↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/5

2


 突然の思いつきで始めた旅から、一週間ぶりに屋敷へ戻った。

 すると、意外なことにガウルの機嫌がいい。

「いやあ、殿下。ピスターチュは最高です」

「ピスターチュって、なんだ?」

「殿下が置いていった娘ですよ」

「ああ、あの娘か。……えっ、なに? お前、あの娘に手を出したのか?」

 思わずガウルの顔をまじまじと見た。

「何歳離れていると思ってるんだ。引くわー」

「そんなわけないでしょう」

 呆れた目で見返された。

「じゃあ、なにが最高だったんだ?」

「論より証拠です。まずは殿下も、ピスターチュの業を受けてみるべきです。一発で昇天しますよ」

「……本当に手を出してないんだろうな?」

 念のため、もう一度確認する。

「手を出されたのは、こっちです」

「何を言ってるんだ、お前は」

 さっぱり要領を得ない。これ以上付き合っていても時間の無駄だ。

「もういい。あの娘はどこにいる?」

「三階の奥の部屋を与えました」

「大層なもてなしじゃないか」

 そこは客間の中でも一番いい部屋だった。薄汚れた娘に与えるような部屋ではない。

 もっとも、俺は一週間も屋敷を空けていたのだ。その間に何があったのか、実際に見てみるのが早いだろう。

 旅装も解かずに、ピスターチュのいる部屋へ向かう。ガウルも当然のようについてきた。

「それで、殿下は一週間も何をしていたんです?」

「ちょっとした調べ物だ」

「何を調べていたんです?」

「後で話す」

 これ以上の追及を避けるため、目的の部屋の扉をノックした。


「どうぞ」

 返ってきた声には、以前よりも張りがあった。

 扉を開けると、そこには見違えるような少女がいた。

 髪も身体も、きれいに磨き上げられている。身につけているのは庶民向けの粗末な服だが、それでも隠しきれない気品があった。十分な食事を取ったおかげか、やつれていた顔には生気が戻り、虚ろだった瞳も今はまっすぐこちらを見据えている。

 なるほど。人間、磨けばそれなりになるものだ。

「あら、お帰りになられたのですね」

 少女は椅子から立ち上がり、丁寧に頭を下げた。その動きに合わせて、金色の髪がさらさらと流れる。

「このたびは助けていただき、ありがとうございます。感謝の言葉もございません」

「すっかり元気になったみたいだね」

「おかげさまで。名乗るのが遅くなりました。私、イバド・ピスターチュと申します」

「ふん」

 その名を聞いて、鼻を鳴らした。

「恩人だと思うなら、偽名を使うのは失礼だと思わないかい?」

「あら」

 少しは怯えるかと思って声を落としたのに、少女は呑気に目を丸くした。

「私の名前をご存じなのですか?」

「リナート国で国外追放された伯爵令嬢なんだろう。この国でも有名人だよ」

「そうなのですね」

 少女はわずかに困った顔をしたものの、すぐに微笑んだ。

「しかし、私は国外追放された際に、伯爵家からも追放を告げられました。ですから、もう伯爵家を名乗ることはできません。そうなれば、両親からいただいた名前を使うのもよくないと考えたのです。イバド・ピスターチュは偽名ではなく、新しい私の名前なのです」

 そこには、少なくとも本人なりの覚悟が感じられた。薄暗いものなど何もないと言わんばかりの、まっすぐな言葉だった。


「なるほど。筋は通っている」

 きれいにまとまりすぎている気もするが。

 俺はピスターチュの向かいに腰を下ろし、彼女にも座るよう促した。

「ご立派な考えだが、そんなことを考えられる君が、どうして国外追放されるようなことをやらかしたんだい?」

「それは……」

 少女は言葉に詰まり、やがて、ぽつりぽつりと語り始めた。

「あの時は、王子に婚約を解消されそうになっていて、混乱していたんです。どうすればいいのか分からなくて、誰に相談すればいいのかも分からなくて……。そんな時に、いろいろと教えてくださる方がいたんです。聖女に犬をけしかけたり、媚薬を使って王子を誘惑したりすればいい、と」

 そこで一度、言葉を切った。

「今は、バカなことだったと自分でも思います。でも、あの時は必死で、そうするしかないと思っていたんです。まさか、あんな大騒動になるなんて……。お父様にもお母様にも、大変な迷惑をかけてしまいました」

 苦しそうに胸の内を吐き出す姿は、確かに人の心を打つものがあった。

 後ろに立つガウルなど、すでに涙を流している。

 お前は本当に、そんなに簡単に感動してしまう男だったか?

「反省しているのかい?」

「もちろんです。その証が、イバド・ピスターチュです」

「どういう意味なんだい?」

「何の意味ですか?」

「君の新しい名前の意味だよ」

「ああ、それはですね……」

 少女は頬を赤らめ、手で顔を隠すようにしながら、もじもじとした。

「好きなお菓子の名前をもじったんです」

「お菓子……」

 少女らしい発想と言うべきなのだろうか。

 先ほどまで語っていた覚悟とは、ずいぶん距離があるように思える。

「甘い生活を送りたいってことか?」

「いえ、いえ、そんな意味を込めたわけではなくて……。またそのお菓子を食べられるような生活に戻れるよう、頑張ろうという意味で……」


「はは……」

 思わず苦笑が漏れた。

 どれだけ賢しげなことを口にしたところで、結局は世間知らずの少女なのだ。いや、少女というより、まだ子供なのかもしれない。

「君が国外追放された理由は分かった。それで、なぜ貧民街の裏路地でうずくまっていたんだい?供の者はどうした?」


 国外追放とはいえ、貴族の娘を着の身着のまま放り出したりはしない。普通なら親戚や縁のある者に預けるものだ。伯爵家ともなれば、この国にも何らかのつながりがある家があったはずだ。ピスターチュも、そこへ身を寄せることになっていたのだろう。


