でもさ、0.2%って結構大きいじゃないですか」


 「月々も違うし」


 「家計だって大変なんだから」


 どこか、“自分が正しい”と信じている口調だった。


 真奈は強く反論しない。


 ただ、小さく唇を噛んでいた。


 「それに」


 涼介は続ける。


 「俺、がんにならないと思うんですよね」


 「運動してるし」


 「毎日走ってるし」


 笑いながら、自分の腹を軽く叩く。


 「健康だけは自信あるんで」


 秋月は静かに聞いていた。


 「生命保険は加入されていますか?」


 「あ、入ってます」


 涼介はすぐ答えた。


 「でも、それも見直そうと思ってるんですよ」


 「会社に来てる保険会社のパンフレット見たら、今の半額くらいで済みそうで」


 秋月は、少し嫌な予感がした。


 「現在の保障内容、分かりますか?」


 「えーっと……」


 涼介はスマートフォンを取り出した。


 「たしかアプリで見れたはず」


 隣で真奈が呆れたように言う。


 「あなた、自分が何の保険入ってるか、ちゃんと分かってないでしょ」


 「いや、なんとなくは分かってるって」


 画面を見ながら涼介が笑う。


 「終身で、がん特約ついてるやつです」


 「社会人になった時に、プッシュネット生命の営業の子にすすめられて」


 「かわいい子だったんで、そのまま契約しました」


 真奈が呆れた顔をする。


 「もう……」


 秋月は苦笑しながら思った。


 この調子なら、住宅ローンも“なんとなく得そうだから”で決めかねない。


 「生命保険も、見直し相談乗ってくださいよ」


 涼介は軽い口調で言った。


 「団信あるなら、生命保険ってそんな要らないですよね?」


 「がん特約外したら、かなり安くなるし」


 「俺、ほんと病気しないタイプなんで」


 秋月は静かに資料を閉じた。


 「大林さん」


 「はい?」


 「病気になる人は、みんなそう言います」


 一瞬だけ、空気が止まった。




 その後も、相談は続いた。


 返済計画。


 教育費。


 今後の家計。


 真奈は真剣に聞いていたが、涼介はどこか楽観的だった。


 「なんとかなるでしょ」


 その言葉を、何度も口にした。


 そして。


 「ちょっとトイレ行ってきます」


 涼介が席を立った。


 ドアが閉まる。




 秋月は、真奈へ身を少し乗り出した。


 「奥様」


 「はい?」


 「生命保険は、絶対に見直ししないでください」


 真奈が目を丸くする。


 「え……?」


 「団信は、ご主人の希望どおり、がん保障なしで進めます」


 「ですが、生命保険だけは残してください」


 秋月は、できるだけ早口で言った。


 「団信は住宅ローンを守るものです」


 「生命保険は、ご家族の生活を守るものです」


 「役割が違います」


 真奈は、小さくうなずいた。


 「……分かりました」


 その直後。


 「すいませーん」


 涼介が戻ってきた。


 「なんか俺の悪口言ってました?」


 相変わらず明るい。


 秋月は静かに笑った。


 「いえ。ご主人は健康そうですね、という話です」




 その後。


 一般団信で契約は進み、無事に住宅ローンは承認された。


 大林家は、小さな庭付きの一戸建てへ引っ越した。


 春には庭へ小さな花壇を作った。


 夏にはビニールプールを出した。


 休日になると、涼介は結菜を肩車して近所を歩いた。


 真奈が撮った写真には、いつも笑顔の家族が写っていた。


 涼介は毎朝ランニングを欠かさなかった。


 夜はビールを一本だけ。


 「健康には気を使ってるから」


 それが口癖だった。




 引っ越しから一年後。


 会社の健康診断で、胃に影が見つかった。


 「まあ大丈夫でしょ」


 涼介は笑っていた。


 「再検査って、だいたい何もないし」


 だが。


 精密検査の結果。


 悪性新生物。


 胃がんだった。


 涼介は、診察室で医師の説明を聞きながら、最初こう思った。


 ――なんだ。がんか。


 その瞬間までは、どこか他人事だった。


 だが。


 「手術が必要です」


 「抗がん剤治療も行います」


 「しばらく仕事は難しいでしょう」


 その言葉で、現実が一気に押し寄せてきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