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未来はナプキンに書いてある 〜一攫千金を目指す姉妹の昭和・平成奮闘記〜  作者: Tokinapo


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第十八話 夏期講習と偵察と

 ある日の夕食後、和子は両親に改まって話をした。


「お父さん、お母さん、私、T外語大を第一志望にしたい。もちろん全てはセンター試験の結果を見てからだけど。」

「分かった。しっかりな」

「東京の私立はさすがに厳しかばってん、国公立ならお父さんとお母さんが、どうにかするけんね」


 和子の希望を、両親は思いの外あっさりと受け入れてくれた。


「あれは多少じいちゃんに入ってくるお金の皮算用もあるね」


 由恵が冷静な顔で言う。


「まあ、そりゃあそうだろうね。でもあのお金は時限爆弾付きだから、それまでに少しでも木本家で確保しないと……」


 和子と由恵とアンコの散歩は、時に姉妹の作戦会議になった。河川敷から帰ると、何か所も蚊に刺されている。和子にとって高校生活最後の夏が近づいてきているのだ。


***


「お母さん、熊本市内の夏期講習なんて、無理だよね……?」


 和子は畠元先生からもらったパンフレットを母に見せた。先生は毎日のように和子に英語の個別指導をしてくれていたが、四十人程のクラス担任をしている中では時間的な制約があった。二次試験の記述や英作文にかなり苦戦していた和子が相談すると、熊本市にある英語専門の予備校で、八月の初旬に二週間の夏期集中講習があることを教えてくれた。英作文もかなり熱心に添削、指導してくれるということで、英語の二次試験を受ける受験生に人気なのだという。


 母はパンフレットを裏返して、受講料を見た。決して安くはない。数秒停止した後、母は言った。


「行きなっせ。お父さんにはお母さんから話しとくけん。お母さんはかずちゃんを応援するけんね」


 和子が母の愛を噛み締めながらダイニングテーブルで勉強していると、由恵が耳元で囁いた。


「渡辺の家に泊めてもらいなよ、姉ちゃん」

「え、なんで?家から通えるよ」


 由恵は呆れ顔で言った。


「忘れたの?『プロジェクト・G』!Gはもちろんのこと、周囲の人間の偵察も必要だし、大学受験のために一生懸命努力する健気な孫娘の姿を、Gにしっかりと刷り込んできてくれたまえ」

「そうか……ラジャ!」


 かくして、和子は渡辺家に泊めてもらい、夏期講習を受講することとなった。従姉の緑ちゃんと由佳理ちゃんはもう家を出ているので、和子は緑ちゃんの部屋を使わせてもらうことになった。祖父母はもちろん、伯母夫婦も和子を歓迎してくれた。母と伯母が仲が良いので、木本家の親子は度々渡辺家を訪れていたが、一人で長く滞在するのは、和子にとって初めての経験だった。


 朝は渡辺家の前のバス停から八時のバスに乗り、予備校の近くのバス停に八時四十五分に到着する。授業は午後だったが、授業の前後も自習室が使えるのだ。和子が夏期講習を受講することを聞いた万由里も、同じ予備校に通うことになった。万由里の授業は午前中だったので、万由里が授業を終えるのを待ち、予備校のロビーのテーブルで昼食を取るのが習慣だった。午後の授業の後は少し自習をした後に五時過ぎのバスに乗り、渡辺家へ帰宅する。予備校で八時まで自習することも可能だったが、偵察も兼ねての滞在なので、夜は家で勉強することにしていた。


 祖父母と伯母夫婦は、基本的にはそれぞれの居住スペースで別々に夕食を取るが、和子がいる間は伯母の料理を五人で囲むことが多かった。和子は食後すぐには自室に戻らず、伯母夫婦のダイニングルームで、できるだけ皆と会話をするように心がけた。

 当たり前のことながら祖父母と伯母夫妻とは長い付き合いである。しかし、こうやって両親がいないところで話をするのはほぼ初めてであることに、和子は気づいた。今回『プロジェクト・G』というはなはだ後ろめたい目的のためではあるが、祖父や伯母夫婦の人となりを知りたいと思ったのも、初めてかもしれない。


 和子の観察は以下である。

 

 渡辺のじいちゃんとばあちゃんは、本当に極々普通の田舎のじいちゃんとばあちゃん。とびっきり私に甘い訳ではないけど、普通に可愛がってくれる。昭和一桁生まれだけあって、男尊女卑的な考え方はそりゃああるけど、それなりに私の選択を支持してくれているように感じる。じいちゃんは「おなごが、そぎゃん勉強せんだっちゃ……」なんて言うけど、予備校に車で送ってくれる時もあるし、ばあちゃんは「どうせ嫁ごに行くとに、大学なんて……」なんて言うけど、夜遅くまで勉強していると桃を剥いて持ってきてくれたりする。

 今の二人の一番の関心事は何と言っても末の孫であり、初の男孫の龍太郎。もうそれはそれはかわいいらしく、三歳になった龍太郎の誕生日には広げれば一畳ほどになりそうな巨大なプラレールのセットをプレゼントしていた。祖父母にリクエストを聞かれて、何の気なしに「プラレールかな」といった母は絶句していたっけ。

 

 おじちゃんは会社員をしながら畑もやっている働き者。無口だけど優しいし、賢い人だと思う。じいちゃんとばあちゃんは農業は辞めて今は自分の家の分だけの作物しか育てていないので、渡辺家の畑はおばちゃんの手を借りながら、おじちゃんが一人で管理しているらしい。じいちゃんは農家の長男らしくワンマンで、時に尊大な喋り方をすることもあるけど、おじちゃんに対しては一目置いているような気がする。

