第十五話 未来への接続
インターネットができる日は思いがけず、早くやってきた。
木本家が荷解きと部屋の整理を終えて、新居での生活に慣れた頃、父が言ったのだ。
「うちもそろそろパソコンば買おうか。新卒の山口君がパソコンに詳しくて、これからはインターネットの時代だって言いよった。パソコンを買うのも手伝ってくれるって言いよらすし」
和子と由恵の奮闘により、新居は予算より多少安く収まっていた。そして頭金とローンで相当な金額を払った父の頭は、少々バグっていたのだろう。今の父には二十~三十万円台と、九十年代前半と比べれば現実的な値段になっていたパソコンがかなりお安く見えたらしい。かくして、木本家にとうとうパソコンがやってくることになったのだ。
次の日曜日、山口君は父に付き合って、熊本市内の量販店まで行ってくれた。そして父の運転する車の後部座席に乗ってパソコンがやってきた。
木本家に上がった山口君は、段ボールからブラウン管のディスプレイ、タワー型のパソコン本体、キーボード、マウス、プリンタを次々と取り出し、リビングルームにある小さな机に設置してくれた。そして各種ケーブルを黙々と接続していく。
そんな山口君を木本家一同は興味津々で見守っていた。祖母はなぜか正座している。由恵は今にも山口君に飛びつきそうな龍太郎をがっちりと抑えていた。龍太郎は人見知りしない子だった。ダイニングルームに閉じ込められたアンコが悲しそうに「キューンキューン」と鳴く声が響いた。
山口君がパソコンのスイッチを入れると、黒画面に白い文字の起動画面が現れた。木本家一同は世紀の瞬間を固唾を呑んで見守っていたが、ついにWindowsのロゴが表示された時、和子と龍太郎以外から「おお……」という声が漏れた。白黒のワープロしか知らない皆はカラーディスプレイの鮮やかさに感動しているのだろうが、和子は由恵だけが違う感情を抱いているのを知っていた。由恵は和子の顔を見ると、無言で一瞬目を閉じて頷くと、静かに微笑んだ。
パソコンや周辺機器の各種設定を終えた山口君が言った。
「次はモデムの接続です。壁にある電話の差込口から電話に伸びているケーブルを外して、先程買ってきたモデムに繋ぎます。そしてモデムに二本ケーブルを繋いでパソコンと電話に差し込むと、パソコンと電話の両方が電話回線に繋がるんです」
そして山口君は鞄からCD-ROMを取り出し、パソコンのディスクドライブに差し込んだ。
「これでオンラインサインアップができます。以前はFAXか郵送で事前に申し込む必要があったんですけど、この場でプロバイダの契約ができて、すぐにインターネットに繋がるんですよ」
山口君が何度かマウスでクリックすると、モデムから電話を掛けているような音がした後、「プルルル、ガチャ」「ピーーーーー、ヒョロロロロロ、ガガガガー、ジジジジ……」と珍妙な音がリビングに鳴り響いた。プロバイダのサイトに繋がり、必要情報を記入するとオンラインで契約ができるらしい。
「これが噂のダイアルアップか!」と和子と由恵は顔を見合わせる。一回目の人生では木本家にパソコンが来たのはもっと遅かったので、和子がインターネットを初めて使ったのは大学のパソコン室だった。大学は既に常時接続だったので、ダイアルアップの音は深夜のテレビ番組の『平成レトロ特集』で聞いた覚えがあるくらいだったのだ。
無事接続でき、父が必要事項を記入して送信すると、契約が完了した。プロバイダのアクセスポイントの電話番号、ID、パスワード等が表示された画面を山口君が印刷してくれた。次回からはデスクトップのアイコンをクリックすれば繋がるという。
「繋がりました!」
うっすらと汗ばんだ山口君が、当時主流だった『ネットスケープ』のブラウザで見せてくれたのは、懐かしくも新しい『Yahoo! JAPAN』のホームページだった。
