第38話 「早退令嬢と、卒業パーティー」
卒業パーティーの会場は、いつもより明るかった。
シャンデリアの光が、ホール全体を照らしていた。ドレスを纏った令嬢たちが笑い、令息たちが話していた。卒業という節目を祝う声が、あちらこちらで上がっていた。
リナは、その端に立っていた。
グラスを手に持って、ホールを見渡した。
隣に立っていた令嬢が、「リナ様、あちらに友人がいるので失礼いたします」と言って離れていった。
少し前にいた別の令嬢も、「婚約者が待っているので」と先に行ってしまった。
また、一人になった。
(……やっぱり、こうなるか)
予想していた。全部を取り返すことはできない。一学期のあの大広間で全部が暴かれてから、積み上げ直してきたものはあった。でも、それは以前と同じものではなかった。ゼロから作り直したものだった。
それでいいと思っていた。
でも、こういう瞬間には、少しだけ寂しかった。
一学期末のパーティー。あのときも一人だった。
今は、隠すものが何もない。それだけ、違った。
ホールの中央では、何組かがダンスを始めている。
◇
「リナ様」
声をかけてきたのは、エリーゼだった。
扇を持っていなかった。令嬢らしい気負いもなかった。ただ、自然な表情でそこに立っていた。
「私と話すときは、自然体で構いませんと伝えたつもりよ。エリーゼ」
前は、様をつけずに呼ぶなんてできなかった。でも今は、なぜかそれが自然だった。
「それでは、遠慮なく」
二人で、ホールの端に並んで立った。
「学園最後の日はどうだった?」
「まあ、こんなものかしら、と思っているわ。またひとりになったし」
「そう」
エリーゼが少し間を置いた。
「でも、前とは違う顔してる」
「そう見える?」
「うん。前は、どこかに力が入っていた。今は、それがない」
リナは少し考えた。
「……そうかもね。隠すものがなくなったから、かな」
「それは、いいことだと思う」
「ほんと、あなただけには、見抜かれちゃうわね」
「私も演技をしていたから、分かる部分があるだけ」
リナはエリーゼを見た。
この人も、変わった。一学期の頃とも、悪役令嬢と呼ばれていた頃とも、全然違った。どこか温かい、ゆとりのある顔をしていた。
「エリーゼも、いい顔してる」
「……そう?」
「うん。なんか、幸せそう」
エリーゼが少し笑った。照れているような顔だった。
「いろいろとあったけど。悪くないとは思ってる」
「ヴァイセンベルク様のこと?」
「……まあ、そういうことも含めて」
「よかったわね」
「ええ、ありがとう」
しばらく、二人でホールを眺めた。
「これから、どうするの」
リナが聞いた。
「家に戻って、それから先はまだ決まっていないけど。ゆっくり考えようと思ってる。やっと、自分のことを考えていい気がして」
「そっか」
「リナは?」
「家に戻って、出直す。あのペンダントのおかげで弁済も片付いたし。今度は、ちゃんと自分のものを積み上げていこうかなって」
「……強いね」
「そんなことはないわ。ただ、もうほかに選択肢がないだけ」
エリーゼが少しだけ笑った。
「それでも、強いと思う」
リナは少し間を置いた。
「……ありがとう。あの夜、話しかけてくれたこと。あれがなかったら、たぶん今の私はいなかった」
「お互い様よ」
「そうかな」
「うん。あなたがいなかったら、あの大広間は終わらなかった」
二人は、しばらく何も言わなかった。
ホールの音楽が、静かに流れていた。
「では、またいつか」
「ええ、また……」
エリーゼがそう言って、ホールの方へ歩いていった。
また、一人になった。
でも、さっきより少しだけ軽かった。
◇
中央では、ダンスが続いていた。
リナはグラスを傾けながら、それを眺めた。
(……また、ここから始めればいい)
一学期に全部崩れた。でも、今日この卒業パーティーに自分の足で立っていられる。隠すものもなく、作った笑顔でもなく、ただここにいられる。それだけで、十分じゃないか。
また積み上げる。ゆっくりでいい。今度は、自分のものを。
そう決めたとき、横から声がかかった。
「リナ」
振り返ると、クロード殿下が立っていた。
