番外編・第三話 サプライズ
龍:あと十五分くらいで帰るから。
銭湯でさっぱりして帰宅した後、父の仕込んでいたカレーを食べて、そのままダイニングで両親と共に寛いでいた和子と由恵は、スマートフォンの通知に顔を見合わせた。
「ど、どうする?」
焦る二人を後目に、両親は存外涼しい顔をしている。
「今更、どうしようもないたい。お前達にできることは、着替えくらいどたい」
ビールを一口飲んだ父にそう言われた和子と由恵は、もう一度顔を見合わせて、揃いも揃って首元の伸び切った部屋着を着ていることに気づいた。二人は二階に駆け上がり、着替えを済ませた。
『カチャ……、カチャ……、キー……』
リビングルームで両親がソファに、和子と由恵がソファの前の座卓——冬にはコタツになる——の周りに並べた座布団にそれぞれ座っていると、玄関の鍵を開ける音がして、続いてドアが開く音が聞こえた。玄関とリビングの間のすりガラスのドアの向こうに龍太郎のシルエットが見える。
「ただいまー」
「おじゃま、します」
「こんばんは……」
龍太郎と彼女を迎えようと腰を浮かせかけた和子と由恵は、固まった。
龍太郎の少し後ろに立っていたのは、金髪に近い明るいロングヘアの白人女性だったのだ。龍太郎が背中に手を添えてそっと前に押し出したその人は、173センチの龍太郎とそう変わらないくらいに背が高かった。
「お父さん、お母さん、かずちゃん、由恵ちゃん、エマ……さんです」
「エマ、さん、はじめまして……」
「はじめまして……」
予想外の展開に、和子と由恵がしどろもどろになっている一方、両親は落ち着いている。
「エマさん、久しぶり」
「さあさあ、座って」
父がエマと龍太郎にソファに座るように促し、母はお茶を準備しに台所へ行った。
「ええと、じゃあ、改めて。エマ・オマリーさん。市のALT――アシスタント・ランゲージ・ティーチャー――、市内の小中学校で英語教師の助手をしていて、三年目。アイルランド出身で、俺の二歳下の二十九歳だよ。お父さんとお母さんは知ってるよね」
「エマです。よろしくお願いします」
「どうぞ、よろしくお願いします……」
笑顔で頭を下げたエマに、戸惑い気味に会釈で返した和子と由恵の顔を見た龍太郎は、母の入れた紅茶を飲みながら、満足気に笑った。
「ちょっとサプライズしちゃおうかなって思って、事前にエマのこと話してなかったんだけど、二人が予想通り驚いてくれて嬉しい」
まだ多少茫然としている和子と由恵に向かって、父は言った。
「なんで僕たちがエマさんのことを知っとるかって言うと、エマさんは市役所のバドミントンサークルに入っててね。お父さんとお母さんもいまだに参加させてもらいよるけん、顔見知りなんだよ。今は現役は夜、OBとOGは主に平日の昼間に活動しとるけん、たまにしか会うことはなかとけどね」
「そういうこと。俺もサークルに入ってるから、そこでエマと話すようになったんだ」
龍太郎が言うと、エマが龍太郎の顔を見て微笑んだ。
「リュウは英語上手だから、まだ私、日本語できないの時、助けてくれました」
龍太郎は照れ臭そうに笑った。
「俺の英語なんて、大したことないんだけど、サークルには英語できる人がいなかったから、色々説明してるうちに仲良くなったんだ。和子ちゃんに叩き込まれた受験英語が初めて役立ったって訳。付き合い初めて二年くらいになるけど、この田舎でバレたら面倒かなと思って誰にも言わないで付き合ってきたから、お父さんとお母さんもびっくりさせちゃったかなと思うけど……」
皆の前にケーキの乗った皿を並び終えた母は、座布団に座り、父の顔を上目遣いで見た。父がゆっくりと頷くと、母は話し始めた。
「あのねぇ、龍ちゃん……、実は私たち、知っとったとよ……」
龍太郎は首を傾げた。
「え、何を?」
「龍ちゃんが、エマさんとお付き合いしとるってこと……」
龍太郎はソファから飛び上がった。エマも大きな目をより丸くしている。
「嘘でしょ!」
「なんの嘘なもんかね」
父はエマにケーキを食べるように促した後、自身もケーキをフォークで口に運び、ゆっくりと味わった後に言った。
「現役の後輩から二人がサークルで仲睦まじい様子なのは聞いとったし、熊本市内の映画館に二人で入っていくのを見たと言う人もおる。エマさんのアパートの前にお前の車が停まっとるのを、ご丁寧にも報告してくれた人もいた。しかも、極めつけは、お前がエマさんを助手席に乗せとるのを僕たち自身が目撃しとる。僕もお母さんもそれぞれ別の時にだ。お前は全く気付かんかったようだが……」
龍太郎は頭を抱え、エマは顔を赤らめた。
「それって、バレてないと思ってたのは俺らだけで、知ってる人もいたってこと!?」
「知ってる人もいるどころか、大体の市役所の人が知っとるかもねえ……」
母が、気の毒そうに、だか笑いを堪えているような複雑な表情で言った。
「つまりさ……」
和子が口を挟んだ。
「二人は市役所職員一同に生暖かく見守られていたんだね。龍ちゃん、田舎の情報網を舐めたらいかんよ。」
龍太郎は益々頭を抱え、エマは耳まで赤くなった。
「サプライズするつもりが、サプライズされてるじゃん!」
由恵が愉快そうに言うと、和子と両親が声を上げて笑い、龍太郎とエマも照れ臭そうに笑った。緊張感を含んだ空気が少し緩み、リビングは和やかな雰囲気になった。




