40.王女の帰還
翌朝、ステラは日の光で目を覚ました。
隣を見ると、そこにはすでにレグルスの姿はなく、彼がいたであろう場所に触れると、シーツは既に温もりを失っていた。随分と前に出立したようだ。
「出ていく時くらい起こしなさいよ、馬鹿」
ステラは誰もいない空間にひとり、彼への恨み言を吐き出した。寂しさと虚しさを紛らわすように、首にかけた彼の瞳の色の宝石を強く握りしめる。
起きる時間にはわずかに早かったが、二度寝するには目が冴えてしまい、ゆっくりとした足取りで続き扉まで向かった。そして最後に、振り返って部屋を見る。
これまで彼が過ごし、これからも過ごすであろう、彼の部屋。そこに、ステラの姿はない。
「さようなら、レグルス」
ステラはポツリとつぶやくと、自分の部屋に戻るのだった。
◇ ◇ ◇
「大変お世話になりました」
アークライト公爵家を出るとき、ステラは屋敷に向かって深々と一礼をした。もうこの屋敷に来ることは二度とないと思うと、感謝の思いを伝えずにはいられなかったのだ。
「さあ、行きましょう。遅れるとよくないわ」
レティシアに促され、ステラは馬車に乗り込んだ。今日はステラの護衛として、レティシア含む精鋭がついて来てくれるらしい。後続の馬車を引き連れて、ステラは出立した。
窓の外を見ながら、物思いにふける。この屋敷に来る道中は、レグルスから彼の素性とアークライト公爵家の事情について説明を受けていたため、窓の外に目を向ける余裕がなかった。
(素敵な国ね……)
王都を出て美しい街道を通り、やがて自然あふれる農村地帯へ。どの場所でも国民は笑顔にあふれ、幸せそうだ。
彼らの笑顔を守るためにも、もちろん自国民を守るためにも、二国間の友好関係は保ち続けなければならない。ステラは強く、胸に誓った。
国境沿いに到着すると、すでにグレイヴ王国の騎士団が待っていた。顔ぶれを見るに、第一騎士団ではなく、第二騎士団の面々だ。ウェイバーはステラの言いつけを守り、ノエルの護衛に徹しているのだろう。
馬車を降りたステラは、レティシアと最後の挨拶を交わした。
「わたくしが協力できるのはここまでよ。あなたの幸運を祈っているわ。この先はうまくやりなさい」
彼女なりの激励に、ステラは苦笑する。
「ありがとう、レティシアさん。この御礼は必ず」
「ええ。国境沿いの土地の一部でもいただこうかと考えているの。検討しておいて」
「……それは難しいかもしれないわね」
「フフッ。冗談よ」
初対面では、怒りを爆発させステラに対しても怒鳴り散らしていたレティシアだったが、今は穏やかに笑っていた。
レティシアとの会話を終えて、ステラはグレイヴ王城へ向かう馬車に乗り込んだ。
(ようやく、帰れる)
約一か月ぶりの我が家を思うと、少しばかり緊張してくる。なにせ、到着した途端、ジェイルズ侯爵家を断罪しなければならないのだ。エドウィンが主導してくれるとはいえ、一大仕事が待っている。
帰りはレグルスと共に進んだ道とは異なり、王城までの最短ルートを通った。ヴァルデア王国に逃げるまで、あれだけ大変な思いをした往路だったが、復路は一瞬だ。要所要所で休みつつではあったが、十日足らずで王都までたどり着くことができた。
関所で世話になったノーランやアーノルドに挨拶をしたかったが、ステラの帰還は極秘事項のため、言葉を交わすことはできなかった。
王都に入り、王城に着いたのは夕刻だった。
キャロライナやジェイルズ侯爵に気取られないよう、ステラを乗せた馬車は王城の裏口を通った。そしてステラは、深くフードを被り身を隠しつつ、馬車を降りてとうとう王城内に入った。
(随分とあっさりした帰還だわ……)
王城内の空気は、一か月前よりも少し慌ただしいくらいで、他は何も変わっていなかった。この一か月間が、まるで夢だったかのようだ。強い懐かしさがこみ上げてきて、ステラはグッと涙をこらえた。
それからステラは、自室には行かず王家の客間へと向かった。ここまで付き添ってくれた騎士団員たちは、両側から扉を開け、ステラに向かって恭しく一礼をした。「ありがとう」と言って中に入ると、そこにはノエルと宰相シルヴェスター、そして騎士団長のウェイバーが揃っていた。
「ノエル……!」
「お姉様!!」
二人は互いに駆け寄り、抱きしめ合った。帰ってきた実感が、より強くステラの心に満ちる。
「よく無事だったわね……! 私がいない間、危ないことはなかった?」
「それはこちらのセリフです、お姉様。よくぞ……よくぞご無事で……!」
ノエルは涙声だった。しばらく再会の抱擁を交わした後、ステラはノエルを離し、臣下たちに向き直る。
「長らく留守にして悪かったわね、シルヴェスター卿」
「とんでもございません、ステラ様。あなた様のご帰還を、首を長くしてお待ちしておりました」
「今まで城を守ってくれてありがとう。そしてミリウス団長も、よくぞノエルの護衛を果たしてくれたわ」
「いいえ、私は何も。ただあなた様の命に従ったまでのこと」
彼らと話したいことは山ほどある。しかし、今はシルヴェスター侯爵家の断罪に向けて動かねばならない。ステラは再会の喜びを胸に仕舞い、王女としての最後の仕事を果たすべく、準備に取り掛かった。
小一時間ほどノエルたちと夜会の段取りについて話し合った後、ステラは侍女たちの手を借りながら、美しく着飾っていった。
逃亡生活で荒れ果てた髪や肌はアークライト公爵家での生活ですっかり元通りになっている。銀髪を結い上げ、薄く化粧をし、瞳と同じ深海のような深い青のドレスを身にまとう。そして、胸元には、赤い宝石のネックレス。
ステラは宝石にそっと触れ、ひとつ息を吐いた。ちょうどその時、ノエルとウェイバーが迎えに来る。
「お姉様、準備はよろしいですか」
「ええ。行きましょう。断罪の時間よ」
部屋を出ると、遠くから軽快な音楽と人々の賑わいが聞こえてくる。すでに日は暮れ、夜会はスタートしていた。今からこの賑わいを、壊しに行くのだ。
ステラは帰城してから、まだエドウィンには会っていない。夜会の主催者である彼は、当然ながらすでに会場に入っている。彼とゆっくり話すのは、この断罪劇が全て終わった後だ。
ステラの帰還を知らない文官や騎士、使用人たちは、着飾ったステラとすれ違った時、まるで幽霊でも見たかのように驚愕していた。そして皆、ひとしきり驚いた後、揃って安堵の表情を浮かべていた。
会場である大広間前には、シルヴェスターを含むステラ派閥の貴族と、多くの衛兵たちがステラの到着を待っていた。ステラの姿が見えると、皆一様に深い礼をする。
「頭を上げて頂戴」
ステラはそう言って、その場にいるひとりひとりの顔を見回した。皆、力強い視線をステラに向けている。よくぞ帰ってきてくれたと言われているような気がした。
(地下牢に捕らえられたあの日は、誰が敵か味方かわからなかったというのに……)
こんなにも、自分を慕い、付き従ってくれる人たちがいる。ステラはそのことに、強く胸を打たれた。
「今日で全てに決着をつけるわ。ついて来てくれるわね?」
「「は!!!」」
「さあ、行くわよ!」
そうしてステラは、ノエルや衛兵たちを引き連れ、会場に乗り込むのだった。




