第三十七話 私は幸せもん
今回、和子と由恵は二週間木本家に滞在することにしていた。夏にも帰省はしたものの、一週間程だったので、こんなにゆっくり滞在するのは久々だった。「来年は卒論も国試もあるし、年末年始帰れるかも怪しいから……」と、由恵は実習やレポートの日程を調整して、なんとか長期の帰省を実現させたのだった。
「かずちゃん、由恵ちゃん、おかえりー!」
空港で母と一緒に出迎えてくれた龍太郎は随分と背が伸びていた。155センチの母と並ぶとほぼ変わらないのを見ると、和子は思いがけず涙が出そうになってしまった。
「龍ちゃん……、なんか大きくなったね」
「かずちゃん、そんなん当たり前じゃん? 俺、来年中学だぜ?」
つい最近まで「かずちゃ、ゆえちゃ」だったのに、「俺」か……
和子が隣を見ると、由恵は何とも言えない複雑な顔をしていた。愛しさと切なさと感慨深さと……複雑な感情が合わさると、あんな顔になるらしい。自分もきっと同じ顔をしているのだろうと、和子は思った。
木本家に到着すると、父と祖母が迎えてくれた。なんだか祖母は一回り小さく、痩せたように見えた。
「お前達が心配するといかんけん連絡せんかったばってん、ばあばは最近まで肺炎で入院しとったとよ」
そう父が言うと、祖母は慌てたように言った。
「もうすっかり元気になったけん、心配せんではいよ」
その言葉通り、久々に家族六人が揃った賑やかな食卓で、祖母は食欲旺盛だった。和子のリクエストであるだご汁は多少残したが、父が張り切って買ってきた大き目のクリスマスケーキは六分の一の一切れをしっかりと平らげた。祖母は昔から甘い物やスナック菓子に目がなかったのだ。
「お義母さん、こぎゃん食べなはるのは久しぶりですね」
母がほっとしたように言った。
実家では和子と由恵は久々に同部屋で寝ていた。元・和子の部屋は今は龍太郎の部屋になっているので、余っているのは元・由恵の部屋一室だけなのだ。一緒に住んでいるとは言え、以前のように隣同士で寝ているわけではないので、久々に布団を並べて寝るのは新鮮だった。時にそこに龍太郎も加わり、三人で枕を並べていつまでもお喋りをしていて、母に怒られたりもした。
恒例の墓掃除をしたり、同じ市営墓地の道路を挟んだ向かい側にある祖母の実家のお墓にお参りしたり、残りの年末は平和に過ぎていった。祖母は数年前から手押し車を使うようになっていたが、龍太郎が隣に付いて、祖母の歩みに合わせてゆっくりと歩いていた。和子と由恵は微笑みながら、そっと目を見交わした。いつまでも赤ちゃんだと思っていた龍太郎は、優しい少年に成長しているのであった。
大晦日には、定番となったボードゲーム『モノポリー』で遊んだ。モノポリーでは一人が『銀行員』になって、プレイヤーにお金を渡したり、徴収したりする。今回は龍太郎がプレイヤーと兼任で、銀行員を引き受けてくれた。
「あの龍ちゃんが銀行員……大きくなったねえ」
由恵がしみじみと言うと、龍太郎は苦笑いした。
「もう由恵ちゃん、いつまでも赤ちゃん扱いしないでよね!」
みんな、どっと笑った。
***
賑やかで、楽しい大晦日が過ぎ、そして2008年の元旦がやってきた。お屠蘇を飲んで、お節とお雑煮を食べた後には、やはり祖母は家族全員にお年玉を配り、今年は和子も両親と祖母を含む全員にお年玉を配った。
食後、和子と由恵はこたつに入って携帯を弄っていた。隣では龍太郎が横向きに丸くなって寝ている。和子の携帯にはいくつかの「あけましておめでとう」メールが届いていた。和子の働くF社では虚礼廃止が謳われていて、社内の人との年賀状のやり取りは随分少なくなってきていたし、友人同士でも新年の挨拶はメールで済ませることが多くなっていた。
カズ、あけおめ! いつまで熊本? 帰ってきたら三人で会おうよ。もしかしたら、今年は結婚かも?!
