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未来はナプキンに書いてある 〜一攫千金を目指す姉妹の昭和・平成奮闘記〜  作者: Tokinapo


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第四十話 新人仏様にお願い

 翌週、母は龍太郎を連れてK大の小児科を受診した。すでに東京に帰っていた和子と由恵は、その日の夜に母からの電話でその結果を聞いたのだった。由恵は携帯をスピーカーにして、和子も聞けるようにした。


「先生が事細かに龍太郎に聞きなはって、立ち上がったり、片足立ちしたり、色々チェックしなはったよ。あと、再度の血液検査に、尿検査とか、心電図とか、胸のレントゲンとか、たくさん検査ばしなはったとよ。由恵ちゃんの言いよった『CK』はやっぱり高いて。ええと、『酵素活性検査』と『遺伝子検査』の結果が分かるのは少し先になるて。次は筋MRIとか、睡眠時呼吸検査を受けるて」

「病名は? 先生はなんか言ってた?」

「筋疾患の疑いが高いて。でも外に出した検査の結果が分からんとまだ確定診断はできんて」

「分かった、また次の検査に行ったら教えて」


 スピーカー越しの母の声からは深い困惑が伝わってきた。由恵はテーブルについた左手で頭を支えていて、その表情は硬かった。思っていたより事態は深刻なのかもしれないと、和子も感じない訳にはいかなかった。


 細かい途中経過の連絡が数回あり、一か月程経った頃、由恵に母から電話がかかってきた。


「遺伝子検査の結果が出て、これで全部の検査が出揃ったて。診断が付いたから、説明のために可能なら両親揃って来てほしいて言いなはるけん、金曜日に予約取ったとよ。あんた達も一緒に行ってくれんどか?」


 はからずもそれは、祖母の四十九日の法要の週だったのだ。


「ばあば、新人の仏様には荷が重いかもしれんけど、龍ちゃんを守ってね」


 和子と由恵は空に向かって願うのだった。


 和子と由恵が熊本に帰省し、四十九日の法要が行われた。菩提寺での法要の後、木本家の墓に祖母の遺骨を納めることになった。墓石の前には四角くて平たい大きな石があって、その上に蝋燭を置く台が置いてある。その石を退かすと、石より一回り小さい四角い穴があり、下には墓の下に繋がった納骨用の空間がぽっかりと広がっている。最近のお墓は、墓石の下に引き戸形式の納骨スペースが付いているところも多いが、木本家の墓の場合はその深い穴に誰かが全身すっぽり入って納骨しないといけないという難儀なものだった。


 皆が懐中電灯の明かりで穴を照らす中、喪服の上から上下レインコートに身を包んだ父が、足から穴の中に降りて、先祖代々の骨壺が並べられている棚に祖母の名前を書いた骨壺を置いた。その後は腕の力で懸垂のように穴から這い上がってくるという、力業の納骨であった。出てきた父は泥なのか、なんなのか分からない黒っぽいもので随分と汚れていた。


 哀れな父の姿に、みんなどっと笑った。母の隣で下を向いていた龍太郎は頭を上げたが、困ったような薄い笑みを浮かべた後、また足元に目を落とした。何か深刻な病気でないだろうかという恐怖が、龍太郎の心にどれだけ影を落としているのかと思うと、和子は胸を締め付けられるような思いがした。

 

 法要の際の説話によると、四十九日を経て、亡くなった人はようやく仏様になるらしい。


「まだ新人の仏様にもなってなかったのに、先走ってごめんね。でももう仏様になったとのことなので、やっぱり龍ちゃんのこと、お願いします。その他のご先祖の皆様も、どうぞよろしくお願いいたします」


 和子は木本家の墓に真剣に手を合わせるのだった。


 翌日の午前中、木本家一同はK大の小児科に向かった。二人の医師が木本家を迎えてくれた。医師達は大人数での来院に驚いた様子だったが、帰省している姉だと説明すると、一人の医師が表情を和らげて言った。


「ああ、獣医学部のお姉さんですか。龍太郎君の様子が少し違っていると気づいたのだとか」


 和子が由恵を前に押し出し、由恵はペコリとお辞儀をした。両親が龍太郎を挟んで椅子に座り、医師が対面に座った。和子と由恵は後ろに立っている。


「では、説明しますね」


 医師は龍太郎に目線を合わせた。


「龍太郎君がどんな病気なのか分かりました。龍太郎君の病気はね、自分の体を守るはずの免疫が、筋肉を攻撃してしまうことで、筋肉に炎症が起きてしまう自己免疫疾患の一種です。だから、筋肉が弱って、立ち上がるのが少し大変だったり、躓きやすくなったりといった症状があったんだね。なので、これから炎症を抑えて、筋肉を守るための治療をしていきます。どのように治療を進めていくかは、ご両親と話して決めるけど、筋肉に負担を掛けないような運動やリハビリもやっていって、筋肉を保てるようにしていきたいと思います」


