1、ケイジャンポップコーン
どうにも月光食堂のお客さまに偏りがある。
七月の半ば。夕方の営業が終わったひっそりとした店内で、琴音は腕を組んで唸っていた。
テーブルに置いた予約票を、椅子に腰かけて何度もめくる。柴本夫妻のように、夫婦そろって訪れてくれる人は常連となってくれている。療養院帰りの人や近くに住む女性が集まってランチを取ってくれるが、男性だけというお客が少ない。
調理にも接客にも慣れてきたので、もう少しお客さまを増やしたいところだ。
琴音一人でまわしているので人件費はいらない。家賃も必要ない。
それでも食材や飲料費の仕入れにかかる値段。ストローや紙ナプキン、おしぼりなどの消耗品費。光熱費、洗剤や消毒液などの衛生費は必要だ。
「うーん。夕方のアペロを出しているから大丈夫なんだけど」
ドリンク類、とくにお酒は生鮮食品と違いロスが発生しない。
とくに月光食堂では消費期限の管理が必要なビールと日本酒を扱っていないので、その点はありがたい。
でも、あと少し。食堂の前を素通りする人に興味を持ってもらい「予約を入れてみようか」という気持ちになってほしい。
そもそも見込めるお客の絶対数が、山の下の街と違って少ないのだ。
ぽとん、とキッチンの蛇口から水の落ちる音がした。
「こんばんは」という挨拶と共に、ウインドチャイムが鳴る。
「いらっしゃい、透真さん。遅かったですね」
「はい。講義の後の質問が長引いてしまいました」
今日の透真はアロハシャツではなく、胸ポケットに小さな葉っぱの刺繍の入ったシャツを着ている。どうやら女子大の学科長から「アロハはさすがにね」とやんわりと注意されたらしい。
「夕食を取ってありますよ。そちらの席でどうぞ」
「ありがとうございます、いただきます」
店内にある手洗い場で手を洗いながら、透真が微笑む。どこか疲れて見えるのは、講義が大変なのだろうか。
「うわ、おいしいです」
お皿にかかった布巾を外した透真が、声を上げた。まだ食べていないのに――
「あ、これは一分後の未来を想定して、先に口にしたのですよ」
テーブルに置いた皿には、ケイジャンポップコーンが盛られている。ポップコーンといっても、映画館で食べるアレではない。
アメリカ南部の料理で、ザリガニに衣をつけて揚げたものだ。ザリガニは手に入らない場合は小エビを使う。
よく似た料理にポップコーンシュリンプがあり、そちらの方がよく知られている。
ポップコーンのように小さくて、手でつまんで食べることができるので、そんな名前がついている――と、月光食堂の吊戸棚に並んでいるレシピ帳に描いてあった。
もちろん琴音は小エビで作った。
ザリガニというとアメリカ南部や北欧で食べるイメージがある。
「今日は透真さんはお昼もいらっしゃらなかったですから。ランチにケイジャンポップコーンをお出ししたら好評だったんです。ランチの時間にお酒もよく出て、売り上げも好調でした」
琴音もまかないでケイジャンポップコーンを食べた。かりっとした衣はガーリックとハーブが効いている。そして中のエビはぷりっとした歯ごたえだ。
おいしい。ただその一言だ。
一口サイズの小さい中に、旨みがぎゅっと詰まっている。
――ビールに合いそうな、濃い味なんだけど。でも、ジンリッキーと一緒なら洒落た感じになるなぁ。
――甘くないお酒にあうよね。
お客様の反応に耳を傾けながら、琴音は「これはいけるかも」と頷いた。
カレーやスパイスの効いた料理は、意外なことに修道院でも食べたりする。
フランスのモンサンミッシェルで暮らす修道女たちも、ココナッツクリームの入ったカレーを作ると聞いたことがあり、琴音も驚いたのだ。
修道院育ちの琴音は、どうしても素材重視の料理を作ってしまう。それは悪くないのだが、夏はもっと力強く、刺激のあるものが好まれる。
月光食堂の母体はウィリディタス修道院だが。何十年も前に先代が経営を引き継いだので、修道院の料理に囚われる必要もない。
「途中で何かを食べても良かったんですが。そうすると、琴音さんの料理を存分に味わえない気がして」
「元気がないのは低血糖でしたか」
琴音はキッチンに入り、今晩のメニューであるカレーを温め直した。夏野菜のカレーだ。勝手知ったる透真は「ああ、いい匂いがします」とふらつきながら、自分でピッチャーから水をグラスに入れた。
「意外と暑い時期でも揚げ物はいけますよね」
「それです!」
カレーを運んでいた琴音が声を上げた。辺りが静かだから声が響く。椅子に腰かける途中の透真が、驚いて固まってしまった。
なぜケイジャンポップコーンが人気だったのか。「どんな料理かぴんとこなかったけど、お酒に合うわね」とお昼からお酒の注文が入ったのか。
琴音はビアガーデンというところに行ったことがない。けれど冷えたお酒と揚げ物。ケイジャンポップコーンに使った、タイムにオレガノ、バジルと胡椒、そしてガーリック。そして中身は好きな人が多いエビ。
さらに自由にメニューを広げてもいいのだ、と琴音は目の前が明るくなった。
「野菜や魚は、その日に入ってくるもので種類が違いますが。大まかなメニューを書いて、外の立て看板や食堂内に貼ってもいいかもしれません」
たとえば煮込み料理の日、オーブン料理の日、揚げ物の日などだ。ふだんはパンを添えているが、料理によってはご飯でもいかもしれない。
「白米じゃなくて、雑穀を混ぜると女性が好みますし。炊き込みご飯もいいですよね」
今日のケイジャンポップコーンのように、エスニックな料理を出すのもいい。お客さまが楽しんでくれて、利益も上がる。また月光食堂に来たくなる。それはとても楽しい。
琴音はメモを取り、カウンターに立って自分の考えを書き連ねた。
「店主らしくなってきましたね」と、透真が頰を緩める。
「やはり大事なお店ですから。経営難で閉店となると、わたしも皆さんも困りますので」
「ぼくも困ります」
かりっと音をさせながら、透真がケイジャンポップコーンを食べる。しばらく瞼を閉じて「これは飲みたい気分になりますね」と呟いた。
透真が来店するまでは、窓の外からは虫の声がうるさいほどに聞こえていたのに。二人でいると、つい話し込んでしまって虫が鳴いているのも忘れてしまうほどだ。




