第四十三話 大事な人
まだ通帳には入っているものの、ほぼ全財産を失った翌日、和子は久しぶりに『ラキ』こと明彦と会った。
「や、カズ師匠、久しぶり」
「うん、久しぶり」
祖母と龍太郎のことがあり、なかなか会う気にならなかったのだが、明彦は妙にしつこかったのだ。当初、柿と三人で会う約束をしたが、柿が仕事の都合が付かなくなり、会わなくて済むのなら好都合だと和子は思っていた。だが、明彦はどうしてもこの日に会いたいと、譲らなかった。二人は、明彦が予約したカジュアルなイタリアンレストランで待ち合わせた。土曜の夜、狭い店内は満席で、二人はカウンターに横並びで座った。
「どうしても、師匠にこれ見せたくて……」
天然パーマの髪が伸びてキノコのように見える明彦が、いそいそと見せてきたのは、ウェブサイトを印刷した紙だった。
「師匠が、びしばし指摘してくれた小説、原型が残らない程に修正してから応募したら、小説賞の最終候補の十編に残ってるんだよ」
和子にはほとんど覚えていなかったが、明彦のペンネームの下の題名にはなんとなく見覚えがあった。
「そっか、おめでとう……」
「なんか、元気なくない? しかも、師匠がお酒飲むなんて」
酒に弱い和子がアルコールをオーダーするのは珍しい。サングリアを飲んだ和子はすでに顔が熱かった。
「大丈夫……今日は飲みたい気分なの」
「なら、いいけど……顔赤いけど、大丈夫? 無理はしないでくれよ」
和子は料理を待つ間、明彦が持ってきた応募作のSF短編を読んでいた。その中には主人公の祖母が死んでしまう描写があった。なんだかぼーっとしてきた頭のまま、和子は言った。
「……ねえ、ラキ、うちのおばあちゃんも死んじゃったんだ」
「え?」
「お正月、突然死んじゃった……私の大好きなばあば。もっとずっと一緒にいるはずだったのに……」
話していたら、和子の目には涙が込み上げてきた。
「しかも、大事な大事な弟が病気になっちゃって、びっくりするような治療費がかかるの。両親も、私も妹も、すっからかんになっちゃった……」
「え、師匠?! 泣いてるの! 大丈夫?」
「大丈夫な訳ないじゃん……!」
和子はテーブルに突っ伏して泣き出し、明彦は料理を運んできた女性店員に軽蔑した目で見られるという、哀れな目に遭った。
ひとしきり泣いた和子は顔を上げた。少しばかりすっきりした気分だった。考えてみれば、由恵以外に龍太郎の病気について話した人はいなかったのだ。明彦は慰めるでもなく、ためらいがちに背中を不器用にさすりながら、和子が泣き止むのを辛抱強く待っていた。
「ごめん、料理冷えちゃったかも……」
和子が鼻をすすりながら言うと、明彦は料理を皿に取り分けて渡してくれた。
「大丈夫。よかったら、話聞かせてくれる? 少し食べながらさ」
祖母の突然の死から龍太郎の病気まで、明彦は根気よく聞いてくれた。聞き上手なタイプではなくて、気の利いた相槌は打ってくれない。でも、和子の言いたいことを先回りしてまとめようとしたり、口を挟んだりせず、和子が言葉に詰まっても、根気よく聞いてくれた。和子がまた涙を流しそうになった時には、おしぼりを渡してくれた。使用済みのものではあったけれど。和子は、今だけは、明彦の不器用な優しさが心地良いのだった。一回目の人生では、その不器用さを疎ましく思ったことさえあったはずなのに。
「そんで、弟の龍太郎君の治療費で、師匠も妹さんも貯金を使い果たしちゃったのか……」
「そう、それでも尚足りないかもしれないんだ。保険外の治療っていうのは恐ろしいものだよ。保険のありがたさを改めて思い知ったよね……」
「元々そのつもりだったんだけど、今日は奢るから安心してほしい……」
明彦は伝票を掴んで言った。もうすでに、閉店時間の十時が近かった。
「ありがと。今日はありがたくご馳走になるわ」
二人で駅に歩いていく途中、公園があった。
「ちょっとだけ寄ってかない?」
明彦は、和子の答えも待たずに、公園の中に入って行った。木が数本植えられている以外にはブランコと砂場があるくらいの小さな公園だった。
