表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
50/59

第33話「剣と盾」

 街の空気が、日に日に重くなっていった。


 朝になれば、誰かが死んでいる。


 毎日ではない。


 けれど、間が空くほど怖かった。


 今日は大丈夫だった。


 そう思った次の日に、路地で人が見つかる。


 井戸の近くで。


 診療所へ向かう道で。


 畑へ続く小道で。


 死んでいるのは、決まって誰かのために動いていた人だった。


 夜遅くまで働いていた人。


 薬を届けていた人。


 迷子を送っていた人。


 怪我人の世話をしていた人。


 エイルの診療所を手伝っていた人もいた。


 誰かが言った。


「善い人から死んでる」


 それは噂になった。


 噂はすぐに恐怖になる。


 夜は早く戸が閉まるようになった。


 子どもは外に出されなくなった。


 店の明かりも、前より早く消える。


 メーランの通りから、少しずつ声が減っていった。


     ◇


 グランは、死体の前にしゃがんでいた。


 殺されたのは、薬草を届けていた若い女だった。


 彼女はエイルの診療所でよく働いていた。


 癒しの英雄がいなくなった後も、残された薬や器具を整理し、困っている人に届けていた。


 真面目で、よく頭を下げる人だった。


 グランも何度か顔を合わせたことがある。


 その人が、今は路地の隅に横たわっていた。


 ライトは少し離れた場所で、周囲を見ている。


 足跡。


 壁。


 血の飛び方。


 倒れた位置。


 無駄なものはほとんどない。


 抵抗した痕跡も少ない。


「また同じか」


 グランが低く言った。


「似ている」


 ライトは短く答えた。


「似ている、じゃなくて同じだろ」


「断定するには足りない」


「お前はいつもそれだな」


「断定を間違えるよりはいい」


 グランは舌打ちした。


 苛立ちをぶつける相手がいない。


 だから言葉が荒くなる。


 ライトはそれを分かっていた。


 だから、必要以上には咎めなかった。


 グランは立ち上がる。


 拳を握っていた。


「何なんだよ、これは」


 声が低い。


「エイルが死んだ。次は街の連中だ。しかも、よりによってこういうやつばっかり」


 ライトは遺体を見る。


 その表情は動かない。


 けれど、目は冷たくなかった。


「狙っているのかもしれない」


「善人をか」


「そう見える」


「胸糞悪いな」


「同感だ」


 ライトは路地の奥を見る。


 そこに残る空気は、魔法の痕跡とは違っていた。


 もっと重い。


 湿っている。


 剣でもない。


 普通の魔法でもない。


 傷口も、刃物で切ったものとはどこか違う。


 肉体を裂いているのに、傷の周りに奇妙な冷たさが残っている。


「忌子か」


 グランが言った。


 ライトはすぐには答えなかった。


「可能性はある」


「死の英雄を崇拝してた連中が絡んでた。エイルの時もそうだ。なら、死の忌子か?」


「死の英雄は欠番扱いだ。今の時代に継承者がいるかも分からない」


「でも文献にはあるんだろ」


「ある」


 ライトは少しだけ目を伏せた。


「古いものだ。正確かも分からない」


「どんな記録だ」


「死の英雄は、戦場で多くの死を扱ったとされている。味方を救うために、敵を殺した。病の広がりを止めるために、死を断った。そういう断片がいくつか残っている」


「救ってたんだろ」


「最初の記録では」


 ライトの声がわずかに低くなった。


「最後に残っている文献では、死の英雄は英雄としては書かれていない」


 グランの眉が動く。


「どういう意味だ」


「名はほとんど削られている。功績も曖昧だ。ただ、最後の一文だけが残っている」


 ライトは、少し間を置いた。


「その力は人々を救い、そして最後には人々に恐れられた、と」


 グランは黙った。


 路地の空気が、少し重くなる。


 遺体のそばで話すには、あまりに嫌な文だった。


「それで終わりか」


「それで終わりだ」


「救ったとか、讃えられたとかは」


