第三十話 2002年の到来
その日から『プロジェクト・BA』が始まった。と言っても、やることはとても地味だった。祖母は毎日の銭湯や、スーパーにちょっとした物を買いに行く以外は、そんなに頻繁に外出する人ではない。アンコが一匹で外出することはもちろんない訳で、和子と由恵は基本的に家で過ごすことになった。和子も由恵もこの冬休みは友達との約束も入れず、このプロジェクトに集中することにした。お互い自室には籠らず、祖母とアンコがいるダイニングルームで、祖母に付き合ってテレビを見たり、勉強したりしていた。つまり、軽い引きこもり状態である。
「あんた達、せっかくの休みなのに、どっか遊びにとか行かんとね?」
「かずちゃんと由恵ちゃんとおうちにいるー!」と泣き喚く龍太郎を幼稚園に送った後、皿を洗っている母に呆れられながらも、和子と由恵は根気良く祖母とアンコに張り付き続けていた。
それ以外の祖母の外出といえば、祖父の月命日の菩提寺への参拝とお墓参り、女学校時代の同級生の家を訪ねてのお喋りくらいのものだった。もちろん和子は全てに同行した。
「かずちゃん、お寺さんにも行くとね?」
「うん」
「本多さんのおうちにも?」
「ダメ?」
「ダメじゃなかばってん……」
祖母は少々困惑していたが、久々の和子との外出にウキウキした様子だった。和子は祖母の部屋で一緒に寝ていたし、自他ともに認めるおばあちゃんっ子だった。それでも、中学生になった頃から祖母と過ごす時間は減ったし、新しい家に引っ越してきてからは自分の部屋で寝るようになり、ますますその時間は減っていた。
祖母の外出に付き合った和子は、祖母が家族以外と会話する姿を新鮮な気持ちで眺めていた。家族でいる時は大体聞き役に回っている祖母は、お寺なんかでもニコニコとしているだけで、そんなには話さない。でも、同級生の本多さんと話すときは少しだけお喋りで、まるで少女のように見えた。
長年の付き合いの友達は、ずっと出会った時の姿の印象のままだ。たとえ何十年経っても、小学校で会ったのなら小学生、中学校で会ったのなら中学生の印象のままなのだ。そして、その友達と話すと、不思議と自分も出会った時の年齢に戻るような気がする。だから、ばあばも本多さんと話すときは、古いアルバムで見た三つ編みお下げの女学生に戻っているんだろうなあと、和子は楽しそうに話す祖母と本多さんを見つめていた。
和子が問われるがままに大学のことを話すと、
「こんなに立派な大学生になってねえ……」
と本多さんは涙ぐんだ。祖母は本多さんと目を見交わして微笑んでいる。本多さんは和子達姉弟のことを生まれた時から知っているのだ。一回目から少々食べ物の好みが渋めの和子は、本多さんが作ってくれる辛子レンコンが大好物で、お裾分けに来てくれるのをいつも楽しみにしていた。でも、本多さんとこんなにゆっくりと話をしたのは初めてのことだと、和子は気づいた。
そして、一回目の人生で祖母が事故に遭った日、12月26日がやってきた。毎日祖母に同行して、家の近所の銭湯に通ってきた和子は、この日も周囲をキョロキョロと警戒しつつも銭湯に向かった。いつものように顔見知りのご近所さんに挨拶をして、何度目か分からない「お孫さんと一緒にお風呂なんて幸せですねー」と言われて謙遜しつつも少しばかり誇らし気な祖母を見て、いつもと判を押したように同じだった。
銭湯の帰り、和子は脇見運転をしている車を見た。それだけだった。
夜、和子は祖母のベッドの横に布団を敷いて寝ることにした。でもなかなか寝付けなくて、何度も枕元の携帯で時間を確認していた。零時になって日付が変わったのを確認してから、和子がベッドの上の祖母の顔を覗くと、祖母は平和な顔で寝息を立てている。
「やった……」
和子が祖母の和室の襖を開けると、リビングのソファで由恵が参考書を読んでいた。隣ではアンコが腹を出していびきをかいている。アンコは息が荒いのが気になる時もあるが、今日も元気だった。
「由恵、起きてたの」
「うん、どうしても気になっちゃって。正直、参考書もめくってるだけ……」
「ばあば、気持ちよさそうに寝てるよ」
「そうか、よかった」
二人はダイニングに行き、由恵が注いできた麦茶を飲んだ。
「姉ちゃん、ばあばはこれでもう大丈夫なのかな?」