「街道で山賊に襲われたのです。従者が私を逃がしてくれました。その後、従者がどうなったのかは分かりません。再会することもできず、森をさまよっているうちに、この町へたどり着きました」

 少女は暗い表情で答えた。

「どこへ行くつもりだったんだ?」

「それが……恥ずかしい話なのですが、お世話になるはずだった方のお名前を覚えていなかったのです。いろいろとショックなことがありすぎて、それどころではありませんでしたし……。まさか山賊に襲われるとも思っていませんでした」

 旅人が山賊に襲われるとは、国の治安にも問題がある。とはいえ、俺が国を代表して謝る義理はない。

 それよりも、ガウルが「かわいそうに」と泣いているのが鬱陶しい。

「警備隊には届けなかったのかい?」

「それは……この町に入る際、正式な入口を使わなかったものですから。警備隊のお世話になるわけにはいかなかったのです」

 こんなに鈍くさそうな少女の侵入を許すとは、警備隊はいったい何をやっているんだ。

「この国でも、すでにお尋ね者なのか?」

「そんなことはありません。こっそり入ったので、誰にも気づかれていませんし、誰からも尋ねられていません」

 理屈は通っている。

 威張って言うことではないが。


「でも、町に入れたのはよかったのですが、頼れる人もおらず、お金を稼ぐこともできず……。お腹が空いて動けなくなったところで、あなた様に声をかけていただいたのです」

「なるほど。だいたいの事情は分かった」

 そう言って納得したふりをしたが、分からないこともある。

 ピスターチュが向かうはずだった家だ。国外追放されたとはいえ、伯爵家の娘を預かるのだから、それなりの格式のある家だったはずである。

 娘が予定どおりに到着しなければ、心配して警備隊に捜索を依頼するなり、何らかの手を打つなりするだろう。

 しかし、俺が調べた限りでは、そんな痕跡は見当たらなかった。

 そもそも、そんな家は本当にあったのだろうか。

 疑問は尽きないが、今はひとまず飲み込んでおく。


「なかなか苦難の多い人生を歩んでいるようだ。それで、これから君はどうしたい?」

「あら?」

 少女は意外そうに目を丸くした。

「ずっと、こちらに置いていただけるのではないのですか?」

 けろりと、ずいぶん厚かましいことを言う。

「腹が減っているならついておいで、と言っただけだよ。これから先、ずっと無銭飲食を許せるほど、うちは裕福じゃない。ここにいたいなら、何か仕事をしてもらわなくちゃいけない。得意なことはあるのかな?」

「飛び切りのものがあります」

 背後に立っていたガウルが、待ってましたとばかりに声を張り上げた。

「マッサージです」

「……それって、性的なやつか?」

 さっきから一発で昇天するとか、妙なことばかり言っている。

「こんなお嬢さんを前にして、何を言っているんです。健全なマッサージに決まっているでしょう」

「決まっているって……普通の伯爵令嬢はマッサージなんかしないだろう」

「そこには感動の物語があるんですよ」

 こいつ、いつからこんなに涙もろくなったんだ。

 ガウルに促され、ピスターチュが少し困ったような顔で説明を始めた。

「昔、王子が暴れ馬から私をかばってくださったことがあるんです。でも、その時に王子は大怪我をしてしまいました。医師たちが必死に治療をしたのですが、身体に麻痺が残ってしまって……。少しでも痛みを和らげてあげられないかと思って、マッサージを習ったのです」

「立派な心掛けではあるが、ご両親は何も言わなかったのかい?」

「最初は驚かれていましたけれど、反対はされませんでした。だって、王子のためですから」

 目を細め、口元に笑みを浮かべる。

 どうにも、嘘っぽい。

 だから、少し意地悪をしてみた。

「でも、王子様には捨てられたんだろう?」

「そうですね。だって、あの女は癒やしの力が使えましたから。怪我はすっかり治って、私のマッサージなんか必要なくなりました」

 朗らかに、笑顔のままで言う。

 怖い。

 本当に怖い。

 申し訳ありませんでした、と心の中で土下座した。


「物は試しです。殿下もピスターチュにマッサージをしてもらえば、一発で分かりますよ」

「お前がそこまで言うなら……頼めるかな」

 一週間の旅から帰ってきたばかりで、身体はくたくただ。正直、あちこちが悲鳴を上げている。

 たとえ腕が拙くても、マッサージをしてもらえるならありがたい。

「構いませんけれど……まずは埃を落として、さっぱりされてからの方がよろしいかと思います」

「それはそうだな」

 荷物を下ろしただけで、まだ旅装すら解いていない。

「では、後ほど頼む」

 どっこいしょ、と心の中で呟いて立ち上がる。

「はい。お待ちしております」

 ピスターチュは立ち上がり、俺を見送った。

 その姿を、改めて眺める。

 細く白い腕。節の目立たない、すらりとした指。

 どう見ても、マッサージが得意な人間には思えない。

 若い娘に施術してもらったというだけで、ガウルが贔屓目に見ているのだろう。

 この時の俺は、まだそう思っていた。

 

 まじで飛んだ。

 この女、やばい。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。