第五十一話 特別な姉弟
披露宴の食事は、明彦こだわりの美しい懐石料理である。プランナーさんの説得のおかげで、お色直しは一回になったので、和子もゆっくりと食事を楽しむことができる。そして次にやってきたのは、謎の余興タイムである。
親族だけの披露宴なので、本来、和子と明彦は余興を予定しておらず、定番の演出さえもかなりスキップしていた。だが、「余興がないと、それはそれで場が持ちづらいんですよね」と、プランナーさんに言われて、悩んでいた二人のもとに救世主が舞い降りた。それは渡辺家の祖父母であった。祖父はどうしてもカラオケを歌いたいと言い、祖母は日本舞踊より、もっと大衆演芸的な『新舞踊』を披露したいというのである。
果たしてこれは本当に救世主なのかと和子は悩んだ。由緒ある高級ホテルの料亭での披露宴で、公民館で行われる老人会の出し物みたいな余興をするのはどうなのかと。だが、断って祖父母にへそを曲げられて、東京には行かないなんてことになったら、この結婚式をする意味がなくなってしまうのだ。それに明彦は鷹揚に、「やってもらったらいいじゃない」なんて言うのである。
かくして、柿の感動のスピーチの後は、祖父のカラオケとなった。黒の礼服に身を包み、少し緊張した様子の祖父は、演歌『孫』を歌うという。正直うまくはなく、ただでさえ伴奏からだいぶテンポが遅れているのに、無理にこぶしを回すからより一層遅れていく。すっかり白けている木本家側の招待客に対して、横山家側の招待客は親切に手拍子をしてあげており、調子に乗った祖父はますます張り切ってこぶしを回すのだった。
その後の、黒留袖を着た祖母の男舞はより一層シュールで、和子は高砂で早く終わってほしいと祈っていた。隣の明彦はモグモグと咀嚼しながらも、祖母の舞踊から目を離さなかった。たまに和子の方を向いて、笑い掛けてくるが、和子には明彦の感情がまったく理解できないのだった。
十分程だったのに、永遠にも感じられた余興が終わり、祖父母は満足そうである。次は和子のお色直しのための中座である。和子はお造りの鮪を急いで平らげた。
「ここで新婦・和子様はお色直しのため、一度ご中座されます。エスコート役はサプライズで、新婦の妹の由恵様と弟の龍太郎様が務められます」
司会の声に和子は驚いて顔を上げた。「こういう泣ける系の演出はしないでって、言ったじゃない!」と苦情を言おうと思って明彦を見たが、隣の明彦は何を思ったのか、微笑みながら、うんうん、と頷いている。席を立った由恵と龍太郎は、照れ臭そうに高砂にやってくると、両側から、和子のそれぞれの手を取った。二人は逆の手でお腹の前に、祖母とアンコの写真を持っている。伏し目がちな由恵の着物姿と、由恵の結婚式には学生服を着ていた龍太郎のスーツ姿を改めて見たら、和子はなんだかじーんとしてしまった。二人に手を引かれた和子は、みるみる溜まっていく涙が零れ落ちないように、奥歯をぎゅっと噛み締めて、会場を後にした。
和子はヘアチェンジをして、赤のカクテルドレスに、遅れて来た明彦はネイビーのタキシードに着替えて、お色直しが完了し、二人揃って、再入場した。その流れで、ケーキ入刀をした後、和子と明彦は、席を外している間に運ばれていた料理をお腹に収めるべく、しばし集中するのだった。和子が両親への手紙を「泣きそうだからパス!」と拒否したので、デザートと共にカットした生ケーキが配られた後は、お互いの両親に花束を渡し、最後に明彦が短い謝辞を述べて、披露宴はお開きになるはずだった。
「ここで、もう一つサプライズです」
という司会の声と共に、再び由恵と龍太郎が立ち上がった。クマさんが励ますように、由恵の肩をさすっている。
「新婦の妹の由恵さんと弟の龍太郎さんから、新婦へのお手紙があります」
高砂の横のマイクスタンドに歩いて来た二人を、和子は戦々恐々で見つめた。この二人は、どうしても私を泣かせたいらしいな……
スタッフがマイクの角度を調整するのを待ちながら、由恵は和子を見て一つ頷き、帯に挟んでいた紙を取り出した。由恵の声は震えていた。
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明彦さん、姉ちゃん、ご結婚おめでとうございます。今日、このように姉ちゃんの結婚を祝うことができて、本当に幸せな気持ちです。
当然ながら、姉ちゃんの方が先に生まれたわけで、私が姉ちゃんに追いつくまで随分と待たせてしまい、申し訳なかったなと思ってます。でも、姉ちゃんがいてくれなかったら、なにをどうしていいか分からなかったと思う。辛抱強く、私を待っていてくれて、ありがとう。
私たちは姉妹ですが、時に友人として、時に同志として、途方もなく長い時間を一緒に過ごしてきたね。いろんな未来と戦って、勝利することもあったけど、時にどうしようもない現実に負けることもあった。でも私たちは決して諦めなかった。たくさん足掻いて、いろんなことが、元よりずっと良い方向に行ったと思う。姉ちゃんは私にとって、かけがえのない戦友です。