「ない」


「……最悪だな」


「そうだな」


 ライトは遺体の傷を見た。


「今の事件と直接つながるとは限らない。ただ、死の力は昔から恐れられていた。それだけは分かる」


「恐れられて当然の力だったのか」


「それも分からない」


 ライトは静かに答えた。


「力が恐ろしかったのか。使った者が恐ろしかったのか。恐れた者たちが、そう書き残しただけなのか」


「ややこしいな」


「記録とはそういうものだ」


「もっと分かりやすく残せよ、昔のやつら」


「同感だ」


 珍しく、ライトが素直に同意した。


 グランは息を吐く。


「でも、今ここで人が死んでる。それは事実だ」


「そうだ」


「なら止める」


「そのために調べている」


 ライトは路地の端へ視線を向けた。


「犯人が忌子なら、器がいる」


「誰かの体に宿ってるってことか」


「おそらく」


「じゃあ、そいつは」


 グランは言いかけて、止まった。


 殺すべき敵。


 そう言うのは簡単だった。


 けれど、器という言葉が引っかかった。


 誰かの体。


 誰かの人生。


 誰かの顔。


 それでも、人を殺しているなら止めなければならない。


 剣を握る理由は、いつも綺麗な言葉だけでは済まない。


「……確認がいるな」


 グランは低く言った。


 ライトが頷いた。


「確認する。だが、止まらないなら討つ」


「分かってる」


 グランは拳を握った。


「エイルの仇でもある」


 その言葉に、ライトは少しだけ目を伏せた。


 エイル。


 だらしなく笑って、すぐに人の世話を焼いて、眠そうな顔で誰かの痛みに手を伸ばしていた人。


 その人はもういない。


 癒しの英雄が殺された。


 それだけで、この街には大きな穴が空いている。


「仇だけで動くな」


 ライトは言った。


 グランが睨むように見る。


「分かってる」


「分かっていない顔をしている」


「してるだろうな」


 グランは隠さなかった。


「腹が立ってる。めちゃくちゃにな」


「怒るなとは言っていない」


「じゃあ何だよ」


「怒りで見落とすな」


 ライトはグランを見る。


「犯人は、ただ殺しているだけではない。選んでいる」


「善いやつを?」


「おそらく」


「何のために」


「分からない」


「またそれか」


「分からないものを分かったふりはしない」


 グランは息を吐いた。


 大きく、乱暴に。


「悪い」


「謝る必要はない」


「ある。お前に当たった」


「慣れている」


「慣れるな」


「無茶を言う」


 少しだけ、いつもの調子が戻りかけた。


 けれど、すぐに消えた。


 遺体の前では、長く続かなかった。


     ◇


 遺体は丁寧に運ばれた。


 街の人たちは、離れた場所から見ていた。


 近づきたい人もいる。


 けれど、怖くて足が出ない。


 泣いている人もいた。


 怒っている人もいた。


 誰もが、次は自分かもしれないと思っていた。


 グランは人々の前に立った。


 声を張る。


「夜は一人で出歩くな。用があるなら、必ず複数人で動け。戸締まりをしろ。知らない声には応じるな」


 いつもの明るい声ではない。


 剣の英雄としての声だった。


 街の人たちは黙って聞いていた。


「俺たちが調べる。必ず止める」


 誰かが小さく頷いた。


 誰かが祈るように手を組んだ。


 グランはその顔を見て、奥歯を噛んだ。


 必ず止める。


 そう言った。


 言ったからには、止めなければならない。


 エイルはもう戻らない。


 でも、次を止めることはできるはずだった。


 できなければ、剣の英雄など名乗る意味がない。


     ◇


 ミカゲはその知らせを、店の中で聞いた。


 また一人、殺された。


 エイルの診療所を手伝っていた人。


 その名前を聞いた瞬間、ミカゲは椅子から立ち上がった。


「私、グランさんのところに行く」


 ツカサが顔を上げる。


「だめ」


「行く」


「まだ体が戻ってない」


「戻ってる」


「戻ってない」


「でも、じっとしてられない」


 ミカゲの声は震えていた。


 怒りで。


 悔しさで。


 恐怖で。


「エイルさんの近くにいた人まで殺されてる。これ以上、誰かが死ぬのを待つなんて嫌だ」


 ツカサは黙った。


 待っているわけではない。


 殺しているのは自分だ。


 止めたいのなら、自分を止めればいい。


 そう言えたら、どれだけ楽だろう。


 言えない。


 言えば、ミカゲは自分を見る。


 今までと同じ目では、もう見ない。


「危ない」


 ツカサはそれだけ言った。


「分かってる」


「分かってない」


「分かってるよ」


「分かってない」


 ツカサの声が強くなった。


 ミカゲは一瞬、怯んだ。


 ツカサはすぐに目を伏せる。


「ごめん」


「ツカサ」


「でも、行かないで」


 小さな声だった。


 ミカゲはその声で、怒りの色を少し薄めた。


 ツカサが怖がっている。


 それは分かった。


 エイルが死んだ。


 その後も人が死んでいる。


 ツカサが怯えるのも当然だった。


 でも、それでも。


「私は、ツカサを守りたい」


 ミカゲは言った。


 ツカサの顔が歪む。


「街の人も。エイルさんが大事にしてた人たちも。もう死なせたくない」


「ミカゲが死んだら、意味がない」


「死なないために強くなる」


「訓練でどうにかなる相手じゃないかもしれない」


「それでも、何もしないよりはいい」


 ミカゲは真っ直ぐだった。


 真っ直ぐすぎた。


 ツカサはその目を見ていられなかった。


 この目が、いつか自分に向く。


 犯人を見る目で。


 忌子を見る目で。


「お願い」


 ツカサはもう一度言った。


「今は、行かないで」


 ミカゲは唇を噛んだ。


 しばらく黙る。


「……今日は行かない」


 ツカサは顔を上げた。


「でも、ずっとは無理」


「うん」


「明日、グランさんに話す」


「うん」


 止めきれない。


 それは分かっていた。


 ミカゲはそういう子だ。


 守りたいものがあると、自分を後回しにする。


 ツカサと同じように。


 だからこそ、怖かった。


     ◇


 その夜、グランとライトは宿の一室で地図を広げていた。


 メーランの街図。


 殺害現場に印がついている。


 エイルが殺された通り。


 母子が見つかった路地。


 薬草を届けていた女が倒れていた場所。


 他にもいくつか。


 点は街の中に散っているように見えた。


 けれど、ライトはその散り方を見ていた。


「犯人は街をよく知っている」


 ライトが言った。


「よそ者じゃないってことか」


「断定はできない。ただ、逃げ道の選び方が自然すぎる」


「街のやつか」


「もしくは、街に長くいる者」


 グランは地図を睨んだ。


「被害者に共通点は?」


「善良。周囲から信頼されていた。夜に単独、または少人数で動いていた」


「善良ってのは調査項目としてふざけてるな」


「ふざけているのは犯人だ」


 ライトの声は冷たかった。


 グランは少し目を見開いた。


 ライトは普段、感情をあまり表に出さない。


 そのライトの声に、はっきり怒りがあった。


「怒ってるな」


「怒っている」


「珍しく素直だ」


「エイルが殺された」


 ライトは地図から目を離さない。


「彼女は多くの人を救った。今殺されているのも、人を助けていた人たちだ」


「……ああ」


「それを狙う理由があるなら、犯人は命の価値を見ている」


「価値?」


「善い命ほど意味がある。そう考えている可能性」


 グランの顔が険しくなる。


「儀式か」


「それに近いかもしれない」


「死の英雄の過激派どもがやりそうなことだな」


「だが、過激派たちは最初の夜に死んでいる」


「残党は?」


「可能性はある」


 ライトは印の一つに指を置いた。


「ただ、殺し方が違う。過激派たちは刃物を使っていた。これは違う」


「死の力か」


「そう見える」


 グランは椅子に背を預けた。


「死の英雄、か」


 その名前は、部屋の中に重く落ちた。


