第一話 ナプキンは持ち越せない?
ナプキン、由恵とふざけて書いていたあのナプキン。
由恵は、あれを持って帰ったのだろうか。
和子が最初に考えたのは、それだった。
次に考えたのは、苦しい、だった。痛い。眩しい。体が自由に動かない。
目の前が明るくなる。温かいところから押し出されて皮膚に外気に触れる。息ができない。うるさい。
全てがぼやけていてちゃんと見えない。目の前にあるのは誰かの顔?何か言っている。聞こえているのに、音が水の中のようにぼわんと聞こえてなんて言っているのか分からない。
懸命に思い出そうとする。私と由恵は歩道を歩いていて、急に眩しい光に何も見えなくなって……
そして私は車に轢かれた。
でも由恵は?
由恵は無事だったんだろうか?
和子は言おうとした。由恵は?由恵は、妹は無事ですか。でもその言葉が口から出てくることはなかった。
代わりに口から出たのは、
「おぎぁあああああ!」
自分の口から出た思い掛けず大きな声に驚く。目元に湿った感覚が広がる。胸の中が空気で満たされていく。
和子は泣いた。泣きながら、混乱した。眩しい。自分の手足も、自分の心も全く制御不能だ。
誰かが言った。
「元気な女の子ですよ」
女の子。その言葉で、和子の意識が少しだけ現実に追いつく。
女の子?
私は女。それはもちろんだ。でも問題はそこではない。
四十五歳は女の子とは一般的には呼ばれないのである。しかも「元気な女の子」とは尚更……
推し活帰りだった。足立区の喫茶店で妹とお茶をした。過去に戻った未来人になれたらアップルを買うとか、マイクロソフトを買うとか、そんな馬鹿な話をしていた。由恵がペーパーナプキンに何かを書いていた。いくつかの会社の上場日、年表。それから私が推しの入所日を書いたんだっけ……
今。和子の目にはぼんやりとした明かりしか見えない。誰かが顔を覗き込み、鼻や口に何かをされた後、身体を拭かれてやわらかい布でくるまれたことが分かった。
誰かが和子を抱き上げて立ち上がる。そうして少しの距離を移動すると、誰かが和子の顔を覗き込んだのだろう、視界が少しだけ暗くなった。
「赤ちゃんですよ」
抱き上げた誰かが言う。
「ありがとうございます!かわいい……」
疲れているけど、嬉しそうな華やいだ声だった。若い声だ。
今の視力では覗き込んだ誰かは見えない。でも声を聴いたらすぐに分かった。
「お母さん……!?」
よく知っている声より幾分声が高いけど、これはお母さんの声だ。
「お名前決まっているんですか?」
頭の上から声が聞こえる。
「和子です。二つの名前で随分悩んでいたんですけど、この子を見たら和子かなって思いました」
この声はお父さん……
それを聞いた瞬間、和子は悟った。
この声、生々しい感覚、走馬灯だとは思えない。
あの事故で私は死んで、そして恐らく生まれ変わったのだ。ただし、普通の転生ではないらしい。ここにいるのは私の両親、そして「和子」、つまりは私自身。自分の生まれた時に戻ったということ?じゃあ現在は1981年ということなのか。
ただし、和子にはそれを確かめる術はなかった。目は明暗がわかる程度、意思表示としては手足をバタバタさせることと泣くことのみ。文字通り手も足も出ない状態である。
急に顔を柔らかなものに押し付けられ、口に何かを含ませられる。
もしかしたら、これは授乳か?初乳は免疫に大事というもんな……でもお母さんの乳首を咥えているのか、気持ち悪いな……
そう思いつつも新生児に備わった本能があるようで、口が自分の意志に反してふにゃふにゃと動き、乳を吸うような動きを始めるのだった。
授乳終了後にまだベッドに寝かされ、うつらうつらとしながら和子は思う。
まだ夢オチという可能性もある。目を開けたら病院のベッドの上、いや、事故にあったことさえ夢で、家の天井のベッドにいる可能性すらある。
和子は下半身が濡れた感覚で目を覚ました。
「ふやあああああ……」
意図せずして泣き声が出る。
