37.核心
ヴァルデア国王との謁見を終えた日の夜。
夕食と湯あみを終えたステラは、自分に与えられた部屋で休んでいた。寝台に横たわりながら、小さく溜息をつく。
「本当に、このままでいいのかしら……」
つぶやいた言葉は、誰にも届かず消えていく。レオナルドから手紙が来るまでの数日間、何もできることがない現実が、ステラの表情を曇らせた。
弟のノエルは無事だろうか。宰相のシルヴェスターはどう立ち回っているだろうか。兄のエドウィンとキャロライナは今頃、邪魔者を追い出せたとほくそ笑んでいるだろうか。
勝手に想像して、勝手に心が沈んでいく。
とりとめのない考えが浮かんでは消えていき、ステラは目を閉じた。
するとその時、コンコンと扉を叩く音がした。廊下に続く扉ではない。隣の部屋――レグルスの部屋に繋がる扉からだ。
「ステラ、まだ起きてる?」
続けて声が聞こえて、ステラは飛び起きた。約束通り、口づけを交わしに来たのかと思ったのだ。
一日に一回だけという約束。彼は今日、まだその権利を行使していない。
ステラは続き扉の前まで行くと、ドキドキとうるさく鳴る胸に手を当てながら、一つ息を吐いた。そして、平然を装いながら扉を小さく開ける。
「どうしたの?」
「少し聞きたいことがあって」
レグルスの表情はどこか硬かった。いつも浮かべている笑みも、今は鳴りを潜めている。
これは何か事情がありそうだと、ステラは気持ちをサッと切り替えた。
「立ち話もなんだし、部屋、入る?」
「ステラが気にしないなら」
「別に構わないわ」
ステラはレグルスを部屋に招き入れ、並んでソファに座った。彼はすぐには話しだそうとせず、しばらく黙っていた。何と切り出せばよいか迷っている様子だ。
ステラは根気強く彼の言葉を待った。座ってから時計の秒針が一周した頃、ようやく彼の唇が動く。
「ねえ、ステラ」
「なに?」
「とても踏み込んだ質問をしてもいいかな」
「ええ、いいけれど……」
ステラは戸惑いながらもそう答えた。
プライベートなことでも聞かれるのだろうか。しかし、別に聞かれて困るようなことはない。
レグルスは再びためらう素振りを見せてから、意を決したように、ステラを見つめた。
「君の父君……グレイヴ国王陛下は、もう亡くなっているんじゃないかな」
ステラは息をのみ、大きく目を見開いた。全身に鳥肌が立ち、震えそうになる手を慌てて握り込む。
ステラはすぐに険しい表情を作った。
「今の発言は笑えないわね。あなたらしくないわ。失礼にも程があるわよ」
とげのある冷たい声で言い放つと、レグルスは心を痛めたように、眉を下げた。
「……ごめん、試すようなことをして。でも、今の反応で得心がいったよ。やっぱりそうなんだね」
グレイヴ国王――ステラの父は既に亡くなっている。彼のその推測は、何も間違ってはいなかった。
グレイヴ国王は、二年前、ステラに国政を託してすぐに息を引き取った。このことを知っているのは、ステラと宰相、そして国王を診ていた医師含め、わずかな関係者のみだ。
表向きには、国王は王家の保養所で療養していることになっている。その保養所は王家の中でも限られた者しか知らない、という設定だ。そのため、国王の居場所を誰も知らず、ゆえに、城の者たちを含め国民は皆、国王がまだ生きていると思っている。
国王の死を隠せと言ったのは、紛れもなく国王自身だった。崩御が知られれば、書状の効力がなくなってしまう。つまり、後継順位第一位である、第一王子エドウィンが王に即位することになるのだ。
それを避けるために、国王を生きているように装った。ステラが女王となるまでは、隠し通さなければならない事実だった。
レグルスが「国王は既に亡くなっているかもしれない」という考えに行きついたのは、彼も国王の居場所を突き止めようとしていたからかもしれない。探しても探しても一向に見つからない「王家の保養所」を怪しみ、その結論に至ったのだろう。
ステラはレグルスの言葉に反応してしまったことに後悔しつつ、それでもなお険しい口調で場を収めようとする。
「仮にあなたの憶測が当たっていたとして、もしそれを言いふらそうとしているのなら、私はグレイヴの王女として、それ相応の対応をしなければならなくなるわ」
半ば睨むようにレグルスを見上げると、彼はより一層つらそうな表情になった。
「安心して。今の話を誰かにしたこともなければ、今後他言するつもりもないから」
ではなぜ、わざわざ亡くなっているか確認したのだろう。そんな疑問が湧いた時、不意にレグルスに抱きしめられた。
「これまで、よく頑張ったね」
思いがけない言葉に、胸を刺された。「えっ」と、声とも吐息ともとれない小さな音がこぼれたあと、心の奥底から言いようもない感情がこみ上げてきて、ステラは唇を噛みしめた。
「一人で国を背負わなければならなかった重圧は、想像もできない。きっと、すごく心細かったはずだ」
意思に背いて溢れてくる涙に、ステラの視界が滲んだ。瞬きをすると、あっけなく零れ落ちてしまう。なんとか涙を収めようとしたが、すぐには難しそうだった。
「君の力になりたい。公爵家当主という立場を捨ててでも、君の力になるよ、ステラ。君が国に帰っても、俺が――味方がいるということを忘れないで」
父が死んでからの二年間が、走馬灯のように脳裏に蘇る。対抗勢力を抑えつつ国政を担うのは、想像以上に大変だった。国王の代行者としての重責を負いながら、ステラは歯を食いしばり、必死に役目を全うしてきた。
ステラの背景を理解しているのは、秘密を共有する宰相のシルヴェスターくらいだ。それ以外の者には弱音も吐けず、ただただ己の中に貯め込んできた。
レグルスの胸に体を預けながら、ステラは言う。
「あなたはどうして……いつも私が欲しいと思う言葉をくれるの?」
「それは俺が、いつも君のことを考えているからだよ」
レグルスは抱きしめながら、片方の手でステラの頭を撫でた。優しく、ゆっくりと、労わるように、慈しむように。
「君が泣く時は、どうか俺の胸を使って」
「私、あなたの前で、泣いてばかりね」
ステラは自嘲気味に笑った。普段は弱さを見せることなどあってはならず、涙を流すことなど決してなかった。それがどうだろう。レグルスに出会ってから、彼の前で何度も泣いている。
レグルスは少し力を弱めると、ステラの目元に口づけを落とした。ステラの涙を拭った彼は、優しい笑顔を見せる。
「君は強いから、全部抱え込んじゃうでしょ? 俺の前でくらい、弱さを見せてよ」
「……ありがとう、レグルス」
離れがたい衝動に駆られ、ステラは彼の背に腕を回した。レグルスもそれに応えるように、しっかりと抱きしめる。
そうして二人は抱きしめ合い、ステラはレグルスの温もりに包まれて、心の奥底に溜まった苦しみや葛藤を溶かしていった。
そしてふと思った。彼がいてくれる安心感から、あの悪夢を見なくなったのではないか、と。




