26_ 深淵なる本拠地と、隠された氷刃
――翌日。
アルカディア王国、外縁部。
空を覆う雲は分厚く、太陽の光すら届かない荒涼とした大地に、七大執政の部隊と、そして学生のみで編成された異例の別動隊『コモレビ』が集結していた。
「……ゲスハゲ。準備はいいわね?」
「……あぁ」
第三席である水姫の冷たい一瞥を受け、頭頂部が涼しくなり、鼻の骨格も変わったことで、まるで別人へと変貌した男——元第六席が沈んだ声を上げる。
『空間接続』。
かつて空間魔法の祖と呼ばれた男の、文字通り命懸けの魔導力展開。
虚空にヒビが入り、パリンというガラスが割れるような音と共に、禍々しい瘴気が吹き出す巨大な『門』が出現した。
「よし、開いたね! みんな、行くよ! コモレビ、絶対生還!」
「「「おーっ!!」」」
乙羽の号令と共に、巴瑞季、梓、穂香、美咲が気合いを入れる。
桜夜は、そんな乙羽の背中を静かに見つめていた。
表向きは魔導力ランクFの最底辺。
しかしその内側では、愛する少女たちに少しでも危険が及べば、この世界ごと敵を凍結させてしまおうという静かな殺意が臨界点スレスレで保たれている。
「さて、僕が先に行きますかね。それにしても、これ程の空間魔法の使い手があの無能の部下にいたとは……能力を持っていてもやはりそれを使う者によって価値が変わるものですねぇ」
第五席は背後に不気味な傀儡を浮かべたまま、独り言を呟きながらゲートへと足を踏み入れる。
それに続き、水姫、そしてコモレビの面々が次々と空間の境界を越えた。
――転送先。
敵本拠地『深淵の階層』。
ゲートを抜けた先は、アルカディアの常識が一切通用しない狂気の空間だった。
天も地も紫色の結晶体で覆われ、脈打つ巨大な有機物の管がそこかしこに張り巡らされている。
空気は重く、呼吸をするだけで肺が焼けるような瘴気が満ちていた。
「うわっ……なんやここ、気持ち悪っ!」
「ボク、ここ嫌い! 早く帰りたいよぉ!」
「文句を言わない! 穂香、索敵お願い!」
「ダメです乙羽! 瘴気が濃すぎてドローンのレーダーが……きゃあっ!?」
穂香の悲鳴と同時だった。
紫色の結晶体の陰から、ドロドロに溶けたヘドロのような肉体を持つ巨大な魔物たちが、文字通り『湧き出して』きたのだ。
その数は数十、いや数百。
そのどれもが、第三セクターで遭遇した特A級魔物に近い魔導力を放っている。
「A級魔物の群れ……!? これが、敵の本拠地……!」
梓が大盾を構え、絶望的な数に冷や汗を流す。
しかし、コモレビが動くより早く、前に出たのは二人の七大執政だった。
「……目障りですね」
第五席が指を微かに動かした。
瞬間、彼の背後に浮かんでいた傀儡がブレたかと思うと、最前列にいた数十体の魔物の首が、何の予備動作もなくポロリと地に落ちた。
極細の、目に見えない魔導糸による斬首。
「邪魔よ、消えなさい」
『水刃烈波』
水姫が扇子を振るうと、大気中の水分が一瞬で極薄の超高水圧のカッターへと変貌し、後続の魔物たちを巨大な結晶体ごとミンチに変えていく。
「す、すげぇ……!」
「これが、七大執政……!」
桁外れの殲滅力にコモレビの面々が息を呑む。
だが、七大執政が広範囲の敵を掃討したことで、逆に連携から漏れた数体の強力な魔物が、直接コモレビの陣形へとなだれ込んできた。
「よそ見してる暇はないよ! 来るッ!」
乙羽が光の剣を展開し、先陣を切る。
巴瑞季がガントレットで側面から殴り飛ばし、美咲の魔導獣が噛みつき、梓がヘイトを集める。
これまでの過酷な訓練と実戦の成果だ。
A級魔物を相手にしても、彼女たちは見事な連携で立ち向かっていた。
桜夜もその後方で、愛用の拳銃型『ギアメタル』を構えていた。
引き金を引く。
銃口から『白い煙』が噴出し、敵の視界を奪い、時には味方のジャンプ台、時には味方を守るクッションへと変化させ、全員のサポートに徹する。
あくまで『神白桜夜』としての表向きの妥当な援護。
しかし、桜夜の真の『援護』は、誰にも見えない次元で行われていた。
「グルルルルッ!」
一体の魔物が死に物狂いで乙羽の死角に回り込み、毒液を滴らせた鋭利な尾を、乙羽の背中へと突き出そうとした瞬間――。
(……私の目の前で、一体誰を狙っているのですか?)