側近を離れた場所に置いて、一人で来ていた。
「……殿下」
「一人か」
「ご覧の通りです」
クロードが少し間を置いた。
「一曲、どうだろうか」
リナはクロードを見た。真剣な顔だった。
「……お断りします」
「……そうか」
「一学期のことがありますから。殿下とご一緒するのは、まだ気が引けます」
クロードが少しの間、リナを見た。
「あのときの私は、何も見えていなかった。リナのことも、エリーゼのことも。証拠があっても信じなかった。それは間違いだった」
「……ええ、存じています」
「今のリナを見ていると、強い人だと思う。あの状況から、また立ち上がれる人間はそう多くない。そういう人と、正直に向き合いたいと思った」
リナはしばらく、クロードを見た。
(強いか……エリーゼも言っていたな)
「……また、あなたを騙すかもしれませんよ」
クロードが、少し目を細めた。
「次は、誰にも見抜けぬほど見事に騙してほしい」
リナは、一瞬だけ固まった。
それから、少し笑った。
「……本当に懲りないんですね、殿下は」
「そうかもしれない」
(次は、絶対に失敗しない……今の私は、あの頃とは違う)
リナはグラスをそっとテーブルに置いた。
クロードの手を、取った。
二人がホールの中央に向かう姿を、周りの生徒たちが目で追った。クロード殿下とあのリナが、という声が、ざわめきとなって広がっていった。シャンデリアの光の中で、二人はダンスを始めた。
リナの表情が、少しだけ柔らかかった。
◇
エリーゼは、ホールの端からその光景を見ていた。
中央では、クロードとリナが踊っていた。周囲の生徒たちが次々と気づいて、静かなざわめきが広がっていた。クロード殿下の相手がリナだという驚きと、二人が並んでいる姿への視線が交差していた。
リナは、堂々としていた。一学期のあの頃のような作った笑顔ではなかった。少し緊張しているようにも見えたが、それでも前を向いていた。
(……よかった)
エリーゼは思った。
あの夜、廊下でリナに話しかけたとき、うまくいくかどうかわからなかった。でも、リナは動いてくれた。指示書を保管してくれた。録音を取ってくれた。最後に大広間で立ってくれた。
それがなければ、今日ここにいられなかったかもしれない。
「これでよかった気がする」
思わず、小さく声に出た。
「何を言っている」
隣から声がした。
ルーカスが、グラスを持って立っていた。少し遅れてきたらしかった。
「遅れてすまなかった」
「ううん。来てくれただけで」
ルーカスがエリーゼの隣に立った。ホールを見渡した。
「クロード殿下が踊っているな」
「うん。リナと」
「そうか」
二人で、しばらくホールを眺めた。
周囲の生徒たちが、ちらちらと二人の方を見始めていた。ルーカスとエリーゼが並んでいる。それだけで、小さなざわめきが広がっていった。
「……また注目されてる」
「俺は気にしない」
「知ってます」
エリーゼは少し笑った。
「俺たちも踊るか」
エリーゼはルーカスを見た。
「……踏まない?」
「踏まないように努力する」
「努力って言葉が気になる」
「安心しろ、大丈夫だ」
「……信じてみます」
エリーゼはルーカスの手を取った。
◇
中央に出ると、周囲の視線がまた集まった。
でも、エリーゼにはそれが気にならなかった。
音楽が始まり、ルーカスの手が、エリーゼの腰に添えられた。もう一方の手が、エリーゼの手をしっかりと包んだ。
――踊り始めた。
(……一学期のあの頃)
記憶が、静かに浮かんだ。
クロード殿下のそばで、婚約者として立っていた頃。
求められたままに振る舞って、疲れ果てていた頃。
それでも毎朝、扇を持って廊下を歩いた頃。
中庭で早退した、あの朝のこと。
ルーカスが転校生として来た日のこと。別々のベンチで、初めて言葉を交わした日のこと。
ベンチが壊された日のことも。雪が降り始めた頃の図書室のことも。廊下でルーカスに名前を呼ばれたことも。泣いたことも。手を繋いで歩いたことも。
(いろいろな出来事があった)
全部が、ここに繋がっていた。
(……遠回りだったかもしれない)
でも、悪くなかった。全部があって、今日ここにいる。
