34_凍てつく決意と、最後のフルスロットル
――時は、王城で真実が明かされる少し前へと遡る。
ここは、第七セクターからも遠く離れた、深く暗い森の奥深く。
第五席が潜む拠点へと続く道なき道を、桜夜はたった一人で駆け抜けていた。
その呼吸はすでに荒く、白い肌にはいくつもの生々しい傷が刻まれている。
「……想定通り、ですか」
桜夜が冷たい声を落とした先、拠点の入り口を埋め尽くしていたのは、異形の魔物たちの群れだった。
だが、ただの魔物ではない。
その表皮からは異常な高熱が放たれ、周囲の木々を焦がしている。
第五席は、氷を操る桜夜が単騎で乗り込んでくることを完全に読んでおり、氷を融解・吸収する『対・氷特化』の軍勢を用意していた。
「ボクが用意した舞台は気に入ってもらえましたか? 暗黙の白姫。いや、神白桜夜と呼んだ方がいいですかね? ボクとしては、キミにも第一席と同じくらい苦しみながら死んでほしくて、わざわざあのような舞台を用意したんですよ。そうしたら案の定、単独でここまで乗り込んでくるんですから……本当にあなたたち親子は単純で愚かで悲しい人ですねぇ」
空間に響き渡る、第五席の嘲笑。
桜夜は表情一つ変えず、白亜の桜を舞い散らせる。
だが、普段なら一瞬で敵を氷の彫像に変えるはずの冷気は、魔物たちの高熱に触れた瞬間に白い蒸気となって掻き消されてしまう。
「チッ……」
舌打ちする桜夜の背後に、さらなる絶望が舞い降りた。
――ズゥゥンッ!!
大地を揺るがすほどの重い着地音。
「さぁ、かつての同胞と殺し合うがいい」
「……第二席、第四席」
土煙の中から現れたのは、生気を失った虚ろな瞳を持つ二人の姿。
第五席の邪悪な魔法によって操り人形(傀儡)と成り果てた、かつての七大執政――圧倒的な『力』の第二席と、絶対的な『盾』の第四席だった。
「……ッ!」
一切の感情を持たない傀儡たちは、瞬時に桜夜へと牙を剥いた。
第四席が展開した不可視の『絶対防御壁』が桜夜の退路と攻撃の軌道を完全に封殺し、その死角から、第二席の規格外の豪腕が空気を引き裂いて迫る。
「――くっ!」
桜夜は咄嗟に、氷の分厚い障壁を展開した。
しかし、第二席の炎の拳が瞬時に氷を溶かしてめり込み、凄まじい衝撃波が周囲の木々を薙ぎ倒す。
「ガ、ハッ……!!」
直撃は防げても、その力任せに振り抜かれた拳は氷を貫通し、その後ろにいた桜夜本人まで届く。
内臓が破裂するかのような激痛。
骨が軋む音。
桜夜の口からどろりとした鮮血が溢れ、真っ白な雪を赤く染めた。
(……体への痛みになら、もう慣れました)
口元に流れる血液を袖で拭った桜夜は、凛とした表情を崩さない。
脳裏に浮かぶのは、自分に向かって屈託のない笑顔を向けてくれた、師・遥や乙羽たちコモレビの面々。
(あの子たちが……理不尽に虐げられた痛みに比べれば……こんなものッ!)
自分がここで倒れれば、あの温かい居場所は失われる。
それだけは、絶対に許さない。
「……制限解除」
桜夜の胸の奥で、カチリ、と何かが外れる音がした。
「――『フルスロットル』」
世界から音が消えた。
桜夜の瞳にある桜の紋章が、漆黒のイカズチを纏いながら狂い咲く。
周囲一帯の空気が絶対零度を超え、物理法則そのものが「凍結」して停止する。
桜夜の足元から爆発的に広がった『漆黒のイカズチ』は、対・氷特化の魔物たちが放つ熱量すらも一瞬で凌駕し、悲鳴を上げる間もなく彼らを完全な消炭へと変える。
強大すぎる力の出力の反動で、桜夜自身の血管すらも青白く凍りつき、吐き出す息には血液混じりの赤い氷の結晶が吐き出されていた。
命を削る、限界突破の絶対零度と迸る黒きイカズチ。
「砕け散れ……!」
桜夜が血に染まった腕を振り抜くと、絶対防御を誇った第四席の盾がガラスのように呆気なくひび割れ、粉々に砕け散る。
その無防備な胸ぐらへ漆黒のイカズチと化した桜夜の拳が一瞬で突き刺し、傀儡の中にある回路を焼き切る。
そして、その背後を攻撃してきた第二席の豪腕ごと瞬時に凍結させ、かつて世界最強と謳われた者たちと同じ力を持つ傀儡を、まとめて氷の塵へと還元した。
「はぁっ……、はぁっ……!」
静まり返った戦場。
残ったのは、血を吐きながら片膝をつく、ボロボロの桜夜だけだった。
視界はすでに真っ暗になりかけている。
それでも彼女は、震える足に力を込め、第五席の元へ歩みを進める。
「いやいや、何ですかその力は……恐ろしい人だ。まだそんな凶悪な力を隠し持っていたなんて。念のため貴重な七大執政の傀儡を使ってまで、安易に接触しなかったのは正解だったみたいです。さて、壊れた傀儡の代わりにあなたの魔導回路を回収させてもらいましょうか。あなたの膨大な力をボクが使ってあげましょう」
「……無駄ですよ」
長々としゃべり続けている間にも、少しずつ歩みを進めた桜夜は、ようやく全ての黒幕である第五席の元へたどり着いた。
「無駄とはどういう意味ですか? ボクはキミたち人間には必ず存在している魔導回路を取り出しさえすれば、どんな人物でも意のままに操れる傀儡にできるのですよ? 光栄でしょ? 無駄に有能なその能力だけはボクが有効活用してあげるんですから。あぁ、それともいつもの強がりですか? すでにあなたは立っているだけでやっとの状態なのは知っていますよ? そんなあなたの胸を切り開いて魔導回路を回収するなんて造作もありません」
「……フッ」
悠々と話し続ける第五席に対し、桜夜は小さく鼻で笑った。
それが気に入らなかったのか、無防備な桜夜の胸を第五席が放った『魔導糸』が貫いた。
「ふん……やはりただの強がりですか。さぁ、あなたの魔導回路を……はぁ?」
「ゴホッ……気が済みましたか? それで、私のなにを取り出すと?」
「ば、ばかな! 魔導回路が……ない?! そんな人間がこの世にいるはずがない! ありえない! そんな……こんな……」
第五席は一人で勝手にパニックに陥っている。
「……はぁ、はぁ……これで……最後です……」
そんな様子には見向きもせず、桜夜は己の胸を貫いている魔導糸を乱暴に握りしめる。
「……これが最後の……『フルスロットル』、解!」