 龍太郎は無言で頷いた。今までの検査で簡単な病気でないことは気づいていたのだろうが、改めて告知されるのは恐ろしいのだろう。龍太郎の顔は紙のように白かった。


「リハビリの先生に紹介したいから、龍太郎君は別の部屋に来てくれるかな。どなたかお一人、龍太郎君に付いていていただけますか?」


 医師がそう言うと、青ざめた顔の母が手を挙げた。


「私が行きます……あなた、それに由恵、よろしくね」


 もう一人のかなり若く見える医師が、母を伴った龍太郎を案内して、部屋を出て行った。


「少し、厳しい話をしなければなりません」


 龍太郎が出て行った後、医師は父に向かって言い、立っていた和子と由恵に椅子に座るよう勧めた。


「まず、龍太郎君本人にも説明した通り、龍太郎君は自己免疫性筋疾患です。遺伝子検査や酵素活性検査の結果から、遺伝性代謝疾患の可能性は低いと判断しました。ですから、お姉さん達が同じ病気を受け継いでいるという可能性は大きくありません」


 父は息を吐き、肩が少し下がった。少し安心したのだろう。医師は由恵を見ながら続けた。


「標準治療では、ステロイドの点滴で炎症を抑えます。ステロイドは副作用も多いですから、できるだけ量を減らすために免疫抑制薬を併用します。この病気は大抵、かなり進行しないと見つからないのですが、今回、龍太郎君はかなり軽度で見つかった。だからお姉さん、本当にお手柄だったと思います」


『軽度』という言葉でその場の雰囲気が少しばかり緩んだが、続いた医師の言葉にまた空気が硬くなった。


「ただし、龍太郎君の型はステロイドが効きにくいことがあります。そして、呼吸筋への進行が早い傾向があるのです。そのため、標準治療では、呼吸筋への影響を十分に止められないことがあります。実際、筋MRIでは、体幹に近い筋肉に炎症の所見がありました。龍太郎君が寝起きに頭痛を訴えているのは、呼吸筋に影響が出ているため、呼吸が浅くなり、十分な睡眠がとれていないことが原因の可能性があります」

 

 呼吸筋……呼吸筋への影響が大きくなったら、何が起こるのだろうか。和子には医学的なことは分からないが、それはとても深刻に響いた。その時、由恵が恐る恐るという感じで小さく胸の前で手を挙げ、医師は由恵に喋るように促した。


「あのう……検査の経過を両親から聞いていて、何らかの筋疾患だろうということで、研究室の先生や先輩に少し相談をしていたんです。その中で自己免疫性筋疾患の場合は、抗体薬とか、生物学的製剤が効くことがあると聞いたんですけど、そういった薬は使えないのでしょうか」


 由恵の質問に医師は頷いた。


「お姉さん、よく調べていますね。実は海外では龍太郎君の型に有効性の報告が出ている抗体薬があり、日本でも承認に向けた動きはあります。ただし、承認されるとしても、恐らく来年以降になるのです。現時点で使用するとしたら、未承認薬としての扱いとなります」

「というと、こちらの病院では使えないのですか?」 


 由恵は顔を顰めた。


「院内審査が通れば、うちの大学病院で管理しながら使える可能性はあります。ただし、通常の検査・入院・標準治療は保険適用で進められますが、未承認薬については自費となってしまうのです」

「使うことはできるのですね」

「そうですね。もしも抗体薬を使うとしたら、二段階で使用することになります。第一段階は、標準治療を続けながら、抗体薬を一か月で四回投与して、龍太郎君に効くかどうかを様々な検査で評価します。もし反応が見られなければ、抗体薬は中止し、標準治療のみに切り替えることになります。反応があれば第二段階に進み、月に一度から数か月に一度くらい投与しながら、炎症が落ち着いた状態を維持します」

「抗体薬を使えば、かなり良い状態になる可能性はあるのでしょうか」

「やってみないと何ともいえませんが、抗体薬が効けば寛解に持ち込める可能性はあります」

 

 由恵の顔がぱあっと明るくなった。その顔を見た医師が、言いにくそうに付け加えた。


「ただし……未承認薬にかかる費用は第一段階で一千数百万円、第二段階で一千から一千五百万円程になると思います」


 父、和子、由恵は同時に息をのんだ。合計で二千数百万円以上……それは決して木本家に簡単に出せる額ではなかった。医師は父を見つめると、続けて言った。


「これだけの費用がかかり、今の段階で絶対に効くと言えない以上、我々から勧めることはできません」


 医師はそう言った後、テーブルの上で組んだ自分の手をじっと見つめた。


「ただし……龍太郎君の年齢とこれからの人生を考えると、医学的には検討する価値がある選択肢だと思います」


 長い間沈黙が続いた後、父は苦し気に絞り出した。


「少し……考えさせてください……」


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