第七話 昭和の終わりと花束と
1989年1月7日。
昭和64年を以って昭和が終わった。昭和天皇が崩御されたのである。
昭和天皇の容態が悪くなった前年秋から自粛ムードが高まり、テレビのバラエティ番組が打ち切りや差し替えとなることも増えた。テレビっ子である和子と由恵には辛いことだった。2026年にはYouTube等の配信コンテンツの視聴が中心で、テレビはほとんど見ていなかった二人ではあったが、娯楽の少ない昭和、小さなテレビの前で過ごす時間が何よりの楽しみだった。現代であればコンプライアンス違反で糾弾されるであろう、激しい昭和のバラエティが二人の一番のお気に入りであった。両親が子供の教育にうるさくないタイプだったのが幸いである。
「とうとう平成か……」
由恵の呟きである。九月に四歳になった由恵の発音は急にしっかりしてきた。目を細めて感慨深そうな姿が、今年幼稚園入園予定の幼児の外見にはアンバランスだ。和子が由恵の耳元に囁く。
「由恵、聞こえるぞ、自粛しろよ……」
崩御は土曜の朝だったので、木本家全員が勢揃いしていた。大人達は皆、沈鬱な面持ちである。当時官房長官だった小渕恵三が『平成』の元号を掲げた映像はまだ放映されていないのだ。次の元号を知る者が熊本の田舎にいて、それがいたいけな子供達だとは、東京の国会議員達には想像もつかないだろう。
***
崩御による自粛ムードも薄れてきた同年三月、和子にとって小さな節目があった。二年生である和子の四学年上の登校班の班長さんが小学校を卒業することになったのだ。卒業式に出席する在校生は高学年だけだったので、二年生の和子は出席できなかった。
集団登校の班は和子以外全員男子だった。二年の間、班長さんは最年少の和子を気遣い、歩調を合わせて、隣を歩いてくれた。田舎には珍しく、物静かで優しい男の子だったのだ。雨の日、道路脇の排水溝の隙間に和子の小さな長靴が嵌って抜けなくなった時には、自分が濡れるのも厭わず、跪いて長靴を抜いてくれたのだ。和子は傘を差して脇に立っていたから、班長さんの長い睫毛の先から雨の雫が零れ落ちたのを今でもよく覚えている。同じクラスの猿のような男子共とは比べ物にならない程の王子様なのであった。
「班長さんに卒業祝いがしたい」
卒業式の翌日の土曜日、和子が母にそう言うと、母は快く賛成してくれた。一緒に行こうかと言ってくれたが、和子は自分でプレゼントを選びたかった。五百円玉を握りしめ、一人で近所の雑貨屋さんに出掛けた。三十分程悩んで購入したのは五百円の紺色のタオルハンカチ。三パーセントの消費税が導入されるのは今年の四月だから、支払いはぴったり五百円だった。ラッピングのリボンの色は選べたので、紫色にしてもらった。和子の推しのメンカラであった。
班長さんの家は同じ町内、和子の家から目の鼻の先である。玄関先でチャイムを押すと、現れたのは班長さんのお母さんである高木のおばさんであった。
「あの、班長さんはいますか?」
「あら、和子ちゃん。ごめんね、あの子はさっき遊びに出掛けちゃったとよ」
和子が卒業祝いを持ってきた旨を告げると、高木のおばさんは目を細めた。
「班長さんにはとても優しくしてもらいました。ありがとうございましたとお伝えください。そしてご卒業おめでとうございます」
「和子ちゃんは本当にしっかりしとるね!」
目を丸くする高木のおばさんに見送られて、和子は高木家を後にした。
その日の夕方のことである。和子と由恵は二階の寝室で、父がたまに買ってくるようになった経済誌を腹ばいになって読んでいた。
「ドル円、120円台か……」
プラザ合意の頃には240円台だったドル円の為替レートは一気に円高に振れ、今は120円台となっていた。
「240円も信じられんが、120円台も久々に見た」
由恵がゴロンと仰向けになる。和子と由恵のいた2026年では1ドル=160円位の水準が続いていたから無理もない。
「2026年には、円安でバーゲンセールになった日本の高級不動産を外国人が買い占めているなんてニュースを見たもんだけど、今は逆だね」
