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未来はナプキンに書いてある 〜一攫千金を目指す姉妹の昭和・平成奮闘記〜  作者: Tokinapo


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第四十五話 経済的にいこう

 2015(平成27)年4月、和子と由恵は、二人の自宅のちょうど中間地点あたりのカフェで、会っていた。和子は最近由恵の自宅の近くに越してきたばかりだった。


 和子は三十四歳で、新卒で入社したF社で働いて十三年目である。リーマンショックの頃は、電子部品の専門商社であるF社もかなり業績が厳しい時期があった。仕事が激減した時期には、週に数回勉強会と称した教育訓練日があり、その日の給料は八十パーセントの支給となった。和子自身も元々そう高くもない給料がますます安くなり、しかも仕事と言えば、客先からの納入を遅らせてほしいという相談だったり、キャンセル要請をメーカーと交渉するような、後ろ向きな仕事が多く、しんどい時期だった。だが、2009年の後半には徐々に受注も増え始め、勉強会の頻度も少しずつ減っていった。


 仕入れ先であるアメリカのメーカーでは、和子の会社を担当している日本法人の社員がリストラで突然いなくなることもあった。雇用が守られるという点で言えば、あの時期に全員の給料をある程度下げることで、広く浅く痛み分けをした日本企業に在籍していたことは、和子にとって幸運であったと言えるかもしれない。あの頃には龍太郎の病気のこともあり、和子は仕事を失う訳にはいかなかったのだから。


 入社した頃は入社十年以上の先輩女子社員のことを、冗談で「お局様」なんて呼ぶおじさん社員がいて、昭和の名残を感じたものだが、今では少なくとも聞こえるところでそういうことを言う人はいなくなった。おかげで、和子は今日も伸び伸びと働いている。


 由恵は三十歳になった。獣医になって七年目である。一昨年に結婚し、夫と共に動物病院『アンクマ・動物クリニック』を開業した。夫は例のあの院生の先輩である。由恵の夫となった隈元勇毅くまもとゆうき――通称クマさん――は、名は体を現すといった感じで、学生時代は柔道をしていたという長身のがっちりした体格に、濃い眉毛で、真顔だと威圧感がある。でも大きな口を開けて笑うと、顔に猫のヒゲのようなシワが寄って、人の好さそうな童顔になるのだ。「体型と笑った顔のギャップがいいんだよね」なんて、珍しく由恵が惚気のろけていたが、細身の男性が好みの和子にはイマイチ理解できないのだった。


 クマさんは動物病院での勤務を六年ほど経験した後に、社会人大学院生として博士課程に入学した。だから、由恵が大学四年生の時に院の一年目だったとは言え、年齢は八歳違いだった。とは言え、由恵ははっきりと自分の意見を主張し、クマさんは由恵を尊重していて、二人は良いカップルだった。二人は引退して出身地に帰るという獣医の動物病院兼住宅を居抜きで購入した。リフォームをする余裕はなかったので、病院が休みの時に少しずつDIYで改装を進めているが、ありがたいことに動物病院が忙しく、あまり改装は進んでいなかった。


 由恵は奨学金の返済があるし、動物病院の開業のために銀行からの融資も受けている。余裕のある生活とは決して言えないが、


「身内の犬と猫のために獣医になったはずなのに、開業したらどの子も身内の犬と猫みたいになっちゃった……おかげで貧乏暇なしよ……」


 と、ぼやく由恵の顔はどこか明るいのだった。


 そして二人の大事な推しである、弟の龍太郎は七月で二十歳になる大学二年生だ。十二歳で患った自己免疫性筋疾患は、2009年の秋に免疫抑制薬も止めて以来、再発せずにここまできた。今では年に一回K大に検査に行くことを除いては、まったく普通の大学生と同じ生活を送っている。


 龍太郎の未承認薬を使った治療の後、木本家には龍太郎を県外の大学や授業料の高い私立大学に進学させる体力は残っていなかった。龍太郎も和子と由恵と同じ地元のM高に行ったが、「《《あの》》木本姉妹」と呼ばれた二人に比べれば、成績は極々平凡なものだった。国立のK大はもちろん、県内の公立大学で、和子の一回目の母校であるP大も、龍太郎の成績では厳しかった。