 おばちゃんは料理がうまくてしっかり者。でもどこか抜けているいうか、少女っぽいところがある人だと思う。部屋に積んである雑誌から占い好きであることに気付いたので、占いの話を振ってみたらものすごく話が弾んだ。2026年のおばちゃんはスピリチュアルにハマっているかもしれないな。姉妹だけど、現実主義のお母さんとは大分違うみたい。


 ***


 夏期講習が始まって一週間が経った頃、和子が朝から自習室で勉強していると右隣に誰かが座る気配がした。三十分程経ち、疲れた和子は椅子を引き、首を回して伸びをした。何の気無しに隣をちらりと見る。間を仕切るパーテーションの幅はそう広くないので、隣の男子の後ろ姿が良く見えた。その天然パーマの襟足に、和子は見覚えがあったのだ。


「明彦……?」


 和子は伸びをしたまま固まった。顔を確かめる勇気はなかったので、物音を立てないように、そっと自習室を出た。背中をつーと流れた冷たい汗が、クーラーで冷えて寒いくらいだった。


 考えてみると明彦がここにいても全くおかしくはないのだ。明彦は熊本市内の出身なのだから。奇妙な偶然だとは思うけれど。自分は臆病になり過ぎていると和子は思う。

 さすがに同じ教室にいたら気づいているだろうから、取っている授業は違うのだろう。何よりも今の明彦は私のことを知らないのだ。自意識過剰になる必要はない。


 ロビーで温かいお茶を飲んで、冷えた指先を温めた。冷静になった和子が自習室に戻った時には、もう明彦らしき男子はいなかった。


 ***


 夏期講習もいよいよ最終日だ。和子はロビーのテーブルの一角を確保して、万由里の授業が終わるのを待っていた。ここで昼食を取るのも今日が最後である。


「かずっち、お待たせ―」

「まゆっち、お疲れ……」


 赤本を読んでいた和子が万由里の声に顔を上げると、万由里が見知らぬ男子と立っていた。そしてその半歩程後ろに、他でもない明彦が立っていたのである。


「紹介するね、これ佐藤君。幼稚園の時同じクラスだったんだけど、同じ講座取ってたの!」

「ずっと、誰かに似てるて思ってたけど、今日まで気づかなかったよ~」


 万由里と佐藤君は意外な邂逅かいこうに興奮しつつも、和やかに話している。万由里が和子の肩に触って言った。


「こっちはかずっち。うちの学校でいつも英語一位の天才!私の親友なんだ!」

「あ、こっちは横山君。高校のクラスメイトなんだ」

 

 佐藤君がそう言うと、明彦は「どうも……」と口の中でもごもごと喋ると、ぺこっと会釈した。


 く、暗い……ものすごく久々に未来の夫に会った和子は思った。


 ああ、そういえば、大学で初めて会った時の第一印象も、「なんだ、こいつ……」だったなあ。


 万由里と佐藤君は「今度同窓会しようよー」なんて言いながら、和気藹々(あいあい)とポケベルの番号交換をしている。脇に立った明彦は何も喋らないので、和子も下を向いてテーブルの白い天板を見ていた。


「あ……」


 テーブルに目を落とした明彦が和子の赤本を見ながら言った。


「木本さん、T外語大志望なの」

「うん」

「なんで?」

「なんでって、英語を勉強したいから英語専攻を受けようと思って……」

 

 和子の答えが終わる前に明彦が言った。


「でもなんでT外語大?ネームバリュー?東京行きたいから?」

 

 和子はムッとする。十七年ぶりに会ったと思ったら、早速失礼な奴だな。


「ネームバリューは魅力だし、東京にも行きたいけど?それが悪い?」

「なんで?」

「は?」

「みんな東京に行きたがるけど、どうしてかなと思って」


 和子は少し考えた。仕事の探しやすさ、じいちゃんのお金のこと、そして一番は目の前にいる明彦と大学で出会わないため……いろんな理由があるけど、私はどうして東京に行きたいのだろうか。


「誰かに会いに、かな」

 

 思ってもいなかった言葉が自分の口からこぼれ出て和子ははっとする。


「誰か?」


 明彦は首を傾げた。


「うん、東京にはたくさん人がいて、まだ会ってない誰かがたくさんいるでしょ。だから、その誰かに会いに行くんじゃないかな……」


 その時和子の脳裏に一瞬浮かんだのはミーコだったけど、目の前の明彦はミーコを知らない。


「ふーん……」


 納得したのかしていないのか分からないような相槌を打つと、明彦が黙ったので、和子も口をつぐんだ。


 和子がいい加減沈黙に耐えられないと思った時、万由里が佐藤君に手を振った。


「じゃあ、またね」

「うん、連絡する」


 佐藤君がテーブルから離れて歩き出したので、明彦はぬぼーっとその後を追って去っていった。


 ……ビビった……あまりにも心の準備ができてなさ過ぎた……


 でも、まあ、予備校で一瞬会った友達の友達の友達なんて、明彦はすぐに忘れるだろう。


 強めの天然パーマの髪があちらこちらに跳ねているのも、細身で背がひょろりと高くて猫背なのも、変わらなかったな。大学で出会った時とも、2026年の明彦とも。高校の時は眼鏡だったのか。コンタクトは明彦なりの大学デビューだったのだろうか。

 それにしても、十八歳の明彦、肌なんてつるっとしてて、衝撃的に若かったな。四十六歳の明彦は当然ながら老けてたんだなと改めて思い知る。変わらないと思ってたけど、それは毎日一緒にいたからだったんだな。


 もう大学生の明彦と会うことはないんだろう。

 ということは、四十六歳の明彦とも会うことはない……


 さよなら。一緒にミーコの両親をしてた人。私の未来の夫だった人……


 和子は心の中で明彦にそっと手を振った。


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