「踏んでいないですね」
「当たり前だ」
「よかった」
「失礼だな」
「見直した」
エリーゼは少し笑いながら、ルーカスの肩に視線を向けた。
音楽が続いていた。シャンデリアの光が、二人の上に降っていた。
(……よかった)
早退して、キャラをやめて、よかった。
◇
ダンスが終わり、二人は人気の少ない中庭に出た。
ホールの音楽が、扉越しに遠く聞こえた。中庭は、夜の静けさの中にあった。満開の桜が、風に揺れていた。
「やっぱり、ここは落ち着く」
エリーゼが言った。
「ああ」
「パーティーは賑やかでいいけれど、この静けさの方が好きかもしれない」
「そうだな」
ルーカスが、少し間を置いた。
「一つ、渡したいものがある」
エリーゼは振り返った。
ルーカスが、小さな箱を取り出した。
「開けてみろ」
エリーゼはそっと開けた。
細い銀の鎖に、深紅の宝石があしらわれたペンダントが入っていた。
「……これ」
「以前持っていたものとは違うが、似合いそうなものを選んだ。
あのペンダントは、お前が他人のために使った。だから、これは自分のために使ってほしい」
エリーゼはペンダントをしばらく見ていた。
あのペンダントは、リナに渡した。ルーカスが綺麗だなと言った、あのペンダント。それが今、新しいものになって戻ってきた。
胸の中に、温かいものが広がった。
「……ありがとう」
声が、少し滲んだ。今日は泣かないと思っていたのに、また目頭が熱くなった。
「それと」
ルーカスが続けた。
「後日、ヴァルドラン家に挨拶に伺うことは話した。だが、お前自身には確認していなかった」
エリーゼは顔を上げた。
ルーカスが、真剣な顔をしていた。
「認められれば、婚約者になる。
……俺はそうなりたい。エリーゼは、それでいいか」
エリーゼはしばらく、ルーカスを見ていた。
婚約者。その言葉が、今度は怖くなかった。以前の婚約とは、全然違った。あのときは、求められたからそうなった。今回は、違う。
胸の中が、温かくなった。いっぱいになった。
今まで、これほど嬉しいと思ったことがあっただろうか。演じていた頃にはなかった感情が、今日また溢れそうになっていた。
エリーゼは少し笑った。言葉にするより先に、体が動いた。
ルーカスに、そっと抱きついた。
ルーカスが一瞬だけ止まった。それから、エリーゼの背中に手を回した。
「……いいです」
エリーゼが言った。胸に顔を埋めたまま。声が、少し震えた。
「私の婚約者に、なってください」
ルーカスが、少しの間、何も言わなかった。
「……そうか」
言葉はそれだけだった。
けれど、優しい手が頭をそっとなでてくれた。
この温かさが、全部を言ってくれていた。
◇
しばらくして、二人で夜空を見上げた。
月が出ていた。丸くて、明るかった。
中庭の桜が、月の光の中で白く輝いていた。花びらが一枚、風に乗って舞った。
エリーゼは、その景色をしばらく眺めた。
あのとき、これからどうなるかなんて、何もわかっていなかった。
でも今は、ここにいる。
横に、ルーカスがいる。
私は、悪役でも、誰かの都合のいいキャラでもない。ただの、エリーゼとして、ここに立っている。
もう、疲れていない。
(胸の奥が、静かに満たされていく感じがする……)
月が、静かに輝いていた。
それはとても、とても、綺麗だった。
――ようやく、そう思えた。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました( ;∀;)
面白かった!と少しでも思っていただけたなら、
評価(下の方にある☆☆☆☆☆)やリアクションをいただけると、本当に飛び上がって喜びます!
ずっと縛られ続けた分、エリーゼの女の子っぽさが溢れ出てしまうような描写を後半は意識していました。しっかりとハッピーエンドで締めくくることができて私自身もほっとしていますε-(´∀`*)
※明日、エピローグを一話投稿予定です。
それでこの物語は完結となります。
よろしければ、最終回までお付き合いいただけますと幸いです(^^♪
また次回でも、お会いできることを楽しみにしております(*‘ω‘ *)/




