第二十二話 強い味方
次の土曜日、和子と由恵はバスを乗り継ぎ、渡辺家にやってきた。祖父母と伯母が二人を迎えてくれた。伯父は畑を見に行っているということで、不在だった。和子が祖父母に合格通知書を渡すと、祖父は上機嫌で言った。
「おめでとう。あんまり聞いたことなか名前ばってん、東京の大学だけん、よか大学とだろう」
和子は心の中でずっこける。私が必死で勉強して合格した、私にとってものすごいいい大学だよ……だが、昭和一桁生まれの上に、熊本の農村育ちの祖父母はT外語大と言われてもピンと来ていない様子だった。和子は気を取り直し、少し緊張しながら続けた。
「国立だから学費はすごく高くはないんだけど、東京で一人暮らしをしなきゃいけないことを考えると、じいちゃんに多少でも援助してもらえないかと思ってるんだけど……」
「おう、よかたい。じゃあ、じいちゃんが四年分の学費ば払ってやろう。振込用紙ば持ってきたら、じいちゃんが銀行から振り込んでやろうたい」
思いの外あっさりと、祖父は四年分の学費を気前よく支払うことを約束してくれた。
「じいちゃん、ありがとう!じゃあ、払込用紙が来たら、また改めてお願いに来るね」
和子はそう言いながら、由恵と伯母を見た。二人とも目でチラチラと合図してくる。「行け!行け!」と言っているのだろう……
「それで、じいちゃん……」
和子は意を決し、続けた。
「私ばかり出してもらうのは申し訳なく思えるんだ。だから、由恵と龍太郎、そして緑ちゃんと由佳理ちゃんにも、今、少しばかり援助をしてもらうことはできないかな……」
祖父と祖母は目を丸くした。和子の言葉があまりにも予想外だったのだろう。
「そりゃあ、由恵と龍太郎が上の学校に行くときは同じごつ出してやるつもりでおるたい。緑と由佳理が結婚する時もな。でも今じゃなかどたい」
祖父の言うことはもっともである。でも祖父が用地買収で得たお金は来年には消えてしまうのだ……
「いや、でもかずちゃんの言うことも一理あるんじゃなかどか。事前にもらっておいた方が、みんなも安心するだろし……」
伯母が援護射撃をしてくれたが、なんとも頼りない。和子は祖父をちらりと見るが、腕を組んだ祖父には全く響いてなさそうである。
「由恵もおばちゃんの言う通りだと思う。学費が確保されているって分かれば安心して勉強に励めるもん」
和子は由恵の主張は悪くないと思う。だが、祖父の表情には変化はなかった。
『ピンポーン』
渡辺家のチャイムが鳴った。伯母が小走りに玄関に行くと、両親と龍太郎の賑やかな声が聞こえてきた。
「聞いてた?」
「聞いてない?」
和子と由恵は目と目で会話をする。両親は夜には迎えに来ると言っていたが、こんな早くに来るはずではなかった。
「じいちゃー!!ばあちゃー!!」
龍太郎がパタパタと足音を立てて走って来て、祖父母の元へ突進する。祖父が龍太郎を抱き上げて、胡坐の上に載せた。祖父は満面の笑みである。
「街で買い物しよったけど、龍ちゃんが眠がってむずがるけん、早めにこっちに来ることにしたとよ。でも車の中で寝たらすっかり元気になってしまったわ」
母が買い物袋を抱えて和室に入ってきて、父もそれに続いた。
「何ば話しよったと?」
母が無邪気に尋ねるが、皆、無言だった。仕方ない……観念した和子が言った。
「じいちゃんとばあちゃんにT外語大合格の報告をしてぇ、そしたらじいちゃんが学費を四年分払ってくれるって言ってくれてぇ……」
「え、お父さん、いいとね?」
「そんなお義父さん……」
母と父が同時に口を開く。
「和子の学費はもちろんよかたい。ただ和子が由恵と龍太郎に、緑と由佳理にも、今すぐに援助してほしいて言わすとたい」
祖父が言うと、また両親が同時に言った。
「和子、なんば言いよるとね!?」
「かずちゃんはみんな平等にって、言ってくれてると思うとよ。優しかじゃなかね」
「そう、姉ちゃんは私達のことも考えてじいちゃんに言ってくれたんだよね」
和子のサポーター達も頑張って声を上げてくれてはいるが、甚だ頼りないのであった。
その時、勝手口が開く音がした。畑に行っていた伯父が帰ってきたのだ。
「みなさん、いらっしゃい」
「お義兄さん、どうもお邪魔してます」
伯父の挨拶に両親がお辞儀して応える。伯父は和子の前に座ると言った。
「和子ちゃん、改めておめでとうございます。T外語大に合格するなんて、おじちゃんも鼻が高かよ」
祖父が「おっ?」という顔をしたのを和子も由恵も見逃さなかった。伯父は祖父の方を見て言った。
「いやあ、お義父さんも鼻が高かでしょう。うちの会社にもT外語大卒なんておらんですよ。外国語を勉強するには日本で一番と言っていい素晴らしか大学です。さすがお義父さんの孫ですな」
「わしもあぎゃん良か大学に受かるとは、和子は大したもんだと思っとった。それで、四年分の学費はわしが払ってやろうと思っとる」
祖父が胸を反らして言うと、伯父は更に言った。
「それは素晴らしかことですね。私は学校で勉強することは、将来への投資だと思っとります。お義父さんはお金の使い方を知っとんなはる」
