2、とうもろこしのバター醤油ご飯
「あたし、誤解していたみたい」
七月半ばの朝。白い軽トラックでやってきた知夏が、いつものように月光食堂に野菜を持ってきてくれた。
収穫してすぐに運んでくれるので、トマトもパプリカもズッキーニも茄子も瑞々しい。しかも色が濃いのだ。しっかりと赤く、緑は濃く、紫は黒に近いほど。
「あ、とうもろこしはすぐに下ごしらえしてね。畑で湯を沸かして茹でろっていうくらい、スピードが命よ」
首にかけたタオルで汗をぬぐいながら、知夏がかぶっていたキャップを脱ぐ。
スーパーで売っているとうもろこしと違い、外皮に張りがあり小さな棘がある。ひげも白くしっかりとしているし、何より重い。実が詰まっているのが、皮をむかなくても伝わってくる。
「ところで何を誤解していたんですか?」
伝票を受け取りながら、琴音は尋ねた。キッチン内で野菜の青い匂いと土の匂いがする。
すぐに湯を沸かして、とうもろこしの皮をむく。茎に近い部分から皮を外す時に力をこめると、メリッと手ごたえを感じた。
「別荘暮らしの人たちのこと。お高くとまってる富裕層って思ってたのよ」
「お高くとまった富裕層、ですかねぇ?」
琴音は首を傾げた。雑誌で見るような、いかにも壁一面がガラスという別荘は見かけなかった。
透真が言うには「この辺りの別荘は、代々引き継がれたものが多いので。そうですね、大正の頃の建物もありますよ」とのことだ。確かに別荘を維持できるくらいなのだから、裕福ではあるのだろうが。
「でもさ、小学生の女の子が行方知れずになった時、一緒に捜そうって言ってくれた人も多かったんでしょ」
「はい。おおごとになれば百花さんが隠れてしまかもと思って、お断りしたんですが」
別荘暮らしをしている住民は、人捜しをしている琴音を見かけて手伝おうと声をかけてくれた。それも何人も。
どうやら知夏は夕方のアペロの時間に、他の客から百花のことを聞いたらしい。最近は月光食堂で提供する野菜のおいしさを知り、知夏のイダ・ファームから直接野菜を買っている三日月町の住人もいるようだ。
――うちの野菜は食べてくれたら、よさが分かるんだけど。でも、まず食べてもらうまでが難しい。
いつだったか知夏はそんな風に話していた。
「母さんにくっついて、この辺りは何度か来たことがあるけど。湖畔でゆっくりしようなんて考えたこともなかったなぁ。農家ってさ、常に忙しいのよね。父さんは時々お酒を飲みに行ってるけど、母さんは農作業と家事に追われて……アペロの時間を過ごせていたら、もっと長生きできていたのかな」
知夏は窓越しに見える青い湖に視線を向けた。何か人生の節目に来ているのだろうか、ふと琴音は感じた。
コンロの方から、湯の沸く音が聞こえてきた。
「知夏さん。今日は夕方はいらっしゃいますか?」
「今日は約束が入ってるから。夜は誘われてるのよ」
頰を緩ませた知夏は、照れたようにキャップを目深にかぶりなおす。軍手の履き口から、ちらりと金の鎖が見えた。
ああ。琴音は納得した。
これはただのデートではない。きっと将来につながる話があるのだろう。
「じゃあ、また明日ね」と手を振りながら知夏が店を出ていく。
エンジンの音。テラスに続く窓から、琴音は走りだす白い軽トラックを見送った。
知夏から母親の話を聞いたのは初めてだ。父親と一緒に農作業をしている知夏も、忙しいだろうに。愚痴も言わずに、いつも元気がいい。
それでも希少野菜をめぐって、父親とは一悶着あったらしい。
『父もね、アーティーチョークを収穫して「どこを食べるんだ? これは野菜じゃないだろ」ってぼやいてたけど。最近は慣れてきたみたいよ』
畑では大きな声で話さないと相手に聞こえないから、知夏の声はよく通る。日焼けもしているし常に元気な印象だが。さっき、母親のことを話した時は知夏の顔に寂しい影がよぎった。