ハンドルネーム『干し柿』こと、柿からのメールだ。柿は華やかな総合商社に入社し、大学時代から付き合っている彼女とゴールイン間近らしい。
和子、柿、そして『ハッピーラッキーボーイ』、略して『ラキ』こと明彦の三人は、社会人になって頻度は減ったが、一年に数回は会っていた。ネットで知り合った三人は共通の友人は自分達以外にはいなくて、それが何だか妙に心地良いのだった。会社の愚痴を言いあったり、彼氏や彼女のことを相談したり、今では欠かせない仲間となっていた。
正直なところ、一回目の人生で夫であった明彦の恋愛話を聞くのは、和子にとって多少複雑な気持ちではあった。今回明彦を選ばなかった罪悪感があって、うまくいってほしい気持ちはある。でも、嫉妬に似た気持ちが全くないかといえば、そういうわけでもない。ただ、幸か不幸か、明彦の恋愛が長続きすることはなかった。
携帯が光って、次に来たのは件の明彦からのメールだった。
カズ師匠、あけおめことよろ! 熊本に帰ってる? こっちは明日には東京帰るよ。明日の夜からまた冬期講習。また東京帰ったら会おう。新作あります!
明彦は大学卒業後、難関大志望者向けの進学塾の数学講師になった。研究室の博士課程の先輩から知り合いの塾を紹介されたらしい。「無口で、話は面白くないが、数学の解法は美しい」との紹介文句だったと聞いた明彦は不満そうだったが、後半はともかく前半には和子も賛成だった。コミュ力が必要とされるであろう塾講師が明彦に勤まるのか、多少心配していた和子だったが、難関理系志望の生徒には妙に評判がいいらしい。
相変わらず面白くもない小説を書いている明彦は、夕方以降が主な営業時間である塾講師になったおかげで、昼間に小説を書く時間がたっぷりあると喜んでいた。おかげで、和子と柿は度々新作の小説をメールで送りつけられるのだった。毎回コメントのし辛い迷作であることは一貫して変わらず、感想を求められた和子は毎回四苦八苦していた。
由恵も何やら携帯のメールを読んだり、書いたりしているので、新年の挨拶をしているのだろう。返事を書かなければと思いつつ、和子はいつの間にかこたつの誘惑に負けていた。
***
二日は母方の実家の渡辺家に新年の挨拶に行き、三日は和子も由恵もそれぞれ友達と遊びに行った。三日の夕方、和子と由恵が家に帰ると、祖母が銭湯に行きたいと言う。母が心配そうにしているので、和子と由恵が付いていくことにした。和子は『プロジェクト・BA』以来ちょくちょく祖母の銭湯にお供していたが、由恵が銭湯に行くのはかなり久しぶりだった。
「木本さん、お久しぶり。あら、お孫さんね? まあ、二人とも綺麗かこと」
祖母の銭湯仲間のご近所さんが声を掛けてくる。一回目の人生なら「またお世辞を……」と思ったかもしれないが、今の和子はそうは思わなかった。若さというのは美しいものである。内側からパンと張ったような肌の感じとか、豊かな髪とか、青みがかったような白目の色だとか。自分が一度持っていて、失いつつあったり、失ってしまったものだからこそ尚更美しいと感じるのだろう。和子はそう思った。
「そんなこと……でもありがとうございます」
「それにこちらのお孫さんは木本さんによぉく似とんなはる」
ご近所さんは和子の方を見て微笑んだ。祖母は少し頭を下げて恐縮した後に言った。
「私には勿体ないくらいの孫達です。二人ともたいぎゃな賢くて、上の和子は立派な会社で英語の仕事をしていて、下の由恵は獣医になる大学に行きよるとですよ。一番下の龍太郎はまだ赤ちゃんのごとして、まだまだかわいらしかです。私は幸せもんです」
祖母は孫馬鹿なところがあるが、外でこんな風に孫を褒めるのは珍しかった。久々の銭湯で浮かれているのか、今日の祖母はやけに饒舌で、周りの人達と賑やかに話しながら、随分長いこと風呂に浸かっていた。
「ばあば、そろそろ出ようか。お風呂は疲れるから」
由恵が何度か促して、祖母はやっと風呂から上がった。帰宅後の食卓でもよく話していたが、疲れたと言って夕食後にすぐ寝てしまった。
「姉ちゃん、なんかばあば今日、やけにはしゃいでたね」
「久々の銭湯だったからね。私たちが明日帰るから、心配しないように元気に見せてるのかな」
「それにしても帰りたくない……実習行きたくない……」
「私もメール見たくない……自分の謎の煮物も食べたくない……」
「お節の残りを根こそぎ持って帰るか」
二人はそんな話をしながら、こたつでうとうとしていた。母が何度か揺り起こそうとしたが、「もうよかたい、寝かせとこう」と父が毛布を掛けてくれた。
幸せで平和な帰省最後の夜は、静かに更けていった。




