第5話(後編)「私の城」
さらに数日後。
「秋月さん」
相川が、少し困った顔でやって来た。
「この前のお客様、また予約入りました」
「早瀬さんか」
「はい」
相川は小声になる。
「なんか……諦めてない感じです」
「もう一回相談したいって」
秋月は苦笑した。
「住宅ローンは、気合いで通るものじゃないんだがな」
「でも、ちょっと分かる気もします」
「何がだ?」
「“ここじゃなきゃ嫌”って感じ」
秋月は何も言わなかった。
再び現れた真理は、前回より少しだけ柔らかい表情をしていた。
「お忙しいところ、すみません」
「いえ」
秋月は資料を閉じた。
「今日は、どうされましたか」
真理は少し迷ったあと、静かに話し始めた。
「……私、二十三歳から働いてるんです」
窓の外を見るような目だった。
「最初は営業でした」
「毎日怒鳴られて、終電で帰って」
「でも、不思議と嫌じゃなかったんです」
真理は少し笑った。
「仕事が好きだったので」
秋月は黙って聞いていた。
「何度か恋愛もしました」
「結婚の話もありました」
真理は、自分に言い聞かせるように続ける。
「でも結局、私は仕事を選びました」
「海外転勤を断れなかったこともありましたし」
「休日でも仕事を優先したこともあります」
そこで少し笑う。
「気づいたら、一人でした」
その言葉に、妙な寂しさはなかった。
むしろ、長い時間をかけて受け入れてきたような穏やかさがあった。
「間違った選択だったとは思っていません」
真理は静かに言う。
「でも」
そこで、少しだけ視線を落とした。
「この先を考えた時、自分の場所が欲しくなったんです」
秋月は黙って聞く。
「賃貸って、どこまでいっても借り物じゃないですか」
「更新のたびに、“ここにいていいですか”って聞かれてる気がして」
真理は、小さく笑った。
「これまで、一生懸命働いてきたんです」
「だったら、自分の住む場所くらい買ってもいいでしょうって思ったんです」
秋月は静かにうなずいた。
「だから、ファミリー向けなんですね」
「はい」
真理は即答した。
「管理も安定していますし、住民の質も比較的落ち着いています」
「修繕計画もしっかりしてる」
「駐車場も機械式じゃない」
「歳を取った時も考えると、ワンルーム投資用マンションより安心なんです」
そこには、感情論だけではない現実があった。
「投資じゃありません」
真理は静かに言った。
「ちゃんと、生きるための家なんです」
翌日。
秋月は、審査部へ向かっていた。
審査部課長の席へ資料を置く。
「否決案件の再相談です」
課長は少し嫌そうな顔をした。
「単身のファミリー物件ですよね」
「投資懸念が消えません」
「理解しています」
秋月は静かに言った。
「ただ、事情を聞きました」
「事情で審査するなら苦労しませんよ」
課長は苦笑する。
その時だった。
奥の席で書類を見ていた女性が、わずかに顔を上げる。
審査部部長の、大阿久せい子だった。
独身。
五十代。
厳しいことで有名な人物だった。
秋月は、少しだけ声を大きくした。
「このお客様は、“投資”で買うわけじゃありません」
「長年働いてきて、“自分の人生を安心して過ごせる場所”を欲しがっているだけです」
課長が少し困った顔をする。
「秋月さん……」
「確かに単身です」
「ですが、年収も勤務先も安定しています」
「返済計画にも無理はない」
「それでも、“単身女性だから”という理由だけで、安心して暮らす家を持てないのは、私は少し違うと思っています」
審査部の空気が静かになる。
大阿久部長は、しばらく黙っていた。
そして。
「……秋月くん」
低い声が飛んだ。
「はい」
大阿久は、資料を見たまま言った。
「そのお客様」
一拍置く。
「ちゃんと管理費と修繕積立金、将来上がる前提で説明しておきなさい」
「……はい」
「あと」
大阿久は、そこで初めて顔を上げた。
「終の住処を探すのに、独身も既婚も関係ないでしょう」
そう言って、再び資料へ目を戻した。
課長が小さくため息をつく。
「……再審査、上げます」
数日後。
審査は承認となった。
真理は、報告を聞いた瞬間、小さく息を止めた。
「……本当に?」
「はい」
秋月は静かにうなずく。
真理は、しばらく何も言えなかった。
そして。
「ありがとうございます」
深く頭を下げた。
その姿は、最初に来店した時より少しだけ柔らかく見えた。
契約の日。
相川は、真理を見送りながら言った。
「なんか、かっこいい人でしたね」
「ああ」
「“自分の城”を買うって感じでした」
秋月は小さく笑った。
「城か」
「だってそうじゃないですか」
相川は楽しそうに言う。
「誰かのためじゃなく、“自分が生きる場所”を買うんですよ?」
そして、秋月を見た。
「秋月さんって、たまに人生語りますけど」
「今日は珍しく、ちゃんと主人公っぽかったです」
秋月は苦笑した。
「褒めてるのか、それは」
「半分くらいは」
相川は笑った。
窓の外では、夕陽が街を赤く染めていた。




