第二十五話 夏の由恵の夢
大学初の試験も終わり、和子は熊本に帰省した。四歳になった龍太郎は随分大きくなって、急に言葉がはっきりしてきた。しばらくは久々に会う和子にもじもじして由恵の陰に隠れていたが、和子の膝の上で落ち着いていたアンコを押しのけるようにして、和子の膝の上に陣取ると、絵本を読んでと強請っている。いつの間にか「かじゅちゃ」じゃなくて、「かずちゃん」と呼ぶようになっているのが、和子はなんだか少し寂しいのだった。
「ねえ、由恵、背伸びた?」
大きくなったのは龍太郎だけではない。まさかの由恵まで身長が伸びていたのだ。今回の人生では由恵が自分より小さいか、同じくらいの背丈であることに慣れてしまっていた和子だが、大人の由恵は自分より七センチ程背が高かった。そして由恵は背が高いことを嫌がっていた。
「前回も中学の終わりに伸びたのよ。牛乳飲むの減らしたりして、止めようとしたけど無駄な努力だった……」
由恵はそう言って苦笑いした。その横顔が少し大人びて見えた。
由恵は中学三年生。来年、高校受験である。和子同様、中学トップの成績を誇るが、これも和子同様に熊本市の進学校でなく、地元のM高を受けると決めている。由恵の担任の先生が母に必死に直訴したので、両親は由恵と話し合ったが、由恵が考えを変えることはなかった。
「私も大学では地元を離れることになると思うから、高校の間は龍ちゃんとアンコ、それにお父さんとお母さんとばあばと一緒にいるつもり」
と涼しい顔をしている。どの教科も満遍なくできるが、和子と違って理数系も得意らしい。和子は両親に頼まれて由恵に英語を教えたりもしたが、教える必要があるとはとても思えなかった。
高校の時の友達と会ったり、龍太郎が満足いくまで外で鬼ごっこをしたり、父に自分が読んで面白かった本を薦めてみたり、母の料理を手伝ったり、祖母に大学の面白い友達の話をしたり。和子はのんびりと帰省を楽しんでいた。でもやはり由恵と話すのは格別に楽しかったのだった。
***
七月第三週はまだ中学は休みではなかったので、昼間は由恵はいない。和子は暇つぶしにチャットルームを見てみた。すると、大学生は皆同じと見えて『干し柿』と『ハッピーラッキーボーイ』もチャットルームにいたのだ。
干し柿> おつー何してる?
ハッピーラッキーボーイ> おひさー
あんころもち> おつー、夏休み帰省して、暇してるよー
干し柿> 俺は自宅通学だから、もっと暇よ
ハッピーラッキーボーイ> こちらも帰省中。>>あんころもち、帰省いつまで?
あんころもち> 7月いっぱいだよ
干し柿> 俺は永遠に帰省中……
ハッピーラッキーボーイ> じゃあさ、前から話してたオフ会、8月の中旬に実現させない?
干し柿> OK!
あんころもち>了解!
和子は内心少々複雑だった。チャットで知り合った顔も素性も知らない人と会うなんて、現代の出会い系と何が違うのだと思わなくもない。でも干し柿とハッピーラッキーボーイは高二から『本好きが集まるサイト』のチャットルームで話してきて、受験の時も励まし合った仲だったのだ。さすがにやばい人ではないと信じている。
干し柿は私大の経済学部。中高とサッカーをやっていて、大学ではフットサルサークルに入っているらしい。ちょっとチャラそうではあるが、歴史小説が好きなところなんかは和子と趣味が合った。対してハッピーラッキーボーイは陰の者という感じで、真面目だけど変わったところがあって、妙におかしい奴だった。SFが好きだと言って、自分でもせっせと小説を書いており、和子は彼の書いた短編をいくつか読んだが、なんだかよく分からなかったので、申し訳ないが才能はないと思っていた。
***
ある夕方、和子と由恵はアンコの散歩でお決まりの川辺を歩いていた。日が落ちてきたとは言ってもまだまだ蒸し暑く、二人の身体はしっとりと汗ばんでいた。
「ねえ、姉ちゃん、大学はどう?」
「どうって、楽しいよ。勉強もバイトもサークルも大変だけど、友達もできたしね。今回英語を思いっきり勉強できるのが、思いの外楽しい。自分があまりにもできなくて悔しい時も多いけどね」
「そっかー……」
由恵は少し俯いて何かを考えている様子だった。
「姉ちゃん、もし私が獣医学部行きたいと思ったらどう思う?」
「獣医学部!?」
由恵は一回目の人生では文系の短大に進学した。だから、獣医学部は和子が全く想像してもいない進路だった。
「なんで、突然?」
「うーん、ずっと考えてたんだ。私は動物が好きだし、アンコも、そして将来、姉ちゃんのミーコも私が診てあげられればいいなと思ったの。それに……」
そう言って由恵は和子の顔をじっと見つめると、すぐに視線を斜め下に逸らせて言った。
「今回の姉ちゃんは興味のあることを一生懸命勉強してて、それってなんだかいいなあと思ったんだよね。だから私も今回は頑張ってみようかなって気になったんだ」
和子は自分でも気づかぬうちに微笑んでいた。なんだかとても嬉しかったのだ。そんな風に由恵が自分のことを見ていてくれたことも、由恵が新しい夢を見つけたことも。
「すごくいいと思うよ!応援する」
「でもいけるかなー……私立の獣医学部なんて、うちの経済状態ではとても無理だから、国立を狙うしかないんだよね……」
由恵はポリポリと頭を掻いた。
「高校入ったら、私も協力するし、頑張ろうぜ!」
そう言って和子が抱き着くと、いつも「やめてよ!」という由恵が今日は無抵抗だった。アンコが楽しそうに二人の周りをぐるぐる回っている。
自分よりも背が高くなった妹のことが、今日は可愛く思えてならない和子なのだった。