由恵の問い掛けに和子は答えを持ち合わせていなかった。今回のプロジェクトは曖昧で掴みどころがなくて、ゴールが分からない。二人とも途方に暮れていた。
「分かんない……何はともあれ、12月27日に、ばあばは生きている。でも私がこっちにいる1月5日までは、ばあばに張り付き続けるつもりだよ」
「そうだね、次はアンコの番だ。私もアンコに張り付き続けるよ。姉ちゃんもできるだけ一緒にいてよね」
「もちろん!」
和子はソファで寝ているアンコの耳の後ろを掻いてやってから、祖母の部屋へ戻った。由恵はソファのアンコの隣で布団を被った。目を覚ましたアンコはちゃっかりと布団に入ると、由恵の脇の下に潜り込んで、くるりと方向転換をした。そしてフンッ鼻を鳴らすと、由恵の脇の辺りに顎を載せて収まった。由恵がアンコの眉間を撫でてやると、気持ちよさそうに目を瞑り、やがて寝息を立て始めた。アンコの鼻息が髪を微かに揺らすのを感じながら、由恵もいつの間にか眠っていた。
翌日、祖母が墓掃除に行くというので、和子だけでなく、由恵とアンコ組、それに龍太郎も加わった。和子と由恵は軍手と両親の長靴の本気装備での参戦である。
祖母と龍太郎には抜きやすい部分の雑草を頼み、和子と由恵は墓石をたわしで磨いた。二人は何往復もして墓地の水道からバケツで水を運んでは墓石に掛け、さらには腰を曲げないと届かない狭い部分の草取りをした。最初は祖母と草取りをしていた龍太郎はすぐに飽きて、隣の空き区画の柵にリードを繋がれているアンコのところに、ちぎった雑草を持って行っている。
「アンコ、はい!」
アンコは龍太郎が差し出した草の匂いをフンフンと嗅ぐと、ぷいっと顔を逸らすが、龍太郎は飽きることなく、アンコの元に雑草を運び続けていた。
そして、12月29日になった。アンコは荒い息をしていた。ただ食欲はある。散歩は今日は休もうと由恵が提案した。
「今日のうちに病院に連れて行っとこうか?」
「いや、いい!まだ様子を見るから!」
「でも、病院明日までで、三が日の間は開かんぞ」
「分かってる、でも今日はうちで見るから!」
父の提案を由恵はぴしゃりと拒否して、アンコに酸素缶を吸わせた。と言っても、人間用の酸素缶は犬のマズルにはうまく嵌らない。本当に吸えているのか、吸えているとしてもどれくらい効果があるのかは分からなかった。由恵がアンコの隣に横たわって頭を撫でてやると、アンコはうとうとと眠りについた。
何事もないまま12月29日が終わり、12月30日も終わった。一回目には訪れなかった、祖母とアンコが揃った大晦日がやってきた。
年を越えるまで起きていて、家族みんなでトランプやボードゲームをしてから寝るのが、木本家の大晦日の定番だった。龍太郎は紅白歌合戦を見ながら、うとうとしている。「龍ちゃんはそろそろ寝ようかね」という母に「いや! 龍ちゃんも起きてるの!」と抵抗していた龍太郎は、十時頃にはダイニングの椅子に座ったまま眠ってしまっていた。父が龍太郎をそっと抱き上げて、リビングに連れていきソファに寝かせて布団をかけた。開いた引き戸の隙間からアンコもするりと抜け出して、龍太郎の隣にくるりと丸まってすぐに寝息を立て始めた。
残された五人は横目で紅白を見ながら、由恵が持ってきたボードゲーム『モノポリー』を楽しんだ。土地を買い占めて周りを破産させていき、自分が最後の一人になるのが目的という多少陰険なところがあるゲームではあるが、和子と由恵はこのゲームが好きだった。ルールもよく分かっていない祖母が、高い土地を次々に手に入れて最後の一人となり、残りの四人は悔しがったり、笑ったりした。龍太郎とアンコを起こさないようにと小声で話していたら、余計に何だかおかしくなってしまうのだった。
そして『ゆく年くる年』が始まった。テレビからの除夜の鐘を聞きながら、今年の出来事を話し合ったりしていると、カウントダウンが始まった。和子と由恵は立ち上がって肩を組んだ。
「十、九、八、七、六、五、四、三、二、一! あけましておめでとうー!」
両親と祖母は浮かれた様子の和子と由恵を見て笑っている。
和子と由恵はリビングで寝ている龍太郎とアンコを見に行った。龍太郎はぽっかりと口を開けて寝ていて、アンコは脚を伸ばして自分の前腕に顎を載せて寝ていた。
和子と由恵は叫び出したい気持ちを抑えながら、グータッチをした。祖母とアンコが揃った2002年がやってきたのだ。




