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マッサージを受けた後、書斎に手下を集めた。
留守にしていた一週間の業績を確認するためだ。俺が突然いなくなったところで、商売は滞りなく回っている。結構なことだ。
報告を終えた部下たちを下がらせ、ガウルだけを残す。
がらんとした書斎を見回して、ふと違和感を覚えた。
「なんか、すっきりしたな」
旅に出る前、この部屋はもっと雑然としていた。書棚からは本や地図があふれ、商品や商売道具がうず高く積まれていた。テーブルにはジョッキや皿が置きっぱなしで、長椅子には誰のものかも分からない服が放り出されていたはずだ。
もちろん、すべてが片づいたわけではない。だが、以前に比べれば多少はましになっている。
「ピスターチュがこの部屋に入って、『汚い部屋ね』って言ったんですよ」
「おいおい、あの娘をこの部屋に入れたのか? 見られたらまずいものが山ほどあるんだぞ」
「入れたわけじゃありません。元気になったら屋敷の中をうろうろし始めて、この部屋にも勝手に入ってきたんです」
「入れたのと同じじゃないか。油断しすぎだぞ。あの娘の正体は、まだ分かっていないんだ」
「殿下が拾ってきたんじゃないですか。何の説明もせずに押し付けてどっかに行っちまうし」
「それは悪かったが……」
「ご安心ください。汚いから入る気にもならない、と言っていただけですから」
散らかっていたのは事実だが、そこまで汚かっただろうか。
いや、それよりも。
「まさか、あの娘が片づけたんじゃないだろうな?」
「いいえ。掃除はしたことがないそうです」
「じゃあ、この部屋のものには手をつけていないんだな?」
少しだけ安心した。
だが、すぐに別の疑問が浮かぶ。
「掃除をしたことがないだと? 俺だって、身の回りの掃除くらいはするようにしつけられたぞ」
「掃除だけじゃありません。料理も洗濯も、家事全般をやったことがないそうです」
「伯爵家、甘やかしすぎだろう」
「家によってしつけ方は違いますからね。殿下はきちんとしつけられていたおかげで、こうして王宮を出てもやっていけるんです」
「自分の手柄みたいに言うな」
「手柄ですから」
ガウルは得意げに笑った。
腹が立つ。
「つまり、あの娘を下女として屋敷に置くなら、一から仕事を教えなければならないということか」
「おや。置いておくんですか?」
「売り払ってもいいが、あのマッサージの業を手放すのは惜しい」
先ほどの感触を思い出し、思わず顔が緩んだ。
ガウルの言うとおり、ピスターチュのマッサージの腕は一級品だった。
昇天した。
「あんなマッサージは受けたことがない。あちらの王子は、聖女の力で怪我が治ったとはいえ、よくあの娘を国外追放したものだ」
「そりゃあ、四十手前の殿下にとっては極上の業でしょうが、十代の王子には分からなかったんでしょう」
「若造にはありがたみが分からんか」
「あれが分からないとは、もったいない話ですな」
負け惜しみに聞こえるかもしれないが、これは本心だ。
あの快感を味わえるなら、年を取って衰えたこの身体も悪くないと思えてくる。
「マッサージ屋でも始めるか」
「ピスターチュを働かせるんですか?」
「反対なのか? うちは、働かない奴を置いておけるほど余裕はないぞ」
「それはそうですが、家事もできない伯爵令嬢ですよ。まともに働けますか?」
「働かないなら飯抜きだ」
「そんなご無体な……」
「なんでお前がそんなに情を移しているんだ?」
ガウルは俺に、非情であることの大切さを教えた男だ。まさか、こいつの口からこんな言葉が出てくるとは思わなかった。
「そんなんじゃありません。まずはピスターチュ本人の意思を確認するのが大事だと言っているんです」
「本当か?」
どうにも怪しい。
俺が留守にしていた一週間の間に、いったい何があったのか。徹底的に問い詰める必要があるかもしれない。
だが、今日はもうそんな元気もなかった。ピスターチュのマッサージのおかげで、身体はすっかり休息を求めている。
「まあいい。今日はこの話は終わりだ。飯を食って寝る。準備を頼む」
「分かりました」
ガウルが不満そうに出ていこうとする。
「ちょっと待て」
俺は呼び止めた。
ガウルは俺にとって師匠のような存在だ。信頼している。だが、今回ばかりはどうにも不安が残る。
念のため、釘を刺しておこう。
「ピスターチュを信じすぎるな」
「どういうことです?」
「この一週間、リナートへ行っていた。媚薬の資金を回収するついでに、あの娘についても調べてきたんだ」
「なぜそれを先に言ってくれねーんです。で、どうだったんです?」
「伯爵令嬢が麻薬を国内にばらまき、反逆罪で国外追放されたという話は本当だ。王子との婚約は解消され、聖女と婚約を結び直している」
「なるほど。それで、追放先は?」
「それが、はっきり知っている奴が誰もいなかった。中には、まだ伯爵家にいるという話まであった」
「追放は取り消しになった、と?」
「そういうことでもないらしい」
ガウルは首をひねった。
「大っぴらにする話でもないでしょうが……妙な話ですな」
俺も頷いた。
「伯爵令嬢の評判も、聞く相手によってずいぶん違っていた。まあ、一般市民が伯爵令嬢本人に会う機会なんて、そうそうないだろう。知らなくても不思議はない。だが、ひとつだけ共通していることがあった」
「なんです?」
「国外追放された伯爵令嬢の髪は、黒かったそうだ」
ガウルが目を見開いた。
「ピスターチュは金髪です」
「そうだな」
「どういうことです? しっかり洗いましたよ」
拾ってきた時、ピスターチュの髪は埃まみれだった。それが今では、光を反射するほどきれいになっている。
仮に、正体を隠すために染めていたのだとしても、あれだけ洗えば染料も落ちているだろう。
「つまり、偽物だってことですか?」
つい先ほどまで、あれほど熱心にピスターチュを庇っていた男が、見るからに気落ちしている。
「偽物か……」
何の偽物なのだろう。
伯爵令嬢の偽物なのか。それとも、そもそも噂になっている伯爵令嬢は実在するのか。
なにせ隣国の話だ。確かなことは分からない。
ただ、厄介なものに巻き込まれ始めているのではないか、という気はした。
いや、もしかすると、すでに巻き込まれているのかもしれない。
「分からん。ただ、信じすぎるなということだ」
「子供を信じちゃいけないとは……世知辛い世の中ですなあ」
ガウルは肩を落として出ていった。
俺はピスターチュの顔を思い浮かべる。
芯が強そうでいて、どこか抜けている少女。
表情が豊かというより、いくつもの顔を使い分けている、と言ったほうがしっくりくる。
「面倒なものを拾ってしまったのかもしれないな」
そう呟き、机の上にあった木製のジョッキを手に取った。
そして、酒をあおった。