和子が日本企業によるアメリカ企業の買収についてのページを見ながら呟く。
タイムズスクエアが日本企業の看板やネオンで覆われていた、日本が強かった古き良き時代。一回目の時は幼過ぎてほとんど記憶がなかったが、こんな時代に青春を送った人は、これからもっと良くなると前向きな気持ちで生きていけたのだろうなと、和子は羨ましく思う。でも由恵の年表によればこんな時代ももうすぐ終わりを迎えるのだ。来年にはバブル崩壊が始まるのだから……
ピンポーンと玄関のチャイムが鳴り、母のスリッパの足音が聞こえた。ガラガラガラ。引き戸を開ける音がする。
「かずちゃーん!」
母が二階に向かって叫ぶ。
「班長さんが来てくれなはったよ!」
和子が転がるように階段を駆け降り、玄関の外に出ると、そこには班長さんが立っていた。紺色の野球帽を被っているので、目元に影ができ、いつもより少しだけ大人びて見えた。
「かずちゃん、ハンカチ、ありがと」
班長さんはそう言いながら背中に持っていた物を和子に差し出した。
小さな花束だった。紫色のリボンで束ねられている。
「嬉しかったよ。元気でね」
そういうと照れくさそうに和子の手に花束を押し付けて、家の方向へ走り出した。
「中学に行っても頑張ってくださいね!」
和子はその背中にそう声を掛けると、班長さんが角を曲がるまでその後ろ姿を見つめていた。
「あれが推しに似た班長さんか。なるほど、かわいい顔をしている」
気づくと由恵がニヤニヤしながら、玄関先に出てきているではないか。
「そう、私の二回目人生最初の推し……高木のおばさんが用意してくれたんだろうけど、花束渡しに来てくれるなんて、素敵が過ぎない!?」
「それな、アツい……思春期の入り口で自意識過剰なお年頃だろうにな」
由恵も深く頷いて同意した。
花束は母の手で狭い床の間に飾られた。一週間ほどで枯れてしまったけど、和子は紫色のリボンを丁寧に巻いて、いつまでもいつまでも大事に持っていた。
***
同年三月、由恵は幼稚園に入園した。
最初は「ガキの相手、ダルい」とこの上もなく面倒くさそうにしていた由恵だったが、毎日行くところがあり、今までとは比べものにならないくらいたくさんの話し相手を得て、満更でもなさそうだ。
「姉ちゃん、私、最近思うんだけど、容れ物にある程度は精神も引っ張られる」
両親がいない水曜の夜、ブラウン管テレビからふと目を離して、由恵が言う。
「私達、しっかり一回目の記憶があって、四十代としての知識もあるじゃん。でも『おかあさんといっしょ』に妙に心躍ったり、幼稚園のお遊戯が満更でもなかったりするの」
「分かる。私も自分の中で四十代と八歳が絶妙に同居してる。慣れてくると悪くない。あと、数回しか読んでない本、ほぼ暗記してたりして小学生の黄金の記憶力にビビってる」
和子が応じると、由恵が頷きながら言う。
「今回生き直すチャンスなんだから、前とは違ったこと勉強してみるのもいいかもね。お金の投資できない間は自分への投資をコツコツ……」
由恵は真面目だな。和子はそう思った。そして前向きだ。
推し活以外に大してやりたいことがなかった一回目。二回目の目的は主に投資による金儲けだけど、それ以外にも何かやりたいこと、見つかるんだろうか。
第七話まで投稿完了しました!
班長さんが個人的にお気に入りなので、気に入っているエピソードです。
もう少し先までストックがありますので、安心して読み進めていただければと思います☺️
私自身とても楽しみながら書いていますが、読んでくださっている方にも楽しんでいただけたら、これ以上嬉しいことはありません。
昭和や平成の空気感が好きで、当時を知っている方には懐かしく、知らない方には少し新鮮に感じてもらえるような物語を書けたらいいなと思っています。
もし作品や、和子と由恵の姉妹を気に入っていただけましたら、★やブックマークなどで応援していただけると励みになります。
これからもよろしくお願いいたします。




