第四十一話 知らない未来
病院の帰り、龍太郎は無口だった。ファミリーレストランで昼食を取りながら、大人達はわざとらしいくらいに明るく振る舞った。
「早く分かって、治療が始められるんだから、良かったよ」
と和子が言うと、由恵は、
「そうそう、私のおかげで早期発見できて、治るんだから感謝しなよー」
と言いながら、隣に座った龍太郎を肘で突いた。
「僕、治るの?」
下を向いていた龍太郎は、顔を上げて由恵を見つめた。
「治るに決まってるじゃん。そんなに難しい病気じゃないって。獣医学部とは言え、医学を勉強している私が言うんだから、安心しなよ」
由恵はこともなげに言うと、運ばれてきたフライドポテトにケチャップをたっぷりつけて食べ始めた。
龍太郎は明らかにホッとした様子だった。獣医学部の姉を、この家の中では一番医療に詳しい人間として、それなりに信用してるのだろう。
「由恵ちゃん、俺にもポテト食べさせてよ!」
龍太郎は由恵の皿のポテト五本ほどに一気にフォークを突き刺すと、一口で食べてしまった。
「由恵、あんなこと言っちゃって大丈夫なの……?」
家に着き、元・由恵の部屋に落ち着いた和子は、渡された検査結果や書類をデジカメで撮り始めた由恵に言った。
「分からない。でも、どうにかするしかない」
由恵は一枚ずつ書類をめくっては写真を撮りながら言った。
「あんなに塞ぎ込んでたら、良くなるものもよくならないよ。龍ちゃんは前向きに治療を受けてくれれば、それでいい。苦しい部分は私たち大人が受け持とう」
写真を撮り終わった由恵は、持ってきていたノートパソコンにデジカメから取り出したSDカードを入れた。
「今から、研究室の先輩に検査結果や諸々の写真を送る。先輩が先生に聞いてくれるって。先生なら医学部の免疫系に詳しい医師に知り合いがいるかもしれない」
龍太郎は今日から処方されたステロイドを飲み始めた。免疫抑制薬は採血の結果を見ながら、開始することになっていた。一週間後にまた病院に行き、今度は一週間入院してステロイドの点滴治療や検査をすることになっている。その際に標準治療を中心に進めるのかか、未承認の抗体薬を上乗せする方向で準備を進めるのかを医師と話すことになっていた。
翌日は土曜日で、日曜に東京に帰る和子と由恵のために、母が夕食に二人が好きな手巻き寿司を準備をしていた。龍太郎は台所に行って母に話し掛けたり、ダイニングルームにいる父と和子と由恵にニンテンドーDSでプレイしているポケモンの画面を見せてきたり、機嫌良く過ごしていた。由恵の携帯に電話が掛かってきて、由恵は席を外したが、夕食ができた頃にようやく戻ってきた。
夕食の食卓でも、龍太郎はよくしゃべった。昨日の由恵の言葉が効いているのかもしれない。夕食を食べ終わった龍太郎は眠いと言い、早々に自分の部屋に行った。由恵はステロイドの副作用を心配したが、大人達にとっては願ってもないチャンスだった。
「お前達が帰る前に、相談したい」
父がそう言い、母も緊張した表情で頷いた。昨日の医師の説明を父は昨日のうちに母に共有したのだろう。母は父が昨日取っていたメモを手元に持っていた。由恵は部屋からノートパソコンを持ってきてテーブルに置いた。
「昨日、帰ってきてすぐに研究室の先輩に相談したら、文献当たったり、海外の症例を調べたり、先生に聞いたりしてくれたんだ。さっき電話で話したんだけど、メールで色々資料も送ってくれた。結論としては、抗体薬を使った方がいいと、私は思っている」
由恵はパソコンのメールを開いた。
「龍太郎の型はかなり重症化した例があるみたい。標準治療だけでは炎症を抑えるのに時間が掛かったり、呼吸筋に強い影響が及んでしまう可能性がある。ひどい場合、気管切開が必要になった例もあるらしい。そこまではいかなくても、睡眠時にマスク式人工呼吸器が必要になった例もある。それに、病院の先生も言っていた通り、ステロイドには強い副作用があるし、成長期の龍太郎には尚更なんだ」
由恵はメールをスクロールしながら続けた。
「抗体薬を使った場合には、かなり良く効いた例が報告されているみたい。症状が進んでいると抗体薬を使っても顕著な効果が現れないこともあるんだけど、早期に使用できた症例は後遺症も少ないらしいんだ。せっかく龍太郎は早期で診断がついたんだから、試す価値はあると思う」
「もちろん使いたかけど、二千万円以上だけんね……」
母がメモを見ながらため息をついた。
「もちろんすごい大金だけど、龍太郎の将来には変えられない。私にも協力させてよ」
由恵が言い、和子も続いた。
「そうだよ、私も協力するよ。龍ちゃんが思い描いていたような中学、高校生活を送らせてあげたいよ。もちろんその先も……」
「あなた……」
母はすっかり困り果てたという顔で父を見た。父は母の顔を見てしっかりと頷いてから、言った。
「より良くなる可能性が少しでもあるのなら、未承認の薬でも使いたいと思っとる。まずはお父さんとお母さんに任せてくれんね。和子には由恵の学費を出してもらっているのに、これ以上出させるわけにはいかん。ましてや、由恵は学生だ。一千数百万円なら俺たちでどぎゃんかできる。まずは先生に第一段階をお願いして、薬が効いてるかを判断してもらう間に、第二段階のお金については考えようと思いよる」
元・由恵の部屋に戻って、敷きっ放しだった布団にダイブした和子は言った。
「ねえ、由恵、龍太郎がこれからどうなるのかだけは、私たち知らない。いくら考えても解らない。これって当然なんだろうけど、怖いね……」
和子の言葉に由恵は真剣な顔で頷いた。
「それな……ほんと怖いよ。私達未来を知ってることにすっかり慣れてしまっていたね」
「これもプロジェクトかな……龍太郎の病気を治すプロジェクト」
由恵はしばらく考えて、頭を横に振った。
「違うと思う。今までは完全な正解までは解らなくても、方向性は分かってたけど、今回は何にも分からないもん……」
和子は頷いた。
「何が正解かは分からないけど、龍ちゃんにより良い将来を歩ませるために、お父さんとお母さんと協力して、私達でできることを精一杯やろう。私達の選択によって龍ちゃんが生まれてきたと言っても過言じゃないんだから、私たちには責任があると思うんだ。それにさ……」
和子は無理やり、にかっと大きな笑顔を作って続けた。
「龍ちゃんは生まれてきた時から、私達の推し!言うたら、これは究極の推し活の形かもね」
それを聞いて、由恵も笑った。泣き笑いみたいな、少し歪んだ顔ではあったけど。
「ん! 全力で推そうぜ!」