 龍太郎が高校二年生の2012(平成24)年の夏、帰省した和子と由恵は、龍太郎と話をした。


「龍ちゃん、将来についてどう考えている? どんなことを勉強したいとか、どんな職業に就きたいとか、ぼんやりとでもいいから何か考えていることがあったら、教えてほしいんだけど」


 和子が尋ねると、龍太郎は口を尖らせた。 


「かずちゃん、俺、そんなこと言われても分かんないよ。何がしたいとか、まだ決まっていない。大学には行きたいと思っているけど……」


 和子も一回目の人生では高校二年生どころか、三年生でも、大して考えておらず、国語が得意で読書が趣味だったという、ただそれだけでP大の文学部に行ったのだ。龍太郎を責めることはできなかった。今回の人生で、中高生から進路を定めて勉強に励んでいた自分たちの方が異常なのだと、和子も由恵も理解している。


「龍ちゃん、まだ分からないのは仕方ないよ。私も昔はそうだったし、それは仕方ない」

 

 由恵がそう言うと、龍太郎は首を傾げた。


「あれ? 由恵ちゃんは中学の時から獣医になりたかったって聞いてたけど違うの?」

「いや、違わない……違わないけど、まあ、色々と、迷うこともあったし……」


 由恵はしどろもどろになりながらも、続けた。


「……とにかく、やりたいことが決まっていないこと自体は、ある程度は当然のことだと思うよ。まだ十七歳になったばかりなんだもの。でも、龍ちゃんも、現実を理解しておかないといけない年齢だと思うから、言うね。 うちには龍ちゃんを県外の大学に進学させて一人暮らしさせるようなお金はないし、県内の私立大学でも厳しいくらいなんだ」


 龍太郎は神妙な顔をして、こくりと頷いた。自分の病気が木本家に経済的な負担を掛けたことを、龍太郎は理解していた。


「龍ちゃんの治療費でお父さんとお母さんは本当に貯金をはたいちゃったんだ。それだけじゃなくて、私の学費もかなりかかったしね。もちろん、病気になったのは龍ちゃんのせいじゃないから、罪悪感を感じる必要は一切ないんだよ? でも事実として、木本家には今本当にお金がないってこと。それは知らなきゃいけないことだし、それを知ることは龍ちゃんの権利でもあると思うんだ」

「うん……」


 俯いた龍太郎の背中を、和子はちょっと乱暴にさすった。


「おかげで、こうやって龍ちゃんが元気にしてるから、みんな、お金を使った甲斐があったと思ってるんだよ。龍ちゃんが、どうしても勉強したいことがあって、それが私立だったり、県外の大学じゃないとできないことなら、奨学金を借りて行く方法もある。でも、奨学金は借金だよ。将来自分で返さないといけないんだ。由恵だって、今苦労してるんだよ。背負わなくていいなら、それに越したことはない」


 苦笑いの由恵を横目で見ながら、和子は続けた。


「もし龍ちゃんが、漠然とでも大学に行きたいと言うのであれば、応援する。大学卒業の経歴は邪魔にはならないし、四年間でやりたいことを見つけるのもいいと思う。でも、そのために奨学金を借りてまでいくのは、かずちゃんは反対だよ。それなら、できるだけ経済的にいこう」

「経済的?」

 

 また首を傾げる龍太郎に和子は言った。


「私も、由恵も、大学時代の生活費は家庭教師で賄ったんだよ。言わば家庭教師のプロだ。龍ちゃんが本気で大学を目指すなら、これから私たち二人がそれぞれ文系科目と理系科目を徹底的に叩き込むよ。離れていてもスカイプで画面共有もできるしね」

「かずちゃん、由恵ちゃん……俺、頑張る! 二人とも忙しいと思うけど、勉強教えてよ!」


 和子と由恵は龍太郎の高校二年生の夏休みから専属家庭教師として、龍太郎に勉強を教え始めた。木本家の経済状況を理解した龍太郎は懸命に勉強した。そして、2014(平成26)年3月、龍太郎はP大学の情報系学部に無事合格したのであった。


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