 王都では、今も英雄は五人として扱われることが多い。


 剣。


 盾。


 癒し。


 風。


 豊穣。


 死の英雄の名は、古い文献の奥に押し込められている。


 誰も日常で語らない。


 語る必要がないからではない。


 語りたくない者が多かったからだ。


 ライトは小さく息を吐いた。


「文献を取り寄せる必要がある」


「フェリクスに頼むか」


「そうだな。あいつなら、嫌な顔をしながら喜んで調べる」


「分かる」


 グランは少しだけ顔をしかめた。


「でも、俺は文献より目の前の犯人だ」


「両方いる」


「分かってる」


 グランは真剣を横に置いた。


「次に出たら、止める」


「出る前に見つけたい」


「それができりゃ一番いいけどな」


「やるしかない」


 ライトは地図を見下ろした。


「死の英雄の最後が、恐れられて終わった理由も。今の事件の理由も。分からないままでは、同じものを見落とす」


「同じもの?」


「恐れだけで見れば、器を見落とす。器だけを見れば、被害者を見落とす」


 グランは黙った。


「両方見る必要がある」


「……難しいこと言うな」


「難しいことをしている」


「だよな」


 グランは額を押さえた。


「エイルがいたら、こういう時に茶でも入れてただろうな」


「そして勝手に菓子も出す」


「食いながら人の話聞くんだよな」


「聞いていないようで聞いている」


「ほんと、腹立つくらい便利なやつだったな」


「便利と言ったら怒られる」


「だな」


 二人は少し黙った。


 エイルのいない沈黙だった。


     ◇


 夜の街を、二人は歩いた。


 グランが前。


 ライトが少し後ろ。


 盾を背負い、周囲を見ている。


 通りの灯りは少ない。


 戸は閉まっている。


 人の気配も薄い。


 それでも、どこかに息遣いがある。


 怯えて眠れない人たちの気配。


 窓の隙間からこちらを見る視線。


 グランはそれに気づきながら、何も言わなかった。


 怖がるなとは言えない。


 実際、怖いのだから。


「エイルなら」


 グランがぽつりと言った。


「何?」


「こういう時、何て言ったかなって」


 ライトは少しだけ黙った。


「夜更かしは肌に悪い、とか」


「言いそうだな」


「それから、君の顔が怖いと文句を言う」


「それも言いそうだ」


 グランは小さく息を吐いた。


「もっとちゃんと飯食っとけばよかった」


「何の話だ」


「あいつが店に来た時、よく俺の分も食ってた」


「君が譲っていた」


「腹減ってるって言われると、何か渡しちまうだろ」


「君はそういうところがある」


「悪いか」


「悪くない」


 ライトの返事は短かった。


 でも、少し柔らかかった。


 グランは前を向いたまま言った。


「俺たち、止められるよな」


「止める」


「答えになってるようでなってないな」


「未来は保証できない」


「そういうところだぞ」


「だが、止めるために動くことはできる」


 グランは少しだけ口元を緩めた。


「お前らしい」


 その時、遠くで小さな音がした。


 何かが落ちたような音。


 二人は同時に止まった。


 グランの手が剣にかかる。


 ライトは盾を構えた。


「向こうだ」


 グランが走り出す。


 ライトも続く。


 角を曲がる。


 狭い路地。


 倒れた籠。


 転がった果物。


 そして、路地の奥に人影があった。


 黒い外套。


 細い体。


 こちらに背を向けている。


 足元には、誰かが倒れていた。


「止まれ!」


 グランの声が路地に響く。


 人影が動いた。


 一瞬だけ、こちらを振り返る。


 顔は見えない。


 フードの奥に、影が落ちている。


 ただ、白い頬だけが見えた。


 そして、足元の影が揺れた。


「グラン!」


 ライトが叫ぶ。


 黒い線が走った。


 グランは剣を抜き、咄嗟に受ける。


 重い。


 刃ではない。


 でも、刃のように鋭い。


 剣を通して、冷たさが腕に伝わる。


「っ、何だこれ!」


 ライトが前に出る。