優しい山口君は木本家にテクノロジーをもたらし、夕食をご馳走になると、颯爽と帰って行った。
喜び勇んだ和子のインターネットに溺れる日々が始まった。Yahoo!から色々なサイトを検索してはヒットしたページを読み耽る。
個人サイトのトップページには訪問者数を数えるカウンターがあり、サイトのタイトルの下を『ようこそ、TAKUYAのホームページへ』という文字が右から左に流れていく。『キリ番を踏んだら、BBS(掲示板)にコメントを残していってください。次は1000番!』なんて書いてあったりして、インターネット黎明期の個人サイトはレトロかつ牧歌的な雰囲気が漂っていた。うっかり画像が載っていたりすると、それを読み込むのに数十秒かかるのもザラだった。
中でも和子が嵌ったのは『チャット』である。常連となったサイトの中に、掲示板とは別にリアルタイムでテキストで会話ができる『チャットルーム』が備えられていたのだ。複数の部屋があり、現在そこに何人いるのかが分かり、誰でも入ることができる。時に外国人と英語でチャットすることもあり、文字通り、世界と繋がったような気がした。
最初はランダムに部屋に入り、全く知らない人達と話していたが、段々知り合いもできてきた。そうなると、チャットやBBSで次回の時間を決めて待ち合わせして、特定の人達と話すことが増えた。まだSNSがない時代である。自分の人間関係の外、しかも匿名の人間と話すというのはなかなかにスリルがあった。
***
「姉ちゃん、最近インターネットに嵌ってるね。何見てるの?」
アンコの散歩中に由恵が和子に尋ねた。高校生と中学生ともなると、友人関係や勉強等なかなかに忙しい。最近ではアンコの散歩くらいしか、二人で平日にゆっくり話せる時間はないのだった。
「うーん、まあ色々かなあ。検索したり、英語のページ見てみたり、証券会社のページも見たよ。あとはチャット!」
「あー、あのリアルタイムで文字で話せるやつ?知らない人とやる原始的なスカイプみたいな?」
「そうそう、最近は『本好きが集まるサイト』のチャットで主に喋ってる」
「ペンネームみたいのつけてるの?」
「『ハンドルネーム』ね。……私は『あんころもち』……」
「わ、ダッサ!!」
ツボに入ったらしく、由恵は身体を二つに折り曲げて笑っている。
「笑うなよ……、私だけじゃなくてやばい名前の人たくさんいるんだって。『干し柿』さん、『桃りんりん』さん、『トマトが嫌い』さん、『ハッピーラッキーボーイ』さんとか、みんな癖ツヨなんだって」
由恵は指で目尻の涙を拭った。
「バカバカしいけど、九十年代っぽくていいな」
「大人が多いから、高校生っていうとびっくりされるんだけど、高校生とか大学生の子も何人かいて、待ち合わせてチャットルームに入ったりするの。大抵はダラダラ世間話してるんだけど、時には掲示板で事前にお題を投稿しといてそれについて話したりもするよ。たとえば事前に読んどいた本の感想を話し合ったり、誰かが自作の短編を投稿したのを講評するとか」
「ふーん、姉ちゃんも小説みたいの書いたりするの?」
「うん、『死んだと思ったら赤ちゃんに戻ってたので、また人生一からやり直します』て題名で書こうとしたんだけど、時代先取り過ぎかなと思って投稿はしなかった……」
「それな」
「でも姉ちゃん、そんなことばっかりしてていいの?七月は三者面談で進路の話あるんでしょ?」
由恵はなかなか痛いところを突いて来る。
「分かってるって。勉強だってちゃんとしてますよ」
「またP大学で、文学部日本文学科に行くの?」
一回目の和子は熊本の公立大学P大に進んだ。国立大学程ではないにせよ、当時はなかなかの難易度で、合格した時には家族に喜ばれたものだ。