「もちろんたい。わしは孫の学費は惜しまんつもりでおる」
祖父は和子の方に向き直った。
「なあ、和子、じいちゃんは今おじさんとも話した通り、孫の学費は惜しまんよ。だけん、今すぐじゃなかばってん、由恵や龍太郎にも必要な時になったら出してやるけん」
そう言うと、祖父は膝の上の龍太郎の頭を撫でた。龍太郎は祖父の膝の上で、おもちゃで遊んでご機嫌だ。祖父は伯母の方を見て付け加えた
「もちろん、緑と由佳理が結婚する時にもな。だから安心せんね」
「お義父さん、緑や由佳理にまで、ありがとうございます。」
伯父はそう言うと、祖父に頭を丁寧に下げると、和子の方を向いて続けた。
「和子ちゃんは自分の学費だけ出してもらうのが申し訳なかけん、由恵ちゃんや龍太郎君の分や、緑や由佳理にまで援助ばいただけるように、頼んでくれたとだね。その気持ちはありがたかばってん、必要な時に出してやるってお義父さんが言いなはるのは筋が通ってると、おじちゃんは思うよ」
和子と由恵は頭を下げて、ぎゅっと目を瞑った。
ああ、だめだ。この作戦は失敗だ……
「でも、お義父さん、和子ちゃんの優しか気持ちも素晴らしかと思います。だけん、養老保険や学資保険ば掛けるのはどぎゃんでしょう?」
伯父の思わぬ提案に、和子と由恵は弾かれたように頭を上げた。
「養老保険や学資保険?」
祖父が聞き返すと、伯父は言った。
「由恵ちゃんは十四歳だけん、たとえば五年満期の養老保険を、由恵ちゃんを受取人として、お義父さんが契約してあげるとです。保険料は一括支払いができます。百万円を一括で払い込んだとして、五年後に由恵ちゃんが受け取る時には百八万円くらいには増えとるんじゃないかと思います。ただ持っとくよりかは得です。それに由恵ちゃんが大学に入ってお金が一番いる時に満期が来て保険金が下りますから、必要な時に出してやりたいていうお義父さんの考え方にも沿っとるんじゃないかと思います。緑と由佳理はいつ結婚するか分かりませんから、とりあえず五年位にしとくと丁度よかかもしれません。龍太郎君はまだ小さかけん、学資保険が掛けられるでしょう」
「それは悪くなかばってん……」
祖父がもごもごと口の中で言ったのを、大きな声で掻き消すように伯父が言った。
「ああ、そうだ、農協でも養老保険ば扱っとんなはるて言いますよ。お義父さんの遠縁の和義さん、農協にお勤めでしたよね?三月の年度末も近かけん、お義父さんが何口か契約してやるて言ったら、喜びなはるんじゃなかどか」
「確かに、和義はたいぎゃな喜ぶどな……一度話ば聞いてみようか……」
祖父がそう言うと、伯父は伯母の方を向いて言った。
「佐多子、和義さんに電話してさしあげたら?お義父さんが養老保険と学資保険の話を聞いてみたいて言いよんなはるて」
「ええ、ええ!」
伯母は嬉々として立ち上がり、黒電話へと走っていった。少々複雑な表情を浮かべる祖父に向かって、伯父はにっこりと微笑んで頭を下げた。
「お義父さん、孫たちのためにありがとうございます。お義父さんの思いも、和子ちゃんの優しい気持ちも叶えられて、素晴らしいことだと思います」
祖父の縁戚の和義さんは近所に住んでいて、丁度時間があるということで、すぐに来てくれることになった。祖父母と伯母が和室で和義さんと話をしている間、木本家は祖父母の居間で過ごしていた。和子と由恵は「緑ちゃんの漫画を読んでくる」と居間を抜け出し、伯母一家のダイニングルームへ行った。
「おじちゃん!なんで味方してくれたんですか?もしかして私の話をおばちゃんから聞いたんですか?おじちゃんは信じてくれないと思ってた、理系で現実的な人だし」
由恵が尋ねると、伯父は言った。
「うーん、百パーセント信じてるとはとても言えんけど、由恵ちゃんがそぎゃん風に言うのには何か理由があると思ったんだ。それに教育資金を今のうちに贈与してもらうのは、悪いこととは思えんしね」
和子は伯父に丁寧に頭を下げた。
「おじちゃん、ありがとうございました。おじちゃんが言ってくれなかったら、私達だけでは、とてもじいちゃんを説得できなかったと思う」
和子が言うと、伯父は少しだけいたずらっぽく笑った。
「僕は佐多子には弱いけんね。佐多子に頼まれたから、味方しただけのことだたい。それに、緑と由佳理の分までお願いしてくれてありがとう。お義父さんのお金のことは気には掛けておくけんね。僕らに何かできるかは分からんけど……」
数日後、和子と由恵は伯母より弾んだ声の電話を受けた。
「お父さんが、由恵ちゃんと緑と由佳理に二百万円ずつの養老保険を、龍ちゃんに二百万円の学資保険を掛けらしたよ。払い込みも済んだけん!それにしても、佳孝さん――おじちゃん――があんなに喋らすの、久々に聞いたよ、私は……」
これで和子と由恵は祖父のお金のほんの一部ではあるが、救うことができたのである。もう一声と思わなくもなかったが、ゼロよりは大分マシだろう。
これにて、『プロジェクト・G』は幕を閉じたのであった。