「あ、俺、コンビニで飲み物買ってくる! 師匠、酔い冷ましてから帰った方がいいよ」
そう言うと、ブランコに座った和子を置いて、明彦は公園から走り出て行った。
帰ってきた明彦は、少し息切れしながら冷たいお茶のペットボトルを和子に渡した。和子は軽くお礼を言って、お茶を一口飲んだ。まだ顔が火照っていて、冷えたお茶が喉を通るのが心地良かった。明彦もブランコに座り、二人は並んでお茶を飲んだ。
「う、ちょっと気持ち悪いかも……」
酔っぱらっている和子にはブランコの微妙な揺れが良くなかったのか、胸がムカムカしてきた。
「帰ろうか」
和子が立ち上がった瞬間、明彦は和子の右の手首を掴んだ。
「あの、師匠、これ……」
明彦がもう一方の手で手渡してきたのは封筒だった。
「え?」
反射的に受け取った和子は、すぐに気づいた。これはATMの封筒だ。封筒を開けると、中にはお札が入っていた。相当な厚みがある。
「五十万円ある。百万下ろそうと思ったけど、限度額があるみたいで。あと、五十万は明日渡させてよ。俺、あんまり貯金なくって、百万円しか出せないんだけど、弟さんのために使ってほしい」
「何言ってんの!」
グレーのパーカーを着た明彦の胸に、封筒を押し付けるようにして、和子は声を荒げた。
「もらえるわけないじゃん!」
「もらってよ」
「もらえるわけない! あのね、こういうのは身内とか彼女にしなさいよ! チャットで出会った赤の他人にこういうことしないの!」
明彦は和子に押し付けられた封筒を見つめて、その後和子に視線を戻した。
「俺、師匠……和子さんの大事な人のためだったら、このお金を使ってほしいって、ほんとに、心底思ったんだ。……彼女ではないけど、好きな人だから……」
「な、なに言ってるの……」
和子が後ずさりしながら言うと、明彦は封筒を持ったままの右手の小指でぽりぽりと頭を搔いて、伏し目がちに言った。
「こんな形で言うつもりじゃなかったんだ……でも気持ちは本当だから。あ、でも、お金を受け取ったからって付き合ってくれとか、そんなつもりじゃなくて……いや、もし付き合ってくれるならこんなに嬉しいことはないんだけど……とにかく、俺は和子さんの大事な人を、龍太郎君を助けたい。これじゃ全然足りないかもしれないけど、お願いだから受け取ってほしい」
明彦はそう言うと、立ち上がった。そして、和子に封筒を無理やり押し付けて、振り返りもせず、走って公園から出て行った。酔っぱらっている和子は明彦に追いつけないのだった。
「おい、好きな女置いていくのかよ……」
小さくなる明彦の後ろ姿に、封筒を持ったままの和子はそう呟いた。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
7月13日に、注目度ランキングで「連載中7位」「すべて11位」に入ったおかげだと思うのですが、突然たくさんの方に読んでいただけるようになり、びっくりしつつ、とっても喜んでいます。
これまで評価やブックマークをくださった方、この二日間で新たに評価やブックマークをくださった方、本当にありがとうございます!
そして、まさかの「日間ヒューマンドラマ〔文芸〕・連載中1位」になっていました。
さらに、初めてのレビューをくださった方、本当にありがとうございます!
自分では何度読み返しても、うまく書けているのか分からなくなることがあるので、作品から感じたことを言葉にしていただけて、本当に励みになりました。
残り十話を切りました。
最後まで丁寧に書いていきたいと思いますので、引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。
……と言いつつ、当初は25話くらいで終わる予定だったのに、ここまで伸びているので、また増えてしまったらすみません。
とにかく、最終回まで頑張ります!
これからもよろしくお願いいたします。




