14-2.戻らないもの
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その日は暑い日でした。
家事を終えて、何もやる気が起きなくて。少しだけ横になろうと思った記憶があります。
気づけば、眠っていました。
時計は、19時30分を指しています。頬に触れると、涙なのかノエルの涎なのか、よくわからないもので濡れていました。
「⋯⋯そうだノエル、ゴメン。ご飯まだだったね」
いつもは名前を出せば、すぐに駆けつけてくるのに、足音一つ聞こえません。やけに静か過ぎます。
「ノエル! どこ?!」
立ち上がった拍子に、カーテンが揺れました。庭につながるベランダから、熱を含んだ風が吹き込んでいます。
さぁっと血の気が引くのを感じました。ちょうどノエルが通れそうな位の幅が開いていたのです。
「ノエル⋯⋯!」
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家の周りを探しました。散歩コースも、思いつく場所は全部。それでも、見つからない。
(あと、どこ⋯⋯)
息が上がります。
(⋯⋯校庭)
思いついた瞬間、走っていました。夜の校庭に来るのは、久しぶりでした。あの日から、ここには来ていません。
裏門から回り込んで、そっと中を覗きます。
外灯の下、サッカーゴールの近くに、人影がありました。サッカー部員達です。
「水瀬ーまだ練習するのかよー」
「おう! あと一回ゴール決めてから休憩するわ」
「熱心だねーキャプテン木竜にバレるまで一人でコソ練やってたんだろ?」
「そのバレたお陰で、『水瀬に遅れは取れない。試合前はメンバー全員で八時まで練習だ』ってなったの感謝してまーす」
「嫌味かよ!」
笑い声が響いて、その中心には水瀬君がいました。
軽口を叩きながらも和気あいあいとしている彼の姿は、あの日の悩みがすっかり解消されたことを物語っていました。
喜ばしいことです。それなのに、自分だけ知らない土地に置いてけぼりにされたような気分で、そんな風に思ってしまう自分が嫌でした。
でも今はそんなことを言ってる場合でありません。
誰に声を掛けようかと悩んでいると、ボールが転がって来ました。
「あれ、転校生?」
顔を上げると、見覚えのある男子生徒でした。以前、水瀬君に辞典を借りに来ていた人です。
「もしかして水瀬に用事? アイツほんとモテるなー。昨日も女子が来ててさあ」
「違います、あの、この辺で柴犬、見ませんでしたか?」
「犬? 見てないけど⋯⋯いなくなっちゃったの?」
何気ない問いだったのに、なぜか嫌な想像が頭をかすめて声が詰まります。
(もしかしたらノエルがいなくなったことを非難されるかもしれない)
あの犬は危ないとか言って。
あの家はやっぱりダメだと言われて。
(そうして、もし、誰かに連れて行かれたら。もう、戻ってこなかったら)
「いえ⋯⋯ち、違います、その失礼します!」
逃げるように校庭を出ました。誰にも見られないように、裏道ばかりを選んで走ります。 でも、いない。どこにも。
(どうしよう)
息がうまく吸えない。当てがなくなってしまった。うつ手が尽きてしまった。どれだけ走ったのか、もうわからない。
(ノエルまでいなくなったら)
頭の中に浮かぶのは、嫌な想像ばかりだった。握りしめたおもちゃが、汗で滑りそうになる。大声を出して探したいのに、そうして探すのが最善かわからなくて。
(でも、私が最初に見つければ、でも)
やっと出た声は、情けないくらい掠れていた。
「ノエル⋯⋯どこに、いるの⋯⋯」
視界がぼやける。足が痛い。気づけば、踵が擦れていて、靴を脱ぐと血が滲んでいた。
(もういい)
こんなの、どうでもいい。靴を持って、歩き出す。
手当たり次第歩き続けたせいか、辿り着いたのは見たことのない場所で、目の前には小さな神社がある。
「お願いします、ノエルをどうか見つけて下さい⋯⋯」
震える声で祈る。お金なんか、いくらでも入れたいのに、スマホも財布を持っていなかった。
(じゃあ、何を差し出せばいいんだ)
もう何もどうしようもなくなった時だった。