でも、彼がいるのなら寂しさも紛れるに違いない。
本日のランチは、もぎたてのとうもろこしを使うことにした。
パンを提供する日の方が多いのだが、もともと今日はご飯を出す予定だったので、とうもろこしの炊き込みご飯にした。バター醤油が味の決め手だ。
茹でたばかりのとうもろこしも、食べやすい大きさに切って添える。
とうもろこしは芯からも旨みが出る。ナイフで生の実を削いだ後の芯も一緒に、炊き上げるのだ。
戸棚の奥から大きな土鍋を出して、浸水させたお米ととうもろこしの実に、芯も入れる。
「変わった料理法ですね」
療養院に予約本を届けた透真が、月光食堂のキッチンで琴音の手元を覗きこんだ。
「うわ、びっくりしました。いつ、いらしたんですか?」
「先ほど。ちゃんと声をかけましたよ」
気づかなかった。それほどに炊き込みご飯の仕込みに集中していたようだ。
「今日のランチは何ですか?」と、透真が尋ねる。
「とうもろこしのバター醤油ごはんに、茄子とズッキーニの揚げびたし、メインは唐揚げですよ」
「おお、そういうのもいいですね。修道院仕込みっぽくはないですが」
透真の顔が輝いた。素材を重視したいつもの料理も人気だが、ケイジャンポップコーン以来、週に一度は揚げ物も出している。
別荘暮らしの人たちにも「懐かしいなぁ。おふくろの味を洗練させたみたいだ」と好評だ。
そう。茶色はおいしいし、好まれる。唐揚げに赤いパプリカと緑のパセリを添えれば、彩りのバランスもいい。
夏は揚げ物というくだりは『枕草子』にはないが。夏野菜の茄子も油と相性がいい。
「これはランチが楽しみです」と、透真は足取りも軽くキッチンを出ていった。もはや我が家の台所感覚だ。
◇◇◇
今日のランチの唐揚げは、男性客からの予約が多かった。魚と違い鶏肉は安定して入るので、月光食堂の前に立てる木の看板に「金曜日、鶏のから揚げ」とメニューを書いた紙を事前に貼っておいたのだ。
「あ、なんか学生時代を思い出す。ほら、部活の朝練で腹が減るからさ、持っていった弁当を休み時間に食べてしまうんだ。からあげが好きでさー」
療養院の方から軽貨物の車でやって来た男性二人が、からあげを食べながら天井を仰ぐ。
どうやら医薬品配送のドライバーのようだ。同じ席の二人とも、青い上下を着ている。
生姜醤油を利かせ、片栗粉をまぶして揚げているので竜田揚げに近いかもしれない。
さくっとした衣と、二度揚げしてジューシーな鶏肉。二度揚げする時は油が跳ねるので、注意が必要だ。
琴音も作りながら味見をしたが。とろける脂は甘みがあり、生姜の風味と相まって「お……美味しい」と唸ってしまった。
唐揚げ一つで、人は幸せになれるのかもしれない。
「うちの奥さんは、キッチンが汚れるから揚げ物をしてくれなくてさ。けど、たまに食べたくなるんだよね」
うんうん、と対面する席の男性がうなずいてる。
なるほど。確かに療養院を仕事で訪れる人は少なくない。だとすると揚げ物メニューは平日がいいかも、と琴音は思案した。
月光食堂に来る前に小論文や作文の添削の仕事をしていたが。決められたマニュアルから外れると注意を受けていたので、こんな風に自由な裁量が認められているのが嬉しくもある。
「とうもろこしご飯にバター醤油。ああ、罪の味だ」
「修道院関係の食堂だから、こういうのはないと思ってたよ」
お水のお代わりを頼まれて、琴音はピッチャーを持ってテーブルに向かった。今日はあえてテラスを選ぶお客は少ない。勿論、この後も仕事が忙しいのもあるだろうが、提供する料理によってお客さまも変わってくるのだと実感した。
それでもどんな料理であっても、知夏が作るイダ・ファームの野菜は人気がある。さすがは知夏だ。




