第二十六話 干し柿とハッピーラッキーボーイ
一か月間の熊本滞在を終え、和子は東京に帰ってきた。最初は寂しかったが、クラスやサークルの友人に再会し、家庭教師や単発バイトの日々が戻って来て、めそめそしている暇はなくなった。六畳一間のアパートも一か月ぶりに帰ってきたら妙にホッとして、既に和子のもう一つの家になっているのだった。
八月の中旬の土曜日、和子はついに『干し柿』と『ハッピーラッキーボーイ』に会うことになった。待ち合わせ場所は『新宿アルタ』前だ。和子にとって二回目人生初の新宿だった。一回目の時は通勤が新宿乗り換えだったので、仕事後に新宿で買い物したり、夕食を食べたりと、馴染みのある場所だった。
『笑っていいとも!』で知られたアルタは2025年に閉館したので、たまに割り箸に刺さったカットパインを買っていた隣の果物屋さん『百果園』も合わせて、2026年にはもうない光景を眺めながら、和子は懐かしさに浸るのだった。
和子は『干し柿』を待っていた。『ハッピーラッキーボーイ』は今日のランチのお店である『カプリチョーザ』に先に並んでおいてくれるとのことで、干し柿とここで待ち合わせて向かうことになっていた。干し柿とハッピーラッキーボーイは既に会ったことがあるので、お互いの顔も分かるという。
和子は事前に干し柿に伝えていた通り、ペールブルーのノースリーブのシャツに、膝上のデニムスカートで、白い合皮のポシェットを斜め掛けにして、紙袋を持っていた。肩が上がっていることに気づいて、和子は緊張している自分を改めて実感した。
待ち合わせ時間の十一時半から五分程経ったが、まだ干し柿は現れない。和子は少し心配になってきた。お互い携帯を持ってはいるものの、キャリアが違ってSMSはできないので、「少し遅れる」の連絡すら難しいのだった。
「あんころもち?」
そう言われて和子が顔を上げると、そこには息を切らせた青年が立っていた。ネイビーのポロシャツに濃い目のジーンズ、髪はサラサラで、丸くて黒目勝ちの目が犬のようで人懐っこい。
「うん……干し柿?」
和子がそう言うと、青年は「ぷはっ」と吹き出した。
「干し柿って、何回言われても笑っちゃうんだよな。『ラキ』にそう呼ばれた時もおかしくってさ。あ、『ラキ』は『ハッピーラッキーボーイ』のこと。長すぎるから略して呼んでるんだ。俺、柿崎って苗字だから友達には『柿』って呼ばれてるんだ。だから、あんころもちも、柿って呼んでくれない?」
「私も『あんころもち』っていちいち呼ばれるの恥ずかしいよ。そしたら、私のことは『カズ』って呼んで」
「分かった、カズな!ごめん、山手線が遅れて、遅れちゃった」
「そんなに待ってたわけじゃないから、大丈夫」
一気に和子の緊張は解けた。チャラそうだと思っていた干し柿こと『柿』は、意外なことに好青年であった。和子が紙袋を持っているのを見ると、「持つよ」とすっと手を伸ばして持ってくれた。その仕草も自然である。
「なあ、今日緊張してる?」
「そりゃあしてるよ。ネットで出会った人と実際に会うなんて初めてだし」
「だよな、俺も昨日の夜、今日のこと考えてたらちょっと緊張したもん。でも、カズ、いい子そうで安心した。ラキもチャット通り変わった奴ではあるけど、いい奴だから安心してな」
和子を安心させようとしているのだろう。道すがら、柿は人懐っこくたくさん話しかけてくれた。
和子と柿は東口の喧騒を抜けて、地下一階のカプリチョーザに辿り着いた。学生に人気の店らしく、地上まで行列ができている。ラキが先に並んでくれたのは正しい選択だったと思った。
「あ、ついさっき中に入ったって。行こう」
携帯を見ながら、柿が言った。柿とラキはキャリアが同じなので、SMSで連絡が取れるらしい。
間接照明に照らされたイタリア風の店内は学生を中心に若い客で満席だった。柿がキョロキョロと周りを見渡し、「あ!」と小さく声を上げて、「こっち」と和子の肩に軽く触れると、先に立って歩き出した。
「おう、ラキ、待った!」
柿は四人掛けのボックス席に座る後ろ姿の男性に声を掛け、男性の隣に座りながら、「こっち」と和子に向かい側に座るように促した。
和子は長椅子に腰掛けて――完全にフリーズした。
柿の奥に座っていたのは紛れもない、明彦だったのだ。