下半身に広がる不快な感覚。そして泣き声を上げるしかできない自分。
どうやらこれは残念ながら夢ではない。四十五年がリセットされ、不本意にも新しい人生が、と言っても一度経験した人生が、始まったようだった。
一週間程経ち、和子と母は退院した。一週間経つと父や母が近くにくれば二人の表情も薄っすらと分かるような気がする。シルエットしか見えないが、口のあたりがにっこりと笑っているように見える。二人の待望の第一子が生まれたのだ。かわいくて仕方がないのだろう。
新生児に蕩けそうな表情(多分)でニコニコ喋りかける両親に対して、和子は良心の呵責を覚える。
無垢な赤ん坊だと思ってるだろうけど、こちとら四十五歳なんだよね、ごめんね……私が生まれた時点でお父さんが三十三歳、お母さんが二十六歳だったはず。この二人は自分よりも年上の子供を持ってしまったんだな……
和子にとって数十年ぶりの実家、旧・木本家である。
和子は既婚だが子無し、由恵は独身だった。仲のいい姉妹は年に二回は一緒に熊本県某市の実家に帰り、一週間以上滞在していた。だから実家に帰ること、そして両親に会うこと自体は全く久しぶりでもなんでもなかった。ただし、和子が自分が生まれた育った家を訪れるのは随分と久しぶりだった。和子が高校生の時に両親は新築の家を建て、この家からは引っ越していたからだ。
家に帰って数か月程経つと、和子の目は視力を得始めたようだった。少しずつ自分の周りが見えるようになってくる。周りのカラフルなものが目に付くようになり、片っ端から掴んで口に入れたい衝動に駆られる。床に落ちているものなぞ咥えたくはないので、理性で止めようとしても勝率は二割五分、そんな日々だった。
少しずつ周りの物の輪郭がはっきりしてくる日々。家は懐かしかった。
黄ばんだ畳。茶色い重厚な座卓。これが我が家の食卓だ。懐かしの赤い十四型ブラウン管テレビ。お風呂の青地に黒のタイルとステンレスの小さな浴槽。洗い場にある洗濯機。
びっくりするくらい急な階段を上ると、左側には緑の絨毯が敷き詰められた部屋がある。これが両親と私の寝室だ。右側には父の書斎があるけど、そちらに足を踏み入れるのはまだまだ先だろう。
そして両親とおばあちゃん。
和子はおばあちゃん子だった。見上げると、八十歳で亡くなった祖母が和子を覗き込んで、何とも嬉しそうに微笑んでいるのだ。思わず声を上げて泣いてしまった。誰も祖母に会えたことに感動して泣いているなんて思わなかったと思うけど。
寝返りも打てず、日がな一日授乳とおむつ交換を待ち続ける日々。ものすごく退屈で、考える時間だけはたくさんあった。
和子は思った。
もしかしたらこれは人生大逆転するチャンスなんではないだろうか。あの事故の直前に話していたこと……米株を買って保有し続けるだけで確実に億万長者になれるのだ。ただ1980年代に、しかも熊本で、どうやって米株を買えというのか。スマホどころかパソコンもインターネットもないこの時代。米株どころか、日本株でさえあまりにもハードルが高い。しかも市役所勤務の父は投資なんてもっての外という融通が利かない性格である。極め付けには私はあの時に由恵がナプキンに書き付けていたことを銘柄を除くとほとんど覚えていないのだ。年表の方は元々知っていたことを除いては全くお手上げだ。
そして大きな疑問があった。
由恵はあの時どうなったのだろうか。あの時一緒に事故に遭ったのだろうか。そして私のように死んだのだろうか。
無事でいてくれたらいいなと思う。
でも同じくらい願っていた。
一緒に死んでいて、そしてこの世界にまた由恵として生れ落ちてきてくれないだろうか……
由恵が生まれてくるのは1984年9月。まだ三年半もある。
それまでの時間だって待ち遠しくて気が狂いそうなくらい長いのに、もし生まれてくる由恵が何も覚えていない人生一回目だったとしたら……
※小説家になろうとカクヨムで投稿しています。




