11、宝石のかき氷
夕方になり、月光食堂に百花たちが訪れた。
「琴音さん、お久しぶりです」
ほんの少し見ない間に、百花がしっかりとした挨拶をする。今日の百花は紫陽花柄の青い浴衣に、ひらひらとした兵児帯を結んでいる。
姉の千華は外出許可も出ているだけあって、元気そうだ。鉄線花の少し大人っぽい浴衣を着ている。
「大丈夫? 浴衣にかき氷をこぼさないでね」
「平気よ、お母さん。それに縁日はたこ焼きとか焼きそばとか、もっと汚れそうなものが売ってるんでしょう?」
母親の不安を消すどころか、さらに不安をあおるような言葉を千華は発した。
体は弱いが、芯は強いのかもしれない。
「お姉ちゃん、かき氷は何にする?」
勝手知ったる店という感じで、百花がテラス席に二人を案内する。将来のアルバイト候補なので、しっかりしている。
「今日ご用意できるのは赤紫蘇のシロップと、宝石のかき氷です」
聞きなれない名前に、百花と千華は互いに顔を見合わせる。
縁日が近づくと、常連のお客さん達もどこか気持ちが華やいで見える。だから数日前から、琴音はかき氷のシロップを新たに用意していた。
紫蘇ジュース用に作っておいた鮮やかな赤紫のシロップ。これはクエン酸が入っているので、夏の疲れにちょうどいい。
もう一つ、宝石のかき氷は、寒天で作った琥珀糖を砕いて、宝石のように散らすのだ。かき氷自体はクセのない白蜜で。琥珀糖にはそれぞれ使った果物で色が違う。
黄色いパイナップルは黄水晶、オレンジは淡い琥珀、バタフライピーの青は蒼玉、さらにレモン果汁を加えて紫に変化したものは紫水晶だ。
「百花、宝石にする! ねぇ、お姉ちゃんは?」
アルバイト候補の立場を忘れて、百花が子供に戻った。
「わたしも断然宝石がいい」
ですよね。琴音は微笑んだ。
宝石のかき氷は、大人の女性にも人気だ。琥珀糖といっても京都の和菓子店が作るような、端正な見た目ではない。小さく崩しているし、白い氷の上で華やぐように色も濃くしてある。
けれどそのチープさが反対にいいらしい。宝石のかき氷を頼んだ客は、それぞれにうっとりと氷を眺めていた。
『セボンスターのきらきらした宝石が好きだったのよ』
セボンスターが何のことか、残念ながら琴音にはさっぱり分からなかった。
『懐かしいわねぇ。宝石箱ってアイスが昔、お気に入りでね。ルビーとエメラルド、トパーズを模した氷が、それぞれバニラアイスに入っていたの。ちょっとお高かったんだけど、そればかり買っていたわ』
しかもアイスの箱には珍しく、真っ黒な地に煌めく宝石が大きくデザインされていたそうだ。それはぜひ食べてみたい。
この食堂は図書館と同じなのかもしれない、と琴音は思った。
書店では絶版になった本でも、図書館なら読むことができる。何十年もの時を軽く飛び越えて、昔にすっと入っていける。開いたページを翼にして、言葉の風の中を漂うことができるのだ。
月光食堂のメニューもそうだ。先代が残したレシピであれ、修道院のレシピで荒れ、琴音が試行錯誤しながら作ったものであれ。食べた人を、旅先の思い出や懐かしい頃に連れていくことができる。
「じゃあ、私は赤紫蘇の氷にします」
百花の母が、琴音に注文した。ずいぶん悩んだということは、宝石のかき氷にも興味があるのだろう。
「ママにも宝石、分けてあげるね。だからママのもちょっとちょうだい」と、母親と対面する席に座る千華が提案した。
「も、百花も」
姉の隣で、百花も声を上げる。
水の入ったグラスをテーブルに置きながら、琴音は嬉しい気分でキッチンに戻った。
赤紫蘇のジュースを知っている大人なら頼みやすい氷でも、子供にしてみれば興味津々だけれど「赤紫蘇って梅干しの? なんで?」となるだろう。
知らぬ味を注文する勇気はなくとも、好奇心を持ってくれるのはいいことだ。
かき氷に使用する氷は、冷凍庫から出してすぐには使えない。そのまま削るとシャリシャリとして口の中に氷の粒が残ってしまう。
冷凍庫から氷の塊を出して、室温で三十分。透明な氷の表面を水が滴るようになった頃が、かき氷には最適だ。
氷が柔らかくなる、というのだろうか。室温で表面を溶かした氷を削ると、ふわふわと絹の薄い布を重ねたような軽やかな状態になる。
かき氷機のハンドルを回していると、下駄の音が聞こえた。そして百花がキッチンに入ってきた。
「ことねさん、見てていい?」
「はい。どうぞ」
百花が背伸びをしてカウンターに手をかける。下駄が今にも脱げそうだ。
柔らかな氷は削られても、一続きのままに硝子の器に降っていく。先代が使っていたかき氷機だが、手動なので手入れをすれば現役で使うことができる。
「すごぉーい。むずかしい?」
「いえ。氷を柔らかくしていますから、力を入れなくても削れるんですよ」
「ほんと? すごいですね」
いつの間に入ってきたのだろう。百花の隣には千華も立っていた。百花同様に、千華も目を輝かせてするすると落ちていく氷を見つめている。
「こら、二人とも戻ってきなさい。ご迷惑よ」と母親の焦る声が聞こえた。
テラス席にかき氷を運ぶのを、百花も千華も手伝ってくれた。
「はい、ママ。ご注文のかき氷です」
「こちらは、えーっと、あかじそのシロップです……だよね? ことねさん」
ふり返った百花に、琴音は「その通りです」と頷いた。
ベッドで臥せていることの多い千華も、何かしてあげられることがあるのが嬉しいのだろう。百花と目を合わせて微笑んだ。
「懐かしいわ。夏になると紫蘇のジュースを祖母が作ってくれてね。まだ時間のある時に私も作ったことがあるんだけど。人によって味が違うのよね」
「おばあちゃん?」と尋ねる百花に、母親は「百花たちは知らないわよね。ひいおばあちゃんにあたるから」と、説明する。
「私が小学生の頃の夏休みは、午前中に学校のプールで泳いでいたの。でも、帰りは炎天下でね、汗だくになって家に飛び込むとおばあちゃんが赤紫蘇のシロップを水で割ってくれたのよ」
アスファルトの地面で低く陽炎が揺れて、早朝に開いた朝顔はもう萎れ始めている。ピンク色の花を集めたタチアオイはぐんぐんと青空を目指し、プールの塩素の匂いのするバッグを持ち、水滴の落ちる髪にタオルを載せて家に帰る。
そんな鮮やかな光景が、琴音の脳裏に浮かんだ。百花たちの母親もまた、子供であったのだ。そんなことにも気づかずにいた。
わたしのお母さんも、学校のプールに通ったのかな。そうだといいな。
自分の頭の中に浮かんだ考えに、琴音ははっとした。去っていく母の背中しか覚えていなかったから、つらい記憶を忘れるために記憶の底に封じこめてしまっていたから。
母は生まれながらに母親だったわけじゃない。琴音を置いていった日に、母親役を下りたわけじゃない。
「すっごいきれいね。百花ちゃん」
「宝石がいっぱいだね、おねえちゃん」
千華と百花の軽やかな笑いが聞こえる。
目の前のテーブルにはかき氷。白い雪の上に黄水晶に琥珀、蒼玉と紫水晶が散っている。琥珀糖の煌めきが琴音には滲んで見えた。