そして、姉ちゃんが強く背中を押してくれたからこそ、私はここで、動物たちに囲まれて、大好きな仕事を、大好きな人と一緒にできています。姉ちゃん、本当にありがとう。
四十代になっても……、そして、その先も、ずっと一緒にいようね。明彦さん、姉ちゃんのことをどうぞよろしくお願いします。
***
うん、由恵、私たち、人生二回分一緒にいて、いろんなプロジェクトをやったよね……
いつの間にか和子の頬を涙が滂沱のごとく流れていた。目の前にいる由恵が見えなくなるほどに。明彦が手渡してくれたハンカチで、和子は目の周りを拭ったが、またすぐに止まらない涙に覆われて、全ては水の中のようにぼやけて見えるのだった。一瞬視界に映った明彦も、負けず劣らず、泣いているようだった。
司会者と介添人さんは新郎新婦の様子に焦りつつも、龍太郎に手紙を読むように促した。スタッフが龍太郎の身長に合わせて、マイクの角度を上げるのを見ているだけで、和子の目にはまた新しい涙が溢れ出した。龍太郎は小さく咳払いをすると、緊張した表情で話し出した。
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明彦さん、かずちゃん、ご結婚おめでとうございます。
僕は、木本家の三人姉弟の末っ子で、かずちゃんとは十四歳離れています。でもこんな風に、『かずちゃん』って呼ぶくらい、隣にいる由恵ちゃんも含めて、ものすごく仲良しです。
僕はよくポジティブだとか、明るい性格だと言われるのですが、僕のこういう性格は、両親はもちろんのこと、かずちゃんと由恵ちゃんが作ってくれたものだと思います。二人は「存在がどうしようもなく、かわいい」とか、「龍ちゃんは生きてるだけで尊い」とか、それはもう、無茶苦茶に甘やかしてくれて、僕は、自分がみんなに当然のごとく愛される存在なのだと、疑いもせずに育ちました。そして、姉というのは、どの家でもこういうものだとばかり思っていました。でも、それは違った。うちの姉たちはかなり特別だったんです。こんな姉たちはとても珍しく、そして僕はものすごく幸運な弟なのだと、成長していくうちに知りました。僕が大学に合格できたのだって、スパルタに、でも時にはおだてながら、家庭教師をしてくれた二人のおかげです。それに、塾講師である明彦さんも、数学を教えてくれました。
僕は小学六年生の時に大きな病気になり、両親にかなりの負担を掛けました。去年、僕は二十歳になりました。その時に、両親が大人になったのだからと教えてくれたのですが、姉たちは、両親と一緒に、僕を大きく支えてくれていたそうなのです。二人はそんなことはおくびにも出さなかったので、僕はまったく知りませんでした。由恵ちゃんの結婚式の時には知らなかったので、改めてここで二人にお礼を言わせてください。かずちゃん、由恵ちゃん、本当にありがとう。
そのおかげで、年に一回検査をする以外は、本当に平凡で、幸せな大学生活を、僕は送ることができているんです。この平凡があるのは、この姉たちの、そして両親の大きな支えがあったからこそです。
かずちゃん、大好きだよ。かずちゃんの一番が僕じゃなくなってしまうのは、ちょっと寂しい。でも一番の座は明彦さんに譲るとしても、僕はかずちゃんにとって、きっとずっと特別な弟だと、信じているよ。僕は最高の姉たちに育まれた、スーパーポジティブな男だからね。
明彦さん、そしてクマさんも、僕の世界で一番大事な姉たちを、どうぞ、どうぞ、よろしくお願いします。ずっと、ずっと、二人が幸せに笑っていられるようにしてあげてください。
***
龍太郎は顔をくしゃくしゃにして、鼻をすすりながら手紙を読み終えた。今や和子と由恵は顔を覆って、声を上げて泣いていた。それに明彦も。それだけではない。和子の両親も嗚咽を上げているし、なぜか、つられるように明彦の両親まで泣き出した。
涙は感染する。渡辺家一同も堪え切れずに泣き出し、柿も流れる涙をそっと拭った。仕舞いには、明彦の祖母や叔父家族まで目頭を押さえており、スタッフまでもらい泣きする始末である。もはや、この会場に泣いていない人間はいないのだった。
涙ぐみながら、和子の顔を見た介添人さんは思わず絶句した。ウォータープルーフであるはずのアイメイクが剥がれ落ち、ファンデーションもまだらになっている。介添人さんがヘアメイクさんを呼んでくれて、高砂に座ったままの和子のメイクを手早く直してくれた。事情を知らないヘアメイクさんは、会場の異様な雰囲気に戸惑いを隠せなかった。
激しく泣いた後には泣き癖が付いてしまい、その後も何かというと涙が零れる。花束贈呈は、新郎新婦、両家両親とも泣きながら行われ、最後の明彦の謝辞に至っては、明彦が激しくしゃくり上げるので、何を言っているのか分からないレベルだった。そして、嗚咽を上げながら新郎新婦は退出し、その後も泣き続ける新郎新婦が、やはり泣いている招待客を見送るという、なんだか分からない送賓で、午後七時過ぎ、披露宴は幕を閉じたのであった。