 盾で黒い線を弾く。


 金属音ではなく、鈍い沈むような音がした。


 人影はその隙に後ろへ下がる。


「逃がすか!」


 グランが踏み込む。


 しかし、路地の奥で影が広がった。


 視界が一瞬、黒く塞がれる。


 グランは剣を振る。


 黒い幕が裂ける。


 その向こうには、もう誰もいなかった。


 足元に倒れていた人だけが残っている。


 ライトがすぐに駆け寄った。


 脈を確認する。


 首を横に振った。


「間に合わない」


 グランは壁を殴った。


「くそ!」


 拳から血が滲む。


 ライトは倒れた人の顔を見た。


 中年の男だった。


 近所の夜番をしていた者だ。


 誰かが外に出ないよう、見回っていたのだろう。


 また、人を守ろうとしていた人が死んだ。


 ライトは目を閉じた。


 短く息を吐く。


「見たか」


 グランが低く聞く。


「顔は見えなかった」


「でも、体格は」


「若い。女の可能性がある」


 グランの表情が固まった。


「女」


「断定はしない」


「黒い外套。小柄。死の影みたいな力」


「忌子の可能性は高い」


 ライトは静かに言った。


「かなり」


 グランは剣を握りしめた。


 腕がまだ冷たい。


 影を受けたところから、体の奥に嫌な感覚が残っている。


「あれが、エイルを」


「可能性は高い」


 グランは歯を食いしばる。


「殺す」


 短い言葉だった。


 ライトがグランを見る。


「グラン」


「分かってる。怒りで見落とすな、だろ」


「そうだ」


「でも、あれは放っておけない」


「同意する」


 ライトは盾を下ろさなかった。


「次に遭遇したら、私が受ける。君は斬る準備を」


「分かった」


「ただし、相手が誰かを確認する」


「忌子だろ」


「忌子でも、器がいる」


 グランは黙った。


 器。


 その言葉が重く落ちる。


 忌子は、ただの怪物ではない。


 誰かの体に宿るもの。


 誰かの人生を使って現れるもの。


 それでも、人を殺すなら止めなければならない。


 それがどんな顔をしていても。


「確認して、それでも止まらないなら」


 ライトが言った。


「討つ」


 グランは頷いた。


     ◇


 翌朝、街はさらに静かになった。


 また人が死んだ。


 しかも、英雄たちが巡回していた夜に。


 その噂は、早かった。


 ミカゲはそれを聞いて、顔を青くした。


「グランさんたちがいても?」


 知らせに来た男は、頷いた。


「犯人らしき影は見たらしい。でも逃げられたって」


「そんな」


 ツカサは台所にいた。


 手元の椀を落としそうになった。


 グランとライトに見られた。


 顔は見られていないはず。


 でも、近づいている。


 もう、遠くない。


 ミカゲが立ち上がる。


「私、行く」


「ミカゲ」


 ツカサの声は弱かった。


「今日は止めないで」


 ミカゲは振り返る。


 目に迷いはなかった。


「グランさんに話してくる。私も何かできることがあるかもしれない」


「危ない」


「分かってる」


「本当に分かってる?」


「分かってる」


 ミカゲは短剣を腰に差した。


 まだ本調子ではない。


 でも、歩ける。


 剣を握れる。


 何もしない理由にはできなかった。


「ツカサは家にいて」


 その言葉に、ツカサは息を詰めた。


「外、危ないから」


 ミカゲは心配そうに言った。


「戸締まりして。誰が来ても、私が戻るまで開けないで」


 守られている。


 また。


 自分が犯人なのに。


 ツカサは頷いた。


「うん」


「すぐ戻るから」


「うん」


 ミカゲは店を出ていった。


 戸が閉まる。


 足音が遠ざかる。


 ツカサはしばらく動かなかった。


 頭の奥で、ナラクが笑う。


 近づいているな。


 ツカサは両手で耳を塞いだ。


 もう、遅いかもしれない。


 全部が崩れる音が、少しずつ近づいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