第四十七話 一石二鳥
「ただいまー」
和子が玄関のドアを開けると、明彦は子犬のように玄関に走ってきた。
「おかえり!」
一回目の時も明彦はこんな感じだっただろうかと、明彦のTシャツの『Dragon Rule Dark World』の文字を見つめながら、和子は考えていた。この和子が大嫌いなTシャツはさすがに外出着としては使われていないが、首元が擦れて所々に小さな穴が開いている今も、部屋着としては依然現役である。
和子は手を洗い、リビングルームのソファに座った。明彦は和子の隣に座って、昨年購入したプレイステーション4で、ゲームを再開した。和子は明彦の横顔をしばらく見つめてから、言った。
「ねえ、明彦、結婚式って、したい派?」
「え?」
明彦はコントローラーを置くと、テレビの音を消して、和子に向き直った。
「よく聞こえなかったんだけど、もしかして結婚式って言った?」
「言った。結婚式、したい派なのかって聞いた」
明彦の喉仏がごくりと動いた。
「和子、それは俺が和子と結婚式したいかって聞いてるってこと? 結婚式をするってことは、すなわち、俺と結婚するってことだよね!?」
「まあ……明彦が嫌でないのであれば……どうしても結婚が嫌なら、なんなら結婚式だけしてもいいけども……」
「嫌な訳ないじゃん!」
そう言いながら、明彦は和子を強く抱きしめた。
「昔、和子が結婚に興味がないって言ってたから、なら仕方ないなって思ってたけど、してくれるならしよう!今すぐしよう!」
和子は後退り、明彦の腕から逃れた。
「う、嬉しいよ……でも今すぐは急過ぎるかな……私、親族を呼んで結婚式をしたいけど、いい?」
「いいに決まってるよ! 盛大にやろう! ドレスも着物も両方着てよ! 和子が望むのなら、ゴンドラでもスモークでも、俺、喜んで受け入れるよ!」
「う、うん……」
なんだか、和子はすでにげっそりとしていた。
翌週の平日の夜、和子と由恵は再び同じカフェで会っていた。
「由恵、どうしてくれるのよ! 私、急遽結婚することになりそうなんだけど……」
「いいじゃない、どうせ、明彦さん、大賛成だったんでしょ?」
頭を抱える和子に、由恵は淡々と言い放った。
「大賛成どころか、その場で自分の親に電話し始めて、参った。ゴールデンウィーク、一緒に熊本に帰って、木本家に挨拶に行きたいと言い出した……」
「思った以上にスピーディーだな。でもいいじゃん」
「じいちゃんに熊本地震を避けさせるという目的においてはな。私の人生でただ一度であろう結婚式は、疎開として機能するのか……」
「いいじゃない、一石二鳥だよ」
にっこり笑った後、真顔に戻った由恵は言った。
「それより、姉ちゃん、今回SNSの方はどうする?」
2011(平成23)年になったばかりの頃、二人はツイッターにアカウントを作った。新規にフリーメールアドレスを取得し、持ち主を辿れないように慎重に。そして、東日本大震災の一か月程前から地震の注意喚起のツイートをポストし始めた。あまりに具体的な日時を言ってしまえば、地震の後に大きな話題になってしまうかもしれない。だから、「3月の前半は東北の地震に気を付けて。食料や携帯トイレ等の備蓄を。津波警報が出たら、何を置いてもすぐに逃げて」「東北の海沿いに住んでる人は、津波が来たら逃げることができる高い場所をシミュレーションしておいて。近いうち大きな地震が来るから」のような内容で複数回ポストを繰り返した。でも、弱小アカウントで呟いたところで、大して『いいね』は付かず、リツイートはされなかった。二人は、2ちゃんねるでも同様の書き込みを繰り返したが、話題になることはなかった。
そして、明彦やクマさんを含む、自分達の周りの人達に対して、注意喚起をした。仲の良い友人や会社の同期達には「有名な占い師が3月の上旬から中旬にかけて、東北で地震が来るって言ってるらしいよ。津波が来るから、警報が出たらすぐに逃げるようにって」と話したりした。
由恵は働いていた動物病院で、数々の備品や犬猫用の療法食のフードを、ついうっかり過剰発注しまくった。そして、日々診療に訪れる飼い主さんたちに「ペットフードが全体的に品薄だという噂です。うちで買わなくてもいいから、多めに備蓄してくださいね。あと可能であれば人間の食べ物や水なんかも……」と囁いたりした。
後は、今回は震災が来ないように祈ること、それが二人にできた全てだった。
しかし、二人の祈りを裏切って、東日本大震災はやってきた。
当時二人はまだ中野のアパートで一緒に暮らしていた。当日、和子は有休を取って、自宅を掃除した。由恵はいつも通り動物病院に出勤した。二人の家は動物病院から歩いて一時間もかからない。電車が止まって帰れなくなった由恵の同僚達のうち三人を、部屋に泊めることになった。それを見越して、和子は一生懸命掃除したのである。「いつもこんなに綺麗にされているんですね!」と絶賛された二人は、曖昧な笑みを浮かべた。
同僚に部屋を明け渡した由恵は久々に和子と一緒の部屋で寝ることになった。寝返りを繰り返す和子に由恵は声を掛けた。
「姉ちゃん、眠れない?」
「うん……一回目の時は職場にいたからテレビをほとんど見てなかったんだけど、今回は津波の映像をテレビでずっと見てしまったんだ……」
「そっか……」
和子は由恵の方に身体を向けた。
「一回目の時もすごくショックだったけど、今回はなおさら辛い。知っていたのに何もできなかったことに、ものすごく罪悪感があるよ」
「姉ちゃん、気持ちは分かるけど、仕方ないよ……私たちみたいな一般人にできることは限られているもん。でも、うちらの投稿を見て、数人でも津波から逃れることができた人がいたかもしれないし、備蓄している人が増えたかもしれない」
「そうだね、そうだったらいいな……」
二人のアカウントのツイートは「地震の予言をしていたのではないか?」と多少話題になった。そのおかげでフォロワーの数も相当増えた。とは言え、この後の四年間で、二人が日付まで覚えているような天災はない訳で、定期的に備蓄の薦めを投稿したり、リツイートするくらいの、ほぼ休眠アカウントとなっていた。そのため、2015年の現在では随分とフォロワー数が減っていたが、前回の投稿よりは多少影響力があるのではないかと二人は期待しているのだ。