桜夜の瞳の奥で、白亜の桜の紋章が一瞬だけ瞬く。
誰も気づかない。
ただ、魔物の尾が乙羽に届く数ミリ手前で『突然その空間に絶対零度の花びらが現れて凍結』され、細胞レベルで氷砕したことなど。
桜夜の隣で誰にも分からぬよう、こき使われている『かつて第六席だった男』以外は誰にも知る由もない。
「さすが隊長だぜ! A級魔物をバッサバサ斬り捨てるなんてよ!」
「ホンマやで! こちとらまだ一撃じゃ倒せへんっちゅ〜のに!」
「一撃じゃなくてもキミは一度に数十体を同時に攻撃しているんだから、同じだよ! それに私たちコモレビは、コンビネーションで戦うんだよ!」
「ねぇ見てみてぇ! ボク魔導獣になってみたのぉ! 一号と二号とボク自身で100人力だよぉ〜!」
「また奇想天外なことを……と言いたいところですが、この軍勢の前では、確かに有効です! 巴瑞季は少し後方へ! 梓、右の敵を防いで下さい! 隊長、そのまま美咲と一緒に前方の軍勢を押し返して下さい!」
穂香の的確な解析と指示、そしてドローンでの援護を起点に、それぞれの役割を全力でこなすコモレビ。
それら全員の動きに合わせて裏からサポートをしている桜夜。
(本当にこの子らは強くなりましたね……)
順調に前衛の魔物を処理し、深部への道が開かれたかと思われた、その時だった。
『……ほう。ゴミ共が随分と騒がしいと思えば、なかなか面白いオモチャが混ざっているようだな』
空気が、止まった。
先ほどまでのA級魔物の群れなど児戯に思えるほどの、圧倒的で濃密な『死』の気配。
水姫と第五席の表情が、先ほどの余裕から一転して険しいものへと変わる。
紫色の瘴気が渦を巻き、その中心から、人間の形をした『何か』がゆっくりと歩み出てきた。
漆黒の甲冑に身を包み、手には身の丈ほどもある大剣を引きずっている。
その顔の半分は白骨化しており、空ろな眼窩の奥で、真紅の炎が揺らめいていた。
「……全員、直ちに後退しなさい」
水姫が、かつてないほど切羽詰まった声でコモレビに指示を出す。
「コイツは、今までの雑魚とは格が違う。……いや、今まで私たちが戦った第四柱や第五柱とも、次元が違うわ」
「ええ……僕の可愛い人形たちが、恐怖で震えていますよ」
第五席ですら、その額に冷たい汗を浮かべていた。
『我は第三使徒柱、グラッセ。……さぁ、アルカディアの羽虫共。少しは我の退屈を紛らわせてくれるのだろうな?』
深淵の底から響くようなその声に、コモレビの面々は絶望的なまでの実力差を感じ取り、本能的に後ずさる。
だが、最後尾に立つ桜夜だけは、その氷のような瞳を細めていた。
(第三柱……。遥さんを謀った裏切り者の手がかり、貴方なら少しは知っているのでしょうか?)
大剣を構えるグラッセを前に、底辺を偽る氷の死神は、静かにその牙を研ぎ澄ましていた。




