番外編・第二話 市役所の男
翌日、龍太郎は普段通り出勤準備をしていた。現役時代の父と同じく、龍太郎は市役所で働いている。
龍太郎が新卒で入職した2018(平成30)年は、父が定年退職後の五年間の継続雇用を終えた後に更に嘱託で働いた博物館の職員としての任期を終える年だった。それで、市の二色刷りの広報の春号の表紙を父と龍太郎が飾ることになった。『父から息子へのバトンタッチ!』というベタなキャプションと共に、少々引き攣り気味の笑顔の父と龍太郎が、握手をしながらカメラを見つめる写真だ。母がその広報を送ってくれたので、和子も由恵も、クリアファイルに入れて大事に保管している。
早いもので龍太郎も市役所で働き始めて九年、すっかり中堅職員となっていた。今回の地震の際には大きな被害を受けた自治体に派遣され、窓口運営の手伝い等もしたらしい。
紺色のスラックスを履いて、半袖のワイシャツの上に作業着のジャンパーを羽織った龍太郎が玄関で靴を履く姿を、ようやく起きてきた和子と由恵が半ば閉じかけた目で、見守っている。二人ともパジャマのままである。
「じゃあ、今日の夜、連れて来るから。夕食は外で食べてくるってお母さんには伝えておいたからね」
龍太郎は二人のボサボサの頭といかにも眠そうな顔を見て、付け加えた。
「二人とも、オシャレしなくてもいいから、パジャマは着替えておいてよ。小綺麗にすれば、かわいいんだからさ」
そう言い残し、龍太郎は出掛けて行った。二人の姉の蔵書である少女漫画――しかも和子が従姉の緑ちゃんと由佳理ちゃんから受け継いだ、龍太郎の年代は読まないような古いもの――を読んで育ったからか、龍太郎は、時々九州男児とは思えないような甘いことを言う男として成長していた。
和子と由恵は落ち着かない一日を過ごしていた。龍太郎が思春期を迎える頃には二人とも実家を出ていたので、龍太郎が彼女を家に連れてきたという話を両親から聞いたことはあっても、実際に会うのは初めてなのである。しかも、その両親も彼女を正式に紹介されるのは初めてと言うし、ましてや今回は結婚前提である。
和子と由恵はいても立ってもいられない焦燥感を、母と共に家の掃除にぶつけた。放置状態になっていた祖母の和室の整理を急に始めてみたり、アルバムを見ながら話し込んだり、高校時代に授業中に交換していた手紙を見つけて身悶えながら読み耽ったりと、二人の掃除は度々横道に逸れた。それでも、夕方までには、一般的な来客が訪れるであろう部分は見違えるほどに綺麗になった。父はトイレに加えて、なぜか風呂場を掃除した後、由恵のリクエストである夕食のカレーを仕込みつつ、庭の草むしりや枝の剪定に奮闘していた。
九月下旬とは言え、動き回っていると汗だくである。和子と由恵は、両親と共に、徒歩十五分程のところにある銭湯に歩いていくことにした。和子が『プロジェクト・BA』で祖母と毎日のように通い、祖母の最期の日の前日に和子と由恵が祖母のお供をした近所の銭湯は、随分前に閉業してしまった。数年間そのまま放置されていた瓦屋根の建物も取り壊され、今では更地になっている。
二人が子供の頃から変わらないように見える小さな田舎町も、少しずつ変化していた。広い庭を持つ立派な日本家屋が取り壊された後が四区画の分譲地になって新しい家が建つ一方、古い家からは住人がいなくなり、少しずつ朽ち果てていく。瓦が落ち、窓ガラスが割れ、植物に侵食された荒れ果てた家も方々に見られた。住民が減った町からは個人商店が減り、市の中心部にある複合施設の空きテナントも目立つようになった。木本家も今は車の距離のスーパーマーケットで買い物することの方が多くなっていた。
片側一車線の国道沿いを歩いて、銭湯へと向かう。木本家から徒歩五分程のところに、国道を挟むように両側に市営墓地があり、木本家先祖代々の墓もそこにある。家と同様に管理する人がいなくて、雑草が生い茂っている墓もかなりある。2016年から通算すると三回の大きな地震を経て、墓石が傾いてしまった墓も増えていた。そんな中、両親がまめに墓参りに訪れている木本家の墓は、古いながらも小綺麗である。父が持参した墓参りセットからライターを取り出して蝋燭に火をつけ、線香を三本供えた。目を瞑って真剣に手を合わせる由恵の横顔を見てから、和子も手を合わせた。
「ご先祖様、どうぞ、何卒、今後ともよろしくお願いいたします」
和子は心の中で呟いた。
「そして、ばあば。久しぶり、いや、8月に帰ったばかりだから、久しぶりでもないか……。龍ちゃんが結婚する彼女を連れてくるってことで、由恵と共に急遽帰ってきたよ。龍ちゃんが三十一歳、そして結婚なんて、信じられないよね。推しの幸せを喜べるファン、もとい、弟の幸せを喜べる姉でありたいと思うので、龍ちゃんの幸せと共に、彼女がいい子であることをどうぞ一緒に願っててね……。いやぁ、それにしても、九月後半とは言え、まだまだ暑いね。そっちの世界に気温が関係あるか分からないけど、水分補給だけはしっかりね……。それと……」
一心に手を合わせる和子の肩を由恵が軽く小突いた。
「姉ちゃん、長いよ!」
両親が笑い出し、我に返った和子は、亡き祖母に水分補給を促したのを最後に、立ち上がった。そして四人は墓を後にし、銭湯へ向かったのだった。