「ううん、行かない。今回は英語の学科を考えている。文学部の英文学じゃなくて、英語自体を学びたい」
「なんで?」
「理由はたくさんあるよ」
和子は指を折り曲げながら話始めた。
「一つ目、私はそもそも文学を研究することには致命的に興味がなかった。国語ができて読書が好きってだけで選んだのが、そもそもの間違いだった」
「二つ目、今回の人生、中学から頑張って成績を保ってきたけど、私は地頭がすごく良いタイプではない。特に理数科目には限界を感じてる。数学を得意な人が持っているひらめきが私には、ない。でも英語は違う。だってアメリカやイギリスに行けば、賢くない人だって英語喋ってるわけでしょ?つまり頑張ればなんとかなる」
「三つ目、私、前回の人生で、電子部品の専門商社に勤めてたじゃない?アメリカのメーカー担当になっちゃったもんだから、英語でものすごく苦労したのよ。おかげで、読み書きは多少上達したから、今度は喋れるようになったら楽しいだろうなって。残念ながらまだお金持ちになってない以上、当分は働く必要があるし……」
「一番大事な四つ目は、私達が把握している必ず上がる株は、あのナプキンに書いてあるものだけだってこと。全部アメリカの会社である以上、英語ができると何かと便利だと思うんだ」
「理由はよぉく分かった。でもさ、英語自体を勉強する学科って熊本にあるの?」
由恵の質問はなかなか鋭い。
「熊本には、ない。国公立だと、一番近くて福岡。最高峰はやっぱり東京にあるT外語大、かな」
「東京!?うちにそんなお金なくない?家建てたばっかだし、龍太郎もいるんだよ?」
立ち止まった由恵の肩をトンと軽く叩いて、和子が言う。
「龍ちゃんと別れるのはそれは身を割かれるように悲しい……でもお金の方は、どうにかなる、かもしれない」
「どういうこと!?」
「まあ、そのうち分かるよ」
そう言うと和子はアンコを促し、「教えてよ!」と繰り返す由恵を残して、歩き出した。
由恵には言わなかったけど、五つ目、もしかしたら最も大きなウエイトを占めるかもしれない理由がもう一つ。それは明彦なんだ。
一回目の人生で、和子は大学のクラスメイトとしては後に夫となる明彦に出会った。和子は無口で不愛想な明彦に最初から好意を抱いていた訳ではなかったが、色々あって付き合うことになったのだ。二人は熊本で就職したが、数年後に明彦が上京することを決めて、和子も上京と転職を決心した。そして長く同棲した後、結婚式もせずに入籍したのだ。当分東京に住むだろうと、マンションを共同名義で買うことに踏み切ったのが、結婚のきっかけだった。甚だロマンティックとは程遠い二人であった。
子供は自然の流れに任せていたらできなくて、子供が苦手だった和子は内心ホッとしたりもした。子供の代わりという訳ではないが、ミーコを迎えてからは、ミーコの仕草に夫婦で顔を見合わせて笑い合ったりもする穏やかな日々を送っていた。決して仲の悪い夫婦ではなかった。
でも、和子は分からなくなることがあった。明彦が好きで一緒にいるのか、ただの惰性なのか、二人でいる方が生活が楽だから一緒にいるのか。無口な明彦が自分のことをどう思っているのかも、分からなかった。
明彦とまた出会って、もう一度人生を一緒に歩みたいか。
和子は自問自答した。
せっかく人生をやり直すチャンスを得たのだ。前回はいなかった弟が生まれ、不満の少ない家が建った。もう少しばかり人生を改変してしまっても、罰は当たらないのではないだろうか……
そうして和子は、前回と違う進路を選択する決断をした。
P大には行かない。
だから、明彦とは出会わない。
ただし、ミーコに関しては譲れない。なんとしてもお迎えに行くつもりである。ミーコと出会った日はしっかりと覚えているのだ。




