第二十八話 三年目の振込用紙
2000(平成12)年4月、由恵は和子の母校でもある地元のM高に入学した。
「高校に入っても先生達に『木本の妹なんだってな!』って言われる……英語の畠元先生なんて、『あなたが、木本さんの!』って抱きついてきたんだよ」
由恵は苦笑いである。畠元先生の感動すると抱きつく癖は今も健在のようだった。
そして、四歳になった龍太郎も、幼稚園に入園した。年の離れた姉二人に溺愛されて育った龍太郎は女の子が大好きな子に育っていた。そして母に似て目がクリっとした龍太郎は女の子にもてた。
「あかねちゃんも、あいちゃんも、みほちゃんも、みんな龍ちゃんと結婚するって言うの。でもみんな大好きだから、龍ちゃん、誰と結婚するか迷ってるの」
なんて言う龍太郎を和子と由恵は嫉妬半分、心配半分な気持ちで見守っていた。
和子も大学二年生となり、授業はますますハードになってきた。たくさんの課題をこなしつつ、バイトとサークルも手を抜けない、目の回りそうな日々である。
そうは言いつつも、2000年の夏休みも和子は一か月間たっぷりと帰省した。今回は八月から九月にかけてと、いつもより遅めの熊本滞在だった。祖父が用地買収で得たお金を失うのは一回目の人生で見た貯金通帳によると、2000年9月だった。自分に何ができるか分からないが、できるだけ祖父の近くにいたいと思ったのだ。和子と由恵はバスを乗り継ぎ、週に一回渡辺家に通った。祖父はいつも通りで、いつもと違う気配を感じさせることはなかった。伯母夫婦にも聞いてみたが、祖父からは何も聞いていないとのことで、特に和子達にできることはなく、歯痒い気持ちだけが募るのだった。
祖父は和子の二年生の学費を振り込んでくれていたが、三年生の学費を出してくれるのかは分からない。和子は帰省中も家庭教師のバイトに精を出した。
和子二年生の秋、T外語大が北区のキャンパスから多摩地域の新キャンパスに移るというビッグイベントがあった。それはつまり和子自身の引っ越しを意味した。奔走の結果、引っ越し先として、現在の北区のアパートとほぼ同じ金額のアパートが見つかった。二十三区外なので、もう少し広くて新しいところが借りられるかと期待していたのだが、同じくらい古くて狭いユニットバスの部屋で、ちっとも新しい部屋に来たという気がしなかった。でも新キャンパスは広くて、どこも新築特有の匂いがして、旧キャンパスが恋しいと思いつつも、和子は弾んだ気持ちになるのだった。
和子が家庭教師をしていたお宅に行くのは交通費的にも時間的にも厳しくなるので、新しいバイト先を探さなければいけないのには難儀した。土日にしていた単発のバイトも以前ほど選り取り見取りではなくなってしまった。
だが新しいアパートから自転車圏内で家庭教師のバイトも見つかり、和子はT外語大の英語専攻という看板に心から感謝した。おかげで和子は祖母からもらった学資保険の通帳には手を出さないで過ごすことができていた。
去年の夏に会った明彦と柿とは、あの日は話が弾んだとは言えないが、あれから時々三人で会うようになっていた。大学生活が忙しくなってきた三人は、最近ではチャットルームにほとんど出入りしていなくて、メールでやり取りをするようになった。明彦はたまに新作の小説を送り付けてきては、和子と柿に講評を求めてくる。和子が毎回けちょんけちょんに貶すにもかかわらず、明彦はまったく堪えていないどころか、なんだか嬉しそうでさえあった。
和子は明彦に『師匠』または『親ビン』と呼ばれていた。甚だ迷惑ではあるが、明彦なりに尊敬の情を込めているらしい。『おかん』に加えて『師匠』と『親ビン』という女子大生とは思えないあだ名だけが増えていき、少々複雑な気持ちになる和子だった。
2001(平成13)年1月、和子はとうとう二十歳になり、緑ちゃんと由佳理ちゃんが着た振袖を借り受けて、新成人の集いに出席した。
二十歳の誕生日は、和子にとって単なる節目以上の意味があった。成人となった和子は証券会社に口座を開設して、自分で株が買えるようになるのだ。調べてみると、1999年には新しいネット証券がいくつもできて、同年末には米国株もネットで買うことができるようになっていた。和子はこの日が来るのをまさに一日千秋の思いで待っていたのだ。
和子は成人式が終わって大学に戻るとすぐに、学校のパソコン室から資料申し込みの手続きをした。この後郵送で届く申込書に押印して、身分証明書の控えと共に送れば、ネット証券に総合口座と米国株口座が開設できるのだ。これは和子にとって、成人式以上に自分が成人したことを実感するイベントだった。
4月、大学三年生になった和子に母から電話がかかってきた。
「かずちゃん、今年も大学の授業料の振込用紙が届いたけん、じいちゃんのところに持って行ったら、その日のうちに払ってくれたけんね。お礼の電話をしときなっせよ」
正直なところ、和子は三年生以降も祖父が学費を支払ってくれるのか半信半疑だった。2000年9月に祖父が失うのは用地買収で得たお金だけみたいなので、元々の財産はあるのだろうが、今まで程の羽振りの良さは失ってしまうだろうと思っていたのだ。一度約束してしまった手前の見栄もあるのかもしれない。それでも祖父は約束通り四年分の学費を最後まで支払ってくれるつもりなのだと思うと、本当にありがたいと和子は思った。夏休みに帰省した際には渡辺家を訪れて、祖父に直接お礼を言った。
大学生の就職活動は早い。和子が帰省から帰ってきた秋にはもう2003年3月卒業である和子の学年の就活がスタートしていた。冬休みの帰省から帰って来た後は、次の春休みはもう帰省できないかもしれない。
由恵は高校二年生の秋を迎え、本格的に受験勉強を始めていた。獣医学部を設置している大学は少ない。熊本には獣医学部を持つ大学はないので、九州の他県にある国立のG大とZ大が由恵の志望校だった。どちらも定員は約三十名と驚く程に狭き門だった。
最近は由恵からの連絡も間遠になっていたが、十月、和子は由恵からメールを受け取った。
「姉ちゃん、今年の年末のこと、覚えてるよね? また、プロジェクトを立ち上げる時が来たみたい……」




